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「言語にとって美とはなにか」(吉本隆明著)を読む

 本書はフロイトの引用から始まるのだが、吉本の言語理論にとってフロイトは無関係なのだから、なぜ冒頭でフロイトを引用しなければならなかったのか、その理由がよく分からない。
 ただ「発生の機構」というタイトルから類推すると、おそらくここで吉本は前言語的意識を射程に入れたのだと思う。前言語的意識がいかなるものであるかは謎である。原理的に意識はそのことを知ることはできない。
 しかし、それが実在することを主張したのはフロイトであり、言語の発生段階における前言語的意識としての性的幻想を吉本は否定するのだが、なんらかの未知の意識Xを想定しているのである。
 ほとんどの論者が誤解ないし誤読をしているのだが、吉本の「意識」概念は前言語的意識を含んでいるのであり、特に言語の発生段階における意識が前言語的であることは文脈からみて自明であろう。

 こういう見地から言語発生の機構をみることは、人間の意識の自発的な表出の過程として言語の成立をみることを意味しており、意識の実用化の過程として言語をみることとまったく位相がちがう

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房16頁)

 こういう文を読むと、吉本の言語理論は意識に対する言語の先行性を主張する言語論的転回以前のものであり、古い奴でござんす、という印象を受ける。
 だが、この「人間の意識の自発的な表出」の「意識」は文脈から考えて言語成立以前の意識であることが明らかである。すると次に二つの問いが提起される。
 ①自発的表出の過程として言語を成立させる「意識」とはいかなるものか。
 ②意識から表出されて成立した言語が客観的存在であるのはなぜか。
 この①と②は関連しているが、まず①が何であるかを言語によって説明することはできない。それはいわば知の蝕のようなものである。吉本はそこに海岸に迷い出た狩猟人などのイメージを置くのだが、この狩猟人の意識が近代的主観でないのは確かである。
 むしろ吉本自身が参照しているマルクスと比較すると、それは抽象的人間労働に相当すると思われる。この抽象的人間労働は有用性とは無関係にすべての人間に共通するものだが、それ自体としては見えないものであり、貨幣が成立して交換が行われて初めてその存在を名づけることができるXである。またすべての人間に共通するものであるがゆえに、交換も可能となるのである。だが抽象的人間労働の実体的な大きさは直接現われることはなく、貨幣で表出するしかないものである。
 同様に狩猟人の原意識も、個体としての意識ではなく、類的人間から未分化の前言語的意識である。言語が客観的存在であるのは、言語以後の主観的意識から表出されたからではなく、類的存在としての前言語的意識から表出されたものだからである。
 私はそのように解釈するのだが、まさしくそこにおいて、吉本隆明は世界思想と同様の問題に突き当たったのだと私は思う。フーコーのエノンセ、言説的プラティック、器官なき身体、他者、等々、これらの諸概念は一見無関係に見えるが、名付けようのないXを名指そうとしているように思われる。 
 私はそれらを一括して「概念以前性」あるいは「概念以前的実践」と名付けたいと思う。もちろんここでいう概念とはヘーゲル的概念であり、概念よりもプラティクとしての実践が先行するというアルチュセール的視点を総括する名称である。
 このように吉本の言う「意識」には言語以前の、概念以前的実践が含まれていると考えれば、多くの曖昧な箇所が明瞭になる。
 吉本もマルクスもともに「類的人間」が思考の出発点となっている。これもまた古い疎外論でござんす、という感じがする。論者のなかには「類的人間」などはヘーゲル的残滓だから捨ててしまえと言う者もいるが、問題は言葉ではなく、マルクスがそれによって何を言おうとしていたかであろう。
 よく考えてみると「類的人間」は神秘的なところがある。個人の集合体としての「人類」ではないことは確かである。個人が成立する基盤となるものであるから、個人意識では把握できないものである。 
 だが、「抽象的人間労働」が類的人間を前提としていることは明らかである。それは個人的労働力としては怠惰であっても、社会的平均労働力として作用しているのだから。ただ、そのことが分かるのは、あくまで事後的に貨幣による商品交換によらなければ知ることができないのである。
 吉本はこの発想を言語に適用したのだ。
 貨幣が成立する以前の原始社会においても何らかの共同作業は存在したであろう。その社会における抽象的人間労働は対象化されておらず、あらゆる労働に伴っている。
 同様に言語が成立する以前においては概念以前的実践があり、指示対象は対象化されておらず、人間と対象とが融即している。
 商品交換によって抽象的人間労働が貨幣へと外化されるように、対象を指示しあうことを通じて概念以前的実践意識(狩猟人の原意識)が言語へと外化される。これが自己表出である。
 よく考えてみれば言語というものは不思議なものであり、一面では個人の内面を表すとともに他面では他者にも伝わるものである。このハイブリッドな存在が人間から生じてきたのであれば、その発生源である「人間の意識」が主観的意識ではなく近代人の内心でもなく、概念以前的実践-意識であることは自明であろう。
 (ただ、これを「意識」として名付けてしまうと、それを実体化してしまう錯誤に陥る危険があることには留意しなければならない。)
 するとどうなるか?
 貨幣が抽象的人間労働の代理物であるのと同様、言語も概念以前的実践意識の代理物である。つまり個人の主観的な思いを言葉で言い表したものが、同時に類的人間の概念以前的実践意識の代理物だということである。
 吉本が自己表出の水準の歴史的変遷を主張しうる理由は、作家の創作活動においても、この類的人間の概念以前的実践意識が言語として表出されつつあることを根拠としている。
 そのように仮説を立てて本書を読むと、自己表出の一見矛盾ともみえる様相、個人の観念的幻想でありながら人類の歴史的実践でもあるという矛盾が解決されるであろう。

 一応この本のタイトルになっているのだから、「言語にとって美とはなにか」という問いの答を確認しておこう。答は「文学」である。だからこの本は言語芸術としての文学論なのである。その根拠は次の引用文である。

 言語にとっての美である文学が、マルクスのいうように「人間の本質力が対象的に展開された富」のひとつとして、かんがえられるものとすれば、言語の表現はわたしたちの本質力が現在的社会とたたかいながら創りあげている成果、または、たたかわれたあとに残されたものである。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房86頁)

