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noteを楽しみつつ言語化のスキルも高められるという副次効果もありがたい!

こんにちは、やらぽんです。
今回は、noteのメリットについて少しだけ。

noteは楽しんでこそ、というのは、いつもお伝えしていることですが
楽しみながら副次効果もあるのがnoteですよ、って話です。

私たちは日常生活や仕事において、コミュニケーションをとるにも思考するにも、すべては言語を使って会話したり考えたりしているわけですね。

始めに言葉ありき」とは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭にある表現として知られています。

この意味については、「言葉がすべての始まり」「言葉があるから世界やすべてを認識できるのだ」という解釈をよく見かけますが、どうやらこれは誤訳らしいのですね。

ギリシャ語の原文では、以下のような記述になっています。

Εν αρχηι ην ο Λόγος
(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)

新約聖書の「ヨハネによる福音書」より

上記の記述を、そのまま日本語に訳すと「アルケーはロゴスなり」という表現になるようです。

ここでの「アルケー」とは、万物の始原であり宇宙の根源的原理を意味する単語です。

また「ロゴス」とは、言葉の他にも真実・真理・理性・概念・論理といった意味や、調和・統一のある法則という意味もあるようです。

ただし、この「ロゴス」という単語が、キリスト教のバイブルで記述されるとしたら、その対象は、世界を構成する論理としての象徴、イエス・キリストであり、キリスト=ロゴス、すなわちロゴスは神の言葉となる。

原文にもとづくと、そういう解釈が正しいのではないか、という説が有力だと思われますね。

「始めに言葉ありき」が広まったのは、原文をギリシャ語から英語に翻訳する際に、アルケーをbeginning、ロゴスをwordと翻訳したのが理由です。

その結果「In the beginning was the Word=始めに言葉ありき」という訳に置き換わったわけですね。

このことから、言葉がすべての始まりなのではなく、言葉はそれを言った人や時代や、語った背景が異なると意味や概念、定義までが変わってくるというように解釈したほうがよさそうです。

同じことを伝えるにも、相手に合わせて使う言葉を選び、伝えたいことをより正確に伝えようとする意識が大切です。

前振りが、少し長くなりすぎましたね。😓

今日伝えたかった本題です。

noteはその言葉を磨いたり、伝えたいことをどのような言葉にすれば適切かを考えたり、投稿を公開する前に下書きに保存して、何度も推敲を繰り返すこともできるなど、言語化スキルを高める要素を持っているのです。

楽しみながらnoteを継続するうちに、記事本数も増えるし、その記事の数だけ思考を働かせて、読者さんに届く文章にしようと