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ボクが長年悩み、迷い、挫折を繰り返しながらも見つけた、損をしないための生き方のメソッドや、価値観の自己表現、日常の中での気づきや発見について、一方的に発信しています。 SNSでは言いにくいことや、より深く踏み込んだ内容をここでシェアしています。あなたの人生やキャリアに少しでも役立つヒントをお届けできれば嬉しいです。 \月500円以下で記事ガチャ放題しない?/
普段なら選ばないことを意識的にやる。 あえては、自分の枠を広げる力を持っているんじゃないかと思うんだ。 たとえば、普段なら手を伸ばさない本を読んでみるとか、いつも行かない道を散歩してみるとか。「あえて」やってみることで、いつもとは違う景色が見えてくることがある。 でも、「あえて」をちょっとだけで終わらせるんじゃなくて、思い切りやりすぎるくらいに振り切ってみたらどうなるだろう?ボクはそういう人だ。
薬の小瓶は静かにそこに佇む。 朝日の中でささやく声。 “今日も私を忘れないで”。
ワンコイン、キャッシュレスという言葉、当たり前のように使っているけれど、現金であることが前提にある言葉です。 現金を使わない方法を指す便利な言葉ですが、もしそれが完全に当たり前の世界になったら、この「キャッシュレス」という言葉自体が、どこか時代遅れに聞こえてしまう日が来るんじゃないかと思いました。 言葉が死んでいく現金が日常から消え、キャッシュレスが標準になったら、わざわざ「現金を使わない」という選択肢を表す言葉が必要なくなる。 そうなれば、「キャッシュレス」という言葉
伝えたいことを見失うもどかしさ言葉を紡ぐのは得意だけど、気づけば収拾がつかなくなってしまう。 ボクもその一人です。なんなら毎日それが起こっている。 言葉が次々と頭に浮かび、それらを繋げていくのが楽しくて仕方ない。 でも、いざ誰かに伝えようとすると、情報が膨らみすぎて整理できず、結果として「何を伝えたかったのか」がわからなくなることがあります。 頭の中に詰まった情報がパンパンになり、肝心なポイントが埋もれてしまう感覚。それが自分にとって大きな課題だと感じています。 「
都合の悪いことは、気づけばいつの間にか 頭の中から抜け落ちている。 思い出そうとすると 砂のように指の間をすり抜けていくのだ。 「それ覚えてる?」と尋ねられて 笑ってごまかしたことが何度あっただろう。 本当は覚えているべきだったのかもしれない、 けれど、その場しのぎの曖昧な笑顔は ボクの心に何かを隠そうとする癖がある。 忘れることで傷が癒えたのだろうか? それとも、ただ思い出す力が弱いだけだろうか?
ビジョンは「目指す未来」イデオロギーは「その未来を目指すための考え方やルール」のことです。 「言葉で人と人を繋ぐ未来を作りたい」というのがボクのビジョンで、「誰もが安心して発言できる場を作る」というのがイデオロギーです。 ビジョンが『未来の目的地』なら、イデオロギーは『その道中で大事にするルール』という感じ。両方が揃っているからこそ、迷わずに進めるし、途中でつまずきにくくなります。 もっとわかりやすくするために、キャンプを例にしてみます。
今朝、noteでなるほどな!!と共感した記事に対してコメントをしたところ、いいねだけ返ってきました。
朝起こして欲しいと言ったのに『遅刻するよ〜』という親の声にイライラする。 よくあるシーンだが、反抗期がすべての原因ではない。問題は勘定に入れてない要因があることだ。 反抗期の発生フローを分解してみよう。 反抗期の葛藤に目を向けがちだが、実はこれは表層的な問題。葛藤までは誰にでも起こりうる。 その後の選択肢に問題がある。 そう、親に対して言ってしまうのはなぜなのか。 登場人物にぶつけることがなぜ正しいフローではないのか? “登場”は親だけではない。起きなければいけな
毎日のコツコツボクらは膨大な時間を細切れにして、仕事をしたり、趣味に充てたり、食事をしたりしている。 その中でも最近顕著になってきているSNSや動画などの消費している行動について考えている。 時間がないわけではない。平等に与えられた24時間をどのように切り分けているのか、必ずと言っていいほど無駄な時間と無意識に消費してある時間がある。
家には2種類、グリーンがあります。秋の前になって少し元気ないから心配。 100年前と現代の悩みいま、夏目漱石の道草という本を読んでいます。 没後50年経っているので著作権は切れているのだとか。生きている人のためのルールで作品の尊厳を永遠守るわけではないという、不思議な感覚です。 当時も今の世の中も、お金のために生きている人ばかり。主人公の健三はやり切れないような孤独感を感じます。結局金なんだ、と絶望している健三の資本主義への大きな壁を感じていたのではないでしょうか。
真似をして置き換えられる言葉の多さたるや。 ボクたちは何かを「真似る」ことで成長する。 それは子供が親の言葉を真似て話し方を覚えるように、あるいはアーティストが憧れの作品をなぞりスキルを磨くように。 「真似」という行為、言葉を変えるだけで驚くほどニュアンスが変わる。 「インスパイア」と「オマージュ」では全然違う。 今回は、「真似」にまつわる言葉を一つずつ紐解きながら、そこに潜む創造のエッセンスを探ってみたいと思います。
人生を整理するシンプルな公式。 変わらないものを「定数」。変わるものを「変数」として捉えるといいとどこかで見かけた。 革命的だと思う。人生の大半は整理できるんじゃないか?とさえ思った。 ボクはいつも、無限に散らかる思考や興味の中で「これは変えられない」「これは変えられる」と仕分けしながら進んでいる。 ADHDの特性があるからこそ、この公式がボクにとっての「地図」になる。
小さい頃におとんに言われた言葉の中で 「頭を使って考えろ」 という言葉がずっと心に残っている。 小学生の頃から他の人に比べて目立ちたがりで、 スポーツはできるし、コミュニケーションは得意だったから、 頭を使わないことしかできないのだと解釈した。 頭が良くないのだと思い、年中図書館に通い詰めたことがある。 知識を詰め込んで、あらゆる事象について知っていれば、賢くなれるのだと確信していた。 でも頭は悪いままだった。 普通の人より、頭を使えないのかもしれないと思った。 多少勉