 答を確認しても分かったような気がしないのは、ならば文学が美であるとはどういうことかという疑問がただちに生じるからである。これは問いを置き換えているに過ぎない。
 ただこの引用文を読むと、吉本は言語にとっての美である文学を、人間の本質力が創りあげた成果として捉えていることが分かる。「人間の本質力」などという言葉は曖昧であり、幾重にも解釈が分かれると思う。だが「マルクスのいう」ことに即して解すると、その対象的富に転化する本質力は具体的有用労働と抽象的人間労働の二つの側面がある。
 同様に文学についても、
 ①作家の自己意識が創りあげた美という具体的側面
 ②類的人間の概念以前的実践(つまり「わたしたちの本質力」)が表出した言語の美という抽象的側面の二つがあるはずである。
 表出史においては作品分析の性格上、吉本は自己表出を①の視点で説明している箇所もあるが、自己表出の歴史的水準についての言及は明らかに②の視点に立っている。
 また常識で考えても文学作品が作家の自己意識にすべて還元されることはありえない。
 二葉亭四迷は維新後の社会を描写するために落語の文体を借用したのだが、それは新時代の文学を創造したいという自己意識であると同時に、類的人間の概念以前的実践が言文一致を創造する過程でもある。
 言文一致は時代の要請であり、たまたま二葉亭四迷の文学活動に集約されたにすぎない。さもなければ定着普及することはなかったであろう。明治以後の新社会について戯作調の文では対応できないのは言うまでもない。
 文学作品を美とするのは当たり前すぎてとりとめもないが、少なくとも吉本の文学観には言語の創造を美とする視点があるように思う。
 言語学者なら、それは語彙の変化であって言語構造の変化ではないから言語の創造ではないと言うであろう。確かに日本語は過去も現在も粘着語であり続けているから変わらない面もある。そうした不変の構造をみて、言語学者は日本語が大昔に完成され、後は部分的変化だと勘違いしている。
 だが吉本の言語観では、言語はただの一度も完成してはいないのであり、日本語は常に社会の変化とともに変化し続けているのである。そしてその変化は決して終わっていない。一例をあげよう。
 二葉亭四迷らによって進められた言文一致の表記は、それまでの書き言葉ではなく、話し言葉を表音化したものとされている。だが、それは表音化として完成しただろうか?
 もし表音化を徹底するなら、「は」「を」は「わ」「お」と表記しなければならないはずである。だから表音化の進展が途中で概念以前的実践としては停止しているのである。停止した理由は概念以前性だから分からない。
 このことに私が気がついたのは、まさに本書におけるブイコフスキー『ソヴェート言語学』(高木弘訳編)からの引用である。

 動物にとって、他のものにたいするその関係わ関係としてわ存在しないのである。(中略)よくしられているよーに、人間が生産手段お生産する(中略)動物わ誰とも「関係しない」(中略)その関係わ関係としてわ存在しない

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房16頁)

 もういいだろう。ここまで徹底して「は」「を」を「わ」「お」に置き換えているんだから、誤植ではなく、翻訳者の腹に一物ある御様子である。
 このような表音の徹底化の動きが当時あったのだろうか、興味深い訳文である。
 この表音化わ現代からみると異形としかいいようがないが、それわ表音化が停止したためであり、そのことわ概念以前的停止である。もし、この引用文のよ-に表音化お徹底するならば、むしろ、現在の「は」「を」の表記の方が逆に異形なものとなっていたかもしれないのである。
 つまり現在の日本語を完成された言語として自然なものであるとする見方そのものが、逆に不自然なのである。
 上記の引用文は単なる変人の書いた読みにくい文章であるという印象を超えて、どこか居心地が悪く、安定した見方を揺さぶるような不気味さが感じられるとしたら、それはそのためであろう。もっとも誰も指摘しないので、不気味と思うのは私だけかもしれないが。

 この本の第1・2章は言語の基礎理論であるが、第4章の表出史へと接続するために第3章において言語表現の諸形態として韻律・選択・転換・喩が扱われている。
 そこでよく分からないのが自己表出と言語表現の違いである。
 本書に書いてあることは読める。つまり文字により言語が対象化されることによって、表出と表現が分岐したというのである。

 文字の成立によってほんとうの意味で、表出は、意識の表出と表現とに分離する。あるいは、表出過程が、表出と表現との二重の過程をもつといってもよい。言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめて完全な意味でうまれるのである。文字にかかれることによって言語表出は、対象化された自己像が、自己の内ばかりではなく外に自己と対話するという二重の要素が可能となる。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房89頁)

 この文章が分かりにくいとすれば、読み手が「意識」を自己意識と取り違えているからである。つまり<言語は(自己)意識の表出であるが、言語表現が(自己)意識に還元できない・・・>と読むと一体なんのことかワケが分からなくなる。。
 私は前半の言語と意識は、後半のそれらと異なると考える。すると次のように補って読むと意味が通じるのである。
 (有節音声としての)言語は(概念以前的実践としての)意識の表出であるが、(文字による)言語表現は(自己)意識に還元できない。
 この部分の吉本の説明が分かりにくいのは論理に飛躍があるからである。突然、天から文字が降ってきてそれが言語を表出と表現に分岐するのである。だが音声言語と文字言語をそのように対立的に捉えると、それまでの有節音声としての言語発生論が文字言語にどう繋がるのか分からなくなる。
 そこで「人間の意識」とか「人間の本質力」というものが「自己意識」だけでなく、自己意識と概念以前的実践の複合体であると考えると、言語表現に還元できない意識とは「自己意識」であって、音声とか文字などのシニフィアンとしての言語とは概念以前的実践の外化であり、「自己意識」に還元できない過剰があるのはそのためであることが明瞭となる。
 こうした観点からすると、音声と文字との違いは相対的であり、音声にも自己意識に還元できない過剰があるのであって、文字が対象物としてより外化が進んでいるにすぎない。
 つまり言語を創造する能産的側面においては、人間の意識複合体のうち、概念以前的実践が有節音声あるいは文字として自己表出されるのである。
 だが言語が創造された所産的側面においては、言語表現の中に自己意識が事後的に表現されるのである。
 これはマルクスの貨幣論と並行している。抽象的人間労働は貨幣として表出されるが、貨幣の中に抽象的人間労働が事後的に表現されるのである。
 このことは結果としての言語表現の中に自己意識が表現されているということを意味する。言い換えれば表現主体は概念以前的実践であり、表現結果の中に自己意識が結果として事後的に表現されているということである。
 確かに吉本の真意がどうであったか本書を読む限り曖昧な面もあるが、吉本が詩人である限り、自己意識を主体ではなく言語表現の結果としてみる言語観が根本にあったことは間違いないと私は信ずる。ランボーの「私とは一人の他者である」とはそういう意味である。
 第4章の表現転移論が読み手にとって分かり易いとすれば、それは言語表現の結果としての自己意識を表現主体と取り違えているからである。そのような取り違えはまさに表出史を概念以前的実践として捉え損ない、単なる文学史と取り違えることに外ならない。

 さて第3章であるが、この章は吉本の言語理論(第1・2章)と表出史(第4章)を繋ぐ鍵となっている。したがってこの章の理解が不充分であると、言語理論を基礎として文学史を表出史として捉えるという構想全体が曖昧となるのである。
 だが、まさに本書が難解であるのは、この章において吉本が言おうとしていることが不明瞭だからである。私は何度も読み返すのだが未だによく分からない。
 引用された作品の読みが見事であるにもかかわらず、理論的な意味が不明瞭なのである。このアンバランスは払拭できない。
 どうも吉本は自己表出を社会に対する反逆の論理として捉えているフシが感じられる。
 確かに個人は社会と矛盾対立する。したがって作家個人が自己表出をせり上げていけばいくほど、その言葉は理解不能になり、社会から撤退することになるというわけである。
 特に清岡卓行の詩の読みにおいて、そのことが感じられる。

ぼくがぼくの体温を感じる河が流れ
その泡のひとつは楽器となり
それを弾くことができる無数の指と
夜のちいさな太陽が 飛び交い
ぼくのかたくなな口は遂にひらかず
ぼくはぼくを恋する女になる
    

(清岡卓行「セルロイドの矩形でみる夢」)

 この詩について吉本は次のように解説している。

 言語が極度に自己表出をつらぬこうとして使われているため、意識の指示表出としての関係をたどることができないほど、言語の対他が消失してしまっている(中略)<ぼくの体温のような温い水が流れている河>という意味には必然性はないが、いったん<ぼく>の現実世界での存在の仕方を、その河の流れの幻想のなかに封じこめれば、そのなかで、泡のひとつが楽器になるという喩は、必然性をおびてくるようになる。(中略)もちろん、このような表現は、自己表出としての言語を、表出の意識自体が空間化できないような奥から、薄明のようなところからおびきだしていることによって成り立っている。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房131頁)

 確かに清岡卓行の詩は吉本の指摘するとおり意味不明の文である。だがしかし、吉本の言語理論からすると自己表出を極度につらぬくならば、現実はより精緻になり拡大されるのであり、指示表出が対象とする現実が縮小することはありえないのである。
 「言語の対他が消失してしまっている」というのも妙な解釈である。対他が消失してしまえば、それは詩ではない。
 自己表出を極度につらぬいているにも関わらず、対他が消失していないからこそ、それは詩として成り立っているのだ。
 清岡卓行の詩においては「現実世界での存在の仕方」が「幻想のなかに封じこめ」られているのではない。逆である。その詩が言葉によって新たな現実を産み出しているのだ。
 その新たな現実は、これまでの共同体には見えない現実であるが、類的人間の世界においては新たに出現した現実である。だからこそその詩は類的人間である読み手に届いているのである。
 吉本自身、言語にとっての美である文学が「わたしたちの本質力が現在的社会とたたかいながら創りあげている成果」であるとしている。その文学観からすると、文学の意識が現実から縮小撤退することはありえないのである。それが浮き世離れした戯言のように見えるのは、個人の集合である共同体に属しているからである。何度も言うが類的人間は共同体ではない。
 
 それにしても第3章に理論的意義があるとすれば、それは「言語にとっての美」を言語表現の価値とすることにより、表出史を言語表現の価値増殖過程として捉えることに道を拓いているからであろう。そして言語表現の価値とは、言葉の既存の意味を新しい意味にすることである。吉本が「喩」に着目するのは、それが隠喩であれ換喩であれ、既存の言葉の結びつきとは異なる結びつきで新たな意味を産み出すからである。そして「喩」が縮退したのが「転換」であり、それがさらに縮退したのが「選択」である。
 つまり個人が何らかの言葉を選択することは、独自の選択であるから、一般的な使用とは異なる「喩」へと上昇する最初の契機となるのである。例えば森鴎外の擬古文は古い表現形式だが、擬古文特有の型にはまった慣用表現ではない。森鴎外は古い表現形式を使いながらも、自分だけの視点によって特異な場面を選択している。たとえどんなに古めかしい表現であっても、対象選択に特異性があれば、それは文学としての美を創造するのである。
 したがって社会に逆らって独自の言葉を使うことが、新たな言葉の創造に繋がるのであるから、反逆の論理になる傾向があるのは理解できる。だがそうした選択も完全に自由ではないのであって、明治期の言文一致にみられるように時代の流れの中で選択している一面もある。それが類的人間としての概念以前的実践である。

 以上のような問題意識をもって読むと第4章の表現転移論が実に面白い。昔はこの章をよくできた文学史のように読んでいたのだが、やはり「1 表出史の概念」が重要である。
ここで吉本は単独者の視点を指示表出に、類的人間(概念以前的実践)の視点を自己表出に対応させているように思われる。

 ひとつの作品は、(略)異質な中心をもっている。(略)言語の指示表出の中心がこれに対応する。(略)あるひとつの作品は(略)決定的な類似性や共通性の中心をもっている(略)この類似性や共通性の中心は、言語の自己表出の歴史として時間的な連続性をなす

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房157頁)

 「言語の自己表出」を自己意識の表出と勘違いしていると、この文は意味不明であろう。なぜなら自己意識こそが単独者であるから、それが類似性や共通性の中心として時間的な連続性をなすというのは矛盾である。吉本は転倒したことを言っているように思えるのだ。
 自己表出こそが異質性の中心であり、指示表出が社会的な対象に向かうものとして類似性・共通性の中心をなすのではないか?
 だが「自己表出」を、類的人間の自己表出であると解釈すれば、吉本の言うことは納得できるのである。類的人間の概念以前的実践(吉本の言葉では「わたしたちの本質力」)であるからこそ、それは類似性や共通性をもち歴史を形成するのである。
 一方で吉本は単独者の意識も捨てないのである。吉本にとって「意識」とは自己意識と概念以前的実践の複合体なのである。だから、残余の「自己意識」は単独者として指示表出へ向かうのである。
 私の中には単独者として唯一の思いがある。この思いは誰にも理解されないものである。それを指示表出しようとすると、通常の言葉では言い表すことができない。だから単独者の視点として場面を選択し、それに適した言葉を独自の方法で選択する。あるいはそれが喩として言葉の新しい意味が創出される。だが単独者として指示表出しようとした思いが言葉として表現されると、それは類的人間の自己表出として他人にも理解しうる対他性ををもった表現となるのである。「あたらしいぞわたしは」(荒川洋治)と言ってみても、その新しさは類的人間としての読み手に理解しうるし、伝わるのである。
 吉本は「自己表出」「指示表出」の両概念を言語構造を説明するうえで便利のよい概念として提出しているのではない。言語において単独者の意識と類的人間の概念以前的実践がが融合しているからこそ、それを解明するものとして提出しているのだ。シュティルナー流の実存主義の流れとマルクス主義の流れがここで統合されるのである。さらに構造のダイナミズムも説明しうるものとなる。
 

 そこで吉本は表出史として明治以後の近代文学の作品を対象にするのだが、その理由は「現在への問題にちかづきやすいというほかに、どんな理由もない」(同上書165頁)というのである。だが、吉本の表出史の概念を見てみよう。

 ひとつの作品から、作家の個性をとりのけ、環境や性格や生活をとりのけたうえで、作品の歴史を、その転移を考えることができるか(略)いままで言語について考察してきたところでは(略)ただ文学作品を自己表出としての言語という面でとりあげるときだけ可能なことをおしえている。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房163頁)

 つまり事件も環境も個性もすべて取り去るということは、いかなる物語もないところで、歴史を露呈させるということである。それは指示表出から時間によって逃れ去るものの後ろ姿としてしか捉えることができない。その後ろ姿が「明治」ではないか。

 文学のような書き言葉は自己表出につかえるようにすすみ、話し言葉は指示表出につかえるようにすすむ。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房164頁)

 昔この部分を読んで、私は文学体が自己表出に、話体が指示表出に対応すると誤解したのだが、吉本はそんなことは言っていない。むしろ文学体と話体という異なった言語表現の型が自己表出としてみると同じ位相にあるものとして捉えることができると言っているのだ。
 話体としての「真景累ヶ淵」も文学体としての「佳人之奇遇」も言語表現の型としては戯作と漢詩体というようにまったく異なっているが、自己表出としてみると同じ位相にあるというのである。なぜそんなことが言えるのか。
 単独者としての作者の自己意識は指示表出として場面の選択に向かうのであるが、その選択についてみると両者ともに「無限に可能なやりとりのなかから任意のひとつを択んだもの」(168頁)という点で共通しているのである。したがって選択から場面転換によって独自の描写(喩)に近づくとしても、そこでの自己表出は指示表出と同様に任意性を帯びたものとなる。次の引用からそのことが明らかに読み取れるのである。

 ヘェお痛みでござりますか、痛いと仰しやるがまだまだ中々斯んな事ではございませんからナ。(以下略)

(円朝「真景累ヶ淵」)

 時ニ金烏既ニ西岳ニ沈ミ新月樹ニ在リ夜色朦朧タリ(以下略)

(東海散士「佳人之奇遇」)

 この二つの文が同じ位相にあるのは、どちらも単独者としての視点ではなく、誰が口にしてもいいような任意性を帯びているからである。
 吉本の場合、単独者の周囲の環境に対する闘いは、指示表出の単独性として志向され、それが言語表現された瞬間、類的人間の自己表出として他人にも理解される形になるのである。だから自己表出は共通性・類似性の性格をもつものであるとしても、その位相は常に指示表出の単独性により変革されうるものである。それが表出史のダイナミズムである。

 眠られる儘に過去将来を思ひ回らせば回らすほど、尚ほ気が冴て眼も合わず(以下略)

(二葉亭四迷「浮雲」)

 二葉亭四迷の場合は周囲の環境に対する指示表出の単独性が明確に自覚されていることが分かる。現代からみると単独者というほどの独自性がないとしても、「時ニ金烏既ニ西岳ニ沈ミ・・・」と比べてみると、とんでもなく単独であることが納得できる。
 このことが落語という話体を借用しながら、指示表出の単独性によって、「話体から文学体へ美的な体験の中心を抽出してゆく過程を最も鮮やかに徹底的につきつめたもの」となるのである。つまり二葉亭四迷は自己意識としては話体を採用していたのだが、指示表出の単独性によって、類的人間の自己表出としてみるといつの間にか話体から文学体へ移行し、「今日の小説文体の基礎を築いた」のである。
 同様に鴎外の『舞姫』も、自己表出としてみると文学体から話体へ移行したのだが、指示表出としての視線の単独性が背景にあることは言うまでもない。不自由な対句表現ではなく、ドイツにおいて作者による場面選択の独自性が明瞭だからである。
 こうしてみると戯作だから話体、漢詩体あるいは擬古文だから文学体というわけではないことになり、ならば何をもって話体と文学体を区別するのかという疑問が生じてくる。
 吉本は、話体とは自己表出の水準を固定して指示表出を拡大するものであり、文学体とは指示表出の水準を固定して自己表出を高度化するものとしている。(176頁第6図)
 つまり「舞姫」が文学体から話体への移行であるのは、擬古文という表現を維持しつつ、慣用的表現ではなく、独自の視線によって指示表出を拡大しているからである。
 「浮雲」が話体から文学体への移行であるのは、鴎外と同水準の視線を落語の文体で表現しているために、いつのまにか新しい言語表現となっているからである。
 吉本は文学体から話体への移行を自覚的とし、話体から文学体への移行は無自覚であるとしているが、自己表出が類的人間の表出であることを勘案するともっともであることが分かるであろう。

 第4章の「表現転移論」については、吉本による引用文の読みの深さと見事さにはいつも圧倒されるのだが、昔読んだときと同様、途中で論理がすり替わったような異和感がぬぐえないのである。
 いわば言語理論にもとづく表出史から始まり、いつのまにか実作者の表現意識の分析へ移行しているような感がある。どうも言語基礎理論に対して言語表現理論が追加されているような気がしてならない。つまり自己表出と指示表出の二つの座標軸だけでは説明しきれない視点が混入しているようだ。その兆は次の文である。

 意識にとっての<時間>や、意識の表出過程としての<時間>は、この生理的な<時間>と自然の<時間>に外からはさみうちされ、両者の矛盾にさいなまれて、そのあげく虚空に張り出したものをさしている。この<意識>の時間は、生理的な<時間>や自然の<時間>とちがって、生理現象や自然現象に還元することができない。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房281頁)

 生理的な時間とは、例えば体温の違いによって時間の経過速度の知覚が異なるということである。人間が感じる時間の恒常性は、体温の恒温性に依存しているのである。
 私は『心的現象論序説』における心的領域の時間・空間がどういうものか分からなかったのだが、この箇所で説明されているので、やはり吉本隆明を理解するには全著作を読む必要を痛感した。ここで吉本が主張しているのは、<文学作品>を構成する時間は、カント的な意味での時間とは異なるということである。
 意識の時間が生理現象や自然現象に還元できないというのは、吉本の説明では、例えばある文学作品が一生を描いているにも関わらず、読むうえで二時間の自然の時間しかかからないということである。この二時間は、感性の先験的形式としての時間とは異なる。
 そして吉本は言語表現の<時間>を考えるのだが、それは「言語の自己表出が、その指示性によって、停ったり拡大したり」することができるからである。私はまだその時間概念を充分理解していないのだが、少なくとも他の哲学者が述べている時間とは異次元の時間であることは分かる。それは詩人の比喩に過ぎないのだろうか? 私はロジックだと思う。
 なにも難しいことを言っているのではない。細密描写すれば時間は停滞し、<あれから1年>と書けば時間は飛ぶということであるが、そうした通俗的な意味ではなく、吉本はそのことを理論化して、さらに深く指示表出との関連を考えている。
 つまり、指示表出における選択が任意のものであれば、細密描写すればするほど時間は停滞する(野間宏などを例としている)が、選択に何らかの必然性があれば細密描写しても時間は流れるというのである。
 例えば吉本の解釈によると、三島由紀夫の『金閣寺』において主人公が金閣寺に入ったあとの描写は細密を極めるのだが、場面が漠然と選択されているのではなく、思想的倫理性をこめて選択されているので、自己表出としての時間が流れるというのである。この読みは、やはり凄いものがある。
 かくして作家の言語表現の分析と言語理論を統合することにより、自己表出と指示表出が、時間性と空間性に対応するのである。だがその時空概念は、言語表現としての<文学作品>を構成する時空であり、通常の意味とは異なることに留意しなければ、本書はまるで意味不明のものとなるだろう。
 吉本には『固有時との対話』という詩があるが、表出史が歴史であるなら、自己表出には自然的歴史の時間に対応する固有時があり、それを進めるか停めるかは、作家の指示表出が単独であるか通俗であるかにかかっているものと思われる。「固有時」とは言語表現を構成する異次元の時間、すなわち表出史の時間である。

 私の解釈は、吉本のいう「意識」は自己意識と概念以前的実践の複合体だとするものだが、それはアルチュセールのプラティク概念に触発されたものであるが、吉本が言語をプラティクとして見ていたと仮定すると、本書について多くの矛盾とみえるところや曖昧なところが、スッキリするのである。そして概念以前的実践がプラティックとしての言語を表出するのである。
 とはいえ名付けてしまうことは危険でもある。「概念以前性」もまた一箇の言葉であり概念であるから、「私は嘘つきである」という自己言及的なパラドックスである。
 本書が難解であるのは、そうした概念を名付けることを回避して書かれたからではないかと私は推測している。ただ、吉本はそれを「人間の本質力」という名前で名付けようとしたようだが、なぜか御得意の新造語は使わないのである。そこに私は吉本の自己抑制をみる。
 だが、それを「人間の本質力」と呼ぼうとあるいは言霊と呼ぼうと、言語には何らかの自己意識を超える過剰があるのであり、吉本が自己表出にその過剰を見ていたと解すると、この著作にみられる矛盾とも思えるものについて一応の整合性が得られるのである。
 矛盾というのは、自己表出が一方では共通性・類似性をもって歴史を通じて累積されるものであること、つまり「表現の内部では」共同幻想性を帯びていると同時に、他方では作家個人の現実からの疎外として観念性をもった個人の幻想性として捉えられていることである。
 つまり作家は自己意識としては現実からの疎外を幻想として自己表出するのだが、表出された言葉は概念以前的実践として時代の刻印を帯びるということである。なぜ、概念以前か? 
 それは日本語を使うとき、またそれを書き付けるとき、キーボードで打つとき、私たちはなぜそうしているか、外国人から見たら、奇妙であるに違いない平仮名まじりの漢字をなぜ使っているのか、その理由も根拠も一切知らないからである。
 私たちが意識しているのは、ただ言語表現された内容のみであり、その形式については、ただそうなっているからそうだとしかいいようがない。言葉を使う者は、その事実についてもう少し敏感なった方がよいであろう。そのことを事実と知るだけでは不充分である。問題は、そうした概念以前的実践が自己意識に先立っているということである。自己意識は実践のあと、事後的に生じるのである。実践が意識に先行する。それゆえ「概念以前」なのであり、マルクスと同じである。
 しかも吉本にとって、それは到達点ではなく出発点である。そのことに基づいて、時空概念を組み直したのである。

 さて第5章の構成論は冒頭から何を言っているのか意味不明だったのだが、以上のように解すると吉本の言うことがだんだん見えてくるのである。記紀歌謡の成立過程について諸説に触れたあと、吉本は次のように述べている。

 ひとびとは、あるいは理解しないかもしれないが<書物>が成立する過程は、口承によって流布されたものでも、個人の創造によるものでも、本質的にかわらないのである。まず、ひとりの個人にモチーフの萌芽が到達し、しだいに形をあらわし、それがたくさんの削減や修正や休止をへてひとつの<書物>に凝縮する。とおなじものを、もし記紀の背後のたくさんの口承のあいだに想定するならば、口承歌謡がひとつの<書物>のなかに成立する長いあいだの、まったく異質ともいえるさくそうした流布と沈滞の期間を想像することができる。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房342頁)


 だいたい、このあたりでこの本を放り出したくなるのだが、言っていることは個人の自己意識による創作過程も、集団による創作過程も<書物>としてみると本質的に同じ過程として想定できるというのである。
 なぜ、そんなことが言えるのか? 
 それは言語として表出されたものが、自己意識と類的人間としての概念以前的実践の錯綜だからではないか。だから作家の自己意識は類的人間の無意識でもあるのだ。それを代理するのが言語である。そのことを逆にみると類的人間の無意識をあたかも作家の自己意識のように想定することも可能となるのである。
 これは労働価値が抽象的人間労働として超感性的であり、それは貨幣という価値形態を取らない限り感性界に現れないということと同型である。類的人間の無意識、言い換えれば作家の抽象的人間労働は作家の自己意識形態を取らない限り感性界に現れないのである。
 このことは記紀歌謡の成立について、それがいつごろ口承され、いつごろ蒐集されて文字として記録されたかという事実考証(芸術の祭式発生説)だけでは不充分であり、それとは「異質な上昇」(343頁)として記紀が成立したという見解に結びつくのである。
 吉本の折口信夫の評価はそうした視点に立っている。折口の直観が吉本の言語理論によって位置付けられているのである。
 折口は記紀以前に「神の独り言、いいかえれば巫師の神憑り状態の表出としての叙事詩の原型と、神の意思表出としての片歌の原型」を想定しているのだが、吉本によると「たとえ実証がこれをくつがえしたとしても、想像的真としての意味はきえない」と高く評価している。
 私はこの「神の独り言」「神憑り状態」こそが類的人間の概念以前的実践だと思うのだが、吉本の言語観は、そうした自己意識を超える過剰なもの、いわば「人間の本質力」が、作家の自己表出という形態をとるということである。
 だから、この「神の独り言」が記紀歌謡として成立することが、作家の自己表出と本質的に同じ「異質な上昇」となるのである。吉本は折口が詩人であったからこそ、本質的に同じ過程として洞察できたのだとしている。そのことは詩人である吉本についても言えることだと私は思う。

 第四章の表現転移論は概ね散文(小説)を主な対象として言語芸術が論じられてきたが、第五章は言語芸術の諸ジャンル(詩、物語、劇など)の生成発展が考察対象となっている。
 これもまたおそろしく深遠な議論が展開されるのだが、吉本は記紀歌謡を対象として言語芸術の起源から考察しているのである。
 吉本は諸ジャンルの生成発展をすべて<構成>概念によって説明しようとするのだが、この<構成>概念に吉本がいかなる意味をこめているのか表立って説明されていない。ただ、文脈からすると自然疎外と対人疎外の二つの組合せ(構成)が原初の出発点である。
 つまり吉本は疎外を一括りにせずに、そこに種別性があることに言語芸術の起源をみているようだ。逆に疎外に「切れ目」がなければジャンルに区分されることはないということである。これは自己表出・指示表出とは別の第五章における新しい論理である。
 図式的に言えば、自然からの疎外を呪言に、隣人からの疎外を律法に対応させ、神憑りの巫師においてはその二つが未分化であったが、土謡詩における「問答対」から叙景詩・叙事詩における「対句」へ分化発展したとみている。
 つまり問答対とは、自己-隣人-自己-隣人-・・・への問答の連環であり、主題が回帰することはなく発散するので、それは個人の創作ではなく「太古の口承時代のかけあい」を反映したものと吉本は推測している。太古の時代では社会の認識が遠隔化されることなく隣人との関係として集約されているのである。これを初源的な構成単位として、対句に発展すると、自己と隣人の問答の切れ目が弱まり、個人の叙景詩・叙事詩となるのである。
そして対句のようにととのった構成の展開は、話し言葉から書き言葉への抽出を抜きには考えられないとしている。

 このことは、いうまでもなく詩が、現実の<場>としての祭式行為の痕跡をうしなって、しだいに昇華してゆく過程を象徴するものである。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房383頁)

 そして叙景詩は自然に対するものとして自然疎外である呪言から発展したものであり、叙事詩は部族の歴史ということで対人疎外である律法から発展したものとみている。この二つは抒情詩に統合されることで、呪言・律法の痕跡が完全に消えることになる。この流れは知識層によって荷われ、別系統の土謡詩から儀式詩への流れは庶民層によって荷われたと吉本はみている。かくして原初の構成(自然疎外と対人疎外の対)は抒情詩において痕跡をとどめない自己表出へ高められるのである。

 抒情詩の成立は、古代人たちが、自然にたいして、あるいはじぶん自身に対して観ずる対立の意識を、自然や部族間の人間との関係の意識なしにも、じぶんの内部でしらずしらず補償しうるまでになったことを、象徴するものであった。いまや地上の律言社会は、影のように古代人たちの内的な世界に浸潤したのである。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房393頁)

 このように図式化すると単純すぎてしまうが、これを記紀歌謡からの引用により検証しているので説得力がある。「八島国 妻枕きかねて・・・」の分析は素晴らしい。
 確か『共同幻想論』における吉本のフロイト批判の骨子は、個体幻想と共同幻想の水準の違いを無視して、個体幻想としてのみ有効な精神分析を宗教や親族制度に拡大適用しているというものであった。
 だが、第五章構成論を読んでいると、吉本もまた個体幻想と共同幻想の<指向変容>のような論理を展開しているように思われる。記紀歌謡の成立過程があたかも疎外による個体幻想のドラマのようにみえてくるのだ。
 つまり吉本は柳田・折口説を高く評価しつつも、それが祭式における神の独り言(呪言)と記紀歌謡を地続きのように解釈していることを批判している。それはあたかもトルストイの『戦争と平和』をナポレオン戦争に還元するようなものだとしている。
 吉本は記紀歌謡を祭式とは「異質の上昇」をとげた高度な言語芸術とみており、祭式からの抽象による問答対、問答対における切れ目の稀薄化による対句、呪言の痕跡の消失という過程をへて成立したもので、それは作家個人が生活の中から素材を抽象して作品に昇華させるのと本質的に同じ過程だとしているのである。
 この祭式から記紀歌謡へ至る細緻な分析は、素晴らしい洞察だと思われるのだが、なぜ、吉本のこの見解があまり重視されないのか不思議である。
 興味深い見解だが、所詮、国文学の話だということだろうか? だが、吉本は言語の考察から独自の時空概念を打ち立て、さらに共同幻想論として国家論批判まで行っているのだから、この文学三昧の考察は現実の意味があると思う。本書が当時の私達若者を惹きつけたのはそれなりの理由があるのだ。

 吉本は記紀歌謡について、土謡詩 ⇒ 叙景詩・叙事詩 ⇒ 抒情詩の知識層による発展に対し、土謡詩 ⇒ 儀式詩への庶民層による発展を並置するのだが、吉本が引用する抒情詩と儀式詩を比較してみると確かに儀式詩(国見歌、酒宴歌、宮廷寿歌など)の方が抒情詩と比べて無個性であり、吉本の洞察は的に当たっているように思える。
 さらに、この二つの流れは「詩」から「物語」への発展の伏線になっている。
 物語の発生について吉本は諸説検討したうえで、どの説も「詩」が到達した自己表出の水準からさらに「物語」へ発展しなければならない理由を明らかにしていないとしている。
 吉本は発生した物語にすべて歌(詩)が挿入されていることに着目し、それらの挿入された「詩」が物語の古層から突き出た露岩のようなものと見ている。
 つまり「物語」は「詩」が到達した自己表出の水準を「仮構線」として、そこを土台にして成立した言語表現(指示表出と自己表出によりはさまれた言語空間)であるとしている。
 このとき、歌物語は「伊勢物語」のように抒情詩を露岩とするものと、「竹取物語」のように儀式詩を露岩とするものの二種類しかないことから、抒情詩と儀式詩の二つによって到達された自己表出の水準が物語の土台としての仮構線であるとしている。つまり抒情詩の自己表出の水準のみでは空間性がなく、指示表出へ偏倚した儀式詩の水準で補うことではじめて物語として巡遊しうる空間が成立したというわけである。
 このことの傍証として、「竹取物語」における観念語の起源説話と「風土記」における地名起源説話とを比較して、「竹取物語」が観念世界を巡遊する物語として仮構線の象徴となっていることを指摘している。このあたりの読みの鋭さは折口説の穴を埋めていくものであり、物語の生成過程を理論的に根拠づけるものである。こうしたことを吉本以外に試みた者がいるだろうか? 否、そもそもそのこと、つまりなぜ「詩」から「物語」へと発展したのか、その理由を問題として立てた者がいるだろうか? 誰もが自明の事実として受け入れている事柄について、あえてその原因を問うのである。それはスピノザ的探究でもある。前人未踏とはこのことである。
 さらに吉本は伊勢物語と大和物語の二つの歌物語を比較し、どちらも抒情詩を露岩としているが、伊勢物語は露岩が中心となって、かろうじて在五中将という一人物に統一されることで抒情詩集から物語へ転移しているのに対し、大和物語の方は、挿入された抒情詩よりも詞書自体が説話的に拡大されたため主題が散乱していると指摘している。このランダムな構成について吉本は次のように総括している。

 主題の統一と、抒情詩の露岩からの表現の上昇とは、相互に矛盾するほかなかったのである。(略)本質的な理由は、物語の言語帯が、その<仮構>線を抒情詩と儀式詩の露岩から、完全に離脱するまでは、主題と構成のあいだの二律背反をさけることはできなかったためである。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房430頁)

 吉本によると主題の統一がなしとげられたのは宇津保物語であり、男女の相聞関係をクモの糸のように張りめぐらせることによって物語の構成の流れが連結されたのである。吉本はこの男女の相聞による構成の連環法が、物語文学成立の本質であり、源氏物語はこの方法を引き継いだものとしている。
 吉本は折口説の「恋歌」の起源が「こひ歌」であり、相手の魂をひきつけること、たま迎への歌であるとする説を引用して、次のように総括する。

 いわば、叙景詩時代ではまったく自然の風物による<暗喩>としてしか表現せられなかった人間と人間との情感の関係は、抒情詩時代にはいって内在化され、物語が、成立するとともに、人間と人間との構成の関係そのものの意味を荷って登場するという経路を想定することができる。ここでは、折口のいう「魂乞ひ」とまったく対照的な意味で、<相聞>は、人間関係の地上的な構成を接続する普遍性を意味した。(略)
 物語における男女の<相聞>は(略)色好み、すなわち男女の性的関係あるいは情交を意味するものではなかった。そういう云い方がゆるされるとすれば、現実社会での人間と人間のあいだの地上的関係の煉獄を、まさに折口の「魂乞ひ」がかんがえたのと逆立した意味で、普遍的に象徴するものであった。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房432頁)

 折口説を自分の理論的分析の道具にしてしまうこの部分は、本書の中で最もカッコいい箇所であり、言語理論などどうでもよくなってくるぐらいである。
 なぜカッコいいか、それは左翼陣営の歴史的解釈でもなく、国文学者のように感情移入や直観による解釈でもなく、自己の理論によって誰も見たことのない世界を露呈させているからである。
 それは理論と現実が融合する世界を垣間見させるものである。この本は意図的に歴史的背景を捨象している。摂関政治への移行とか律令制の崩壊などという、物語成立の背景としていかにももっともらしい説明を行っていないにも関わらず、他のいかなる説よりも吉本の解釈の方が「現実」であるように思われる。文学作品の内部へ深く沈潜することによって、別種の歴史が生成している。それは別の時空概念へと繋がるものである。
 「土佐日記」「かげろふ日記」「和泉式部日記」などの日記文学について、吉本はそれらが説話物語と異なり表現者の内的世界に主題を集中させることで自己表出性を高めたとしている。そして「源氏物語」は宇津保物語によって統一された説話物語と自己表出性を高めた日記文学との総合であるとし、前半と終末の宇治十帖との色調の違いは、説話系から日記系へ移行したからだとしている。

 源氏物語の構成は、宇津保物語をそれほどしのぐものではない。光源氏三代にわたる世界を<相聞>によって連結しながら、しだいに年代の移り変わりを追うという説話的な連環をこえて、統覚された構成をもつものとはいえない。しかし、作者(たち)によって意識せられたといなとにかかわらす、発端の説話的な言語が終末の日記文学系の言語にうつりかわる過程には、わずかに内在的<時間>の流れを象徴する長篇としての首尾が表現せられたということができる。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房441頁)

 つまり「源氏物語」が価値があるのは、それまでの説話物語や日記文学の流れを総合しているからであり、源氏物語に憧れる「更級日記」や主題の特異性を強調する「とりかえばや物語」などには作者と時代との普遍的なかかわりが存在しないということである。
 吉本は物語から劇への発展を論じる前に、初めて「構成」概念を次のように明確にしようとするのだが晦渋である。

 構成としての言語は、詩と物語のあいだでは、いわば<仮構>線をさかいにして<飛躍>するということは、わたしたちの考察がみちびいたもっとも主要なテーマである。(略)文学作品の構成とは、指示表出からみられた言語の展開の力点の転換である。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房442頁)

 吉本はX軸を指示表出、Y軸を自己表出とする二次元の座標平面を多用するのだが、その座標平面を「ジャンルとしての言語芸術」とすると、「飛躍」とは座標平面がY軸方向へ垂直に平行移動したものとイメージできる。このとき、Y軸の自己表出は連続的上昇であるが、X軸の指示表出は不連続の飛躍となる。これが「指示表出からみられた」「力点の転換」ということであろう。つまり「構成」とはジャンルである「座標平面」の平行移動、いわば慣性系自体の移動のことであり、垂直方向への平行移動である「飛躍」が「詩」と「物語」のジャンルを区分することになるのである。
 
 さて劇とは何か、という問いに対して、吉本はそれもまた「物語」を自己表出(Y軸)に沿ってさらに垂直に上昇したものとみている。劇的言語帯は物語的言語帯の上に展開されるのである。
 吉本の劇の考察はブレヒト批判から始まるのだが、ブレヒトに限らずどの演劇論者も、舞台空間の特異性に気がついていないと批判している。舞台空間とは、詩から物語へ向けて達成された言語の自己表出水準を底辺として、さらにそれを乗りこえた異次元の空間だとしている。象徴劇であろうとリアリズム演劇であろうと、街角で演じられようとビルの屋上であろうと、舞台が舞台である限り、それは詩と物語を超えた異次元の空間なのである。

 演劇とは、劇的な言語帯にはいってくる日記物語の言語と説話物語の言語とを、歌舞や所作や道具や舞台に(舞台は境界であるが)転化したところの言語としての劇である。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房457頁)

 境界ということは、観客は舞台の手前で物語的言語帯にとどまるということであり、俳優は舞台という異次元の空間で劇的言語として存在するということである。俳優に限らず、道具や歌舞もすべて物語を示しているのではなく、物語を超えた劇的言語を示しているのである。「劇という概念は、それ自体が物語を踏み台にした高度なもの」(458頁)なのである。
 吉本の演劇論は、著者独自の構成論に基づくものであり、演劇というジャンルがなぜ発生したかということについて本質的な洞察をもたらすものである。だが、その論理が説得力を持つのは、浄瑠璃・歌舞伎までであり、現代演劇には及ばないように思われる。
 なぜなら、演劇空間を成立させる<仮構>線の飛躍的上昇の根拠として、吉本は「日記文学」と「説話物語」を踏み台としているからだ。(446頁)それは歌物語が自己表出に偏倚した抒情詩と指示表出に偏倚した儀式詩を踏み台にして飛躍したのと相即している。つまり劇的言語への表出水準の飛躍は、自己表出に偏倚した日記文学の到達した水準と、指示表出に偏倚した説話物語のそれとによって達成されるというわけである。
 だが「日記文学」と「説話物語」によって達成された<仮構>線の飛躍は、浄瑠璃・歌舞伎には当てはまるかもしれないが、現代演劇には当てはまらない。
 私は吉本をけなしているのではなく、吉本の演劇論も万能ではないと言うだけである。その構成論による演劇空間の成立は確かに説得力がある。特に浄瑠璃・歌舞伎において、なぜ情死と密通がテーマとなり、遊郭・私娼街の女性が主役となったのか、その理由を解明している点である。なぜなら舞台というのは異次元の空間であるから、そのような現実から虚構への飛躍を行うには、必然的に社会底辺の者が主役になる必要があったからであるとしている。つまりそのテーマがそれほど普遍的であったのは、単なる観客の趣向に応えるためではなく、高度な劇的空間への飛躍を達成するために必要だったというわけである。私自身、文楽の情死の場面を観た経験からすると、その洞察は当たっているように思う。
 だが、それはやはり、浄瑠璃・歌舞伎までの議論であり、現代演劇についてはまた別の理論が必要であろう。特に自己表出と指示表出の水準の上昇に対応するものとして、「日記文学」や「説話物語」では時代が合わない。
 では、何が一体それに対応するのか? 現代において自己表出の偏倚に対応した文学作品とは何か、そして指示表出の偏倚に対応したものとは何か? それを特定できれば、言語表現のより高度な飛躍を達成する新しい文学空間が生まれるかもしれない。
 そうした視点からみると、三島由紀夫の戯曲は単なる古典趣味のデクラマシオンではなく、あたかも日本庭園の庭石のように、各々の登場人物が物語となり、物語という庭石を踏み台として、より高度な言語表現としての劇的空間を生み出しているとみることもできる。すると不自然で長い台詞も反時代的ではなく、時代の先端を行く試みであったかもしれない。だが、物語だけでは自己表出に偏倚しているだけだから、それは劇的空間としては観念的空間として終わっているようにも思われる。現代的な意味での劇的空間が成立するためには指示表出に偏倚した芸術によって物語を補足する必要がある。それは未だ誕生していないようだ。だが、それが誕生すれば、言語芸術としての小説はその主導的役割を終えるであろう。

「第6章 内容と形式」は軽く読み流すと、本書の付け足しか、ヘーゲルくずれの左翼評論家批判というような趣きであるが、決してそのようなものではない。むしろ、吉本の全著作群を読み解くうえで、根本的な指針が示されているのであって、この第6章を読み落とすならば、吉本思想の精確な読解は不可能となり、誤読に陥るほかはないと断言できる。

休養のために読まれるのには『美学』をおすすめします。もし、一奮発して多少とも精読されるならば、驚嘆の念を新にされるでしょう。(「エンゲルスからの手紙」)(536頁)

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房536頁)

 吉本は「休養」のためには睡眠をねがうと半畳を入れながら、ヘーゲルの『美学』を引用しているが、長くなるので割愛する。
 ヘーゲルが言っていることは内面は外面との比較によって内面の欠如が生じ、それを否定して外面と調和するということではない。そんなことでは驚かない。ヘーゲルが言っていることは、内面は欠如そのものを自ら否定する契機を備えている総体であり、内面がそのまま外面であると言っているのだ。つまり実体的に内面と外面が対立して存在しているのではないということである。吉本はこのヘーゲルの見解が自らの芸術観と合致するものとみている。

芸術の内容と形式の関係は、それとはちがう。内容にすみずみまで浸透せられ、それ以外には動かしようもないものとしてしか芸術の形式は存在しない

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房539頁)

 つまり内容が形式という外面を備えるのではなく、形式がすべてなのだ。同様にヘーゲルにおいても内面が総体であり外面が実体として対立的に存在するのではない。
 このことは内容と形式、内面と外面という二項図式が無効であることを意味する。
 私はこれまで読解の便宜上、吉本の「意識」概念は自己意識と概念以前的実践との複合体であるとしてきたが、そのような読み方は内面と外面との実体的対立を前提にした読み方であると誤解されるかもしれない。だが、自己意識と概念以前的実践は、あたかも労働価値のように貨幣形態、すなわち言語形態を取らない限り感性界に現れないことは指摘してきたつもりである。
 吉本の芸術観からすると「意識」はそう名づけられているだけで、実体としては存在しないのだ。形式としての言語があるのみで、それが「内容にすみずみみまで浸透せられ」ているのである。これは決してポストモダン風の後付け解釈ではなく、吉本は1965年に既にそのことを本章で指摘しているのである。

 「第7章 立場」もまた、それまで不明瞭だった自己表出・指示表出の概念が明確にされている。後出しもいいところだ。この第6章と第7章こそが本書の思想的中核である。
 したがって本書は、第6章と第7章を先に読んで、第1章から読むと分かりやすいと思う。
 第6章において、吉本は言語芸術においては言語表現しかなく、内容と形式は言語表現において「わかたれない全体性」としてある。つまり俗説のように文学とは主観的内容(作者の自己意識)が客観的形式(言語表現としての文学作品)によって表現されたものではないと明言している。

この全体性は、もしベクトルに分解すれば、言語の自己表出と指示表出とにわかれるのである。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房556頁)

 つまり自己表出と指示表出は実体ではなく、「もしベクトルに分解すれば」と保留された概念であり、実体は「言語表現としての文学作品」としてしか存在しないのである。
 それにしても第6章における自己表出を「架橋」とする説明は誤解を招きやすい。

かれらは、いずれも、文学(芸術)の内容と形式が、表現する者と表現せられた文学(芸術)作品のあいだの<架橋>(自己表出)に根拠をもち、表現するものの現実的な存在性と社会的土台とは、この<架橋>(自己表出)を介して濾過されることによってしか、文学の内容と形式に滲入することはないということを全く了解することができなかった。

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房571頁)

 こんな風に説明されると、また主観的内容(表現する者)と客観的形式(表現せられた文学作品)の「架橋」として自己表出が説明されているように思ってしまう。確かにそう誤読してしまう面もあるが、注意深く読むと、自己表出の「自己」が主語となって表現者と作品を架橋しているのではないことがわかる。文学の内容と形式が、「自己表出」という架橋に根拠があると言っているに過ぎない。そして、表現された文学作品の中に<架橋>があり、その<架橋>を通じてしか作者の現実的な存在性と社会的土台は存在しないと言っていることが分かる。この微妙なニュアンス(区別)は、第7章においてさらに明確にされる。

わたしのかんがえでは、言語が情緒を表現しているようにみえるばあい、その理由を、心的な態度のなかの情緒性に負わせることは誤解である。おなじように言語の指示性に負わせることもできない。ただ言語の自己表出性に負わせることができるだけである。自己表出性たるや、ひとつの架橋(Brücke)だから、言語と心的な態度の両端にまたがり、そのどちらにも足をかけているようにみえるが、ひとたび表現芸術である作品をかんがえるばあいは、心的な態度と表出された言語とのあいだのかけ橋とかんがえるよりも表現された言語のもつ構造とみたほうがいいのである。(576頁)

(『吉本隆明全著作集6』勁草書房576頁)

 出た! この箇所こそが自己表出に関する吉本自身による明確な説明である。
 つまり、悲しい自己意識が、「悲しい」という言葉で悲しい気持を表出しているのでもなく、また悲しい気持を指し示しているのでもない。そして言語の自己表出に負わせると言っているのでもない。「自己表出性」に負わせているのである。ここで初めて主語として「自己表出性」という言葉がでてくる。つまり吉本にとって自己表出とは複合助詞であり、~性としてしか主語にはならないのだ。吉本は常に「意識の自己表出として」というような言い方をしており、単独で「自己表出」という場合は、意識との関わりではなく「自己表出のつみかさなり」というように、歴史的側面を説明する場合に限られている。つまり意識と言語との関係では、自己表出の「自己」は主語にならない。これは注目すべきことだ。
 そして本章で吉本は自己表出性が「表現された言語のもつ構造」であることを明確にしている。言語表現こそが実体であり、自己意識と指示対象は構造の関係項にすぎず、自己表出性が関係それ自体であるのだ。

 思えば1960年と70年安保闘争のちょうど中間にあたる65年に公刊されたこの分厚い著書は異様な本である。政治情況への言及が一切なく、ただひたすら言語・文学の考察に徹底している。このような文学三昧ともいえる本書に当時の若者が熱中したのはなぜだろうか。
 それは文学の考察を徹底させることが同時に現実社会の洞察に繋がることを雄弁に示しているからである。
 例えば王朝文学における男女の「相聞」が物語世界の本質であるとする洞察が、『共同幻想論』における対幻想の重視に繋がったことは間違いないだろう。
 戦後表出史論も、文芸評論家の趣味的な考察とは一線を画すものであり、言及されない戦後社会が表象ではなく現実として露呈している。
 語らずして語るという趣きがあり、社会を総体として把握するうえでの理論的洞察の有効性が示されている。
 それはナマの現実というものはどこにもなく、現実それ自体がいつもすでに編集されたものとして虚構の一部であるからかもしれない。であればこそ、本書の時空概念がそのまま、共同幻想論や心的現象論へ受け継がれたのである。吉本思想は、通常の世界とは異次元に属するものであり、だからこそ「現実」の専門家から多くの批判を浴びたのだが、吉本思想における視線の単独性はいつまでも古びることはないだろう。
 ということは吉本思想こそ指示表出に偏倚した作品と言い得るかもしれない。そして小説が自己表出に偏倚しているとすれば、両者が到達した表出水準を時空とする新たな文学空間が見出されるかもしれない。それはこれまでのジャンルとは全く異質のジャンルとなるはずである。

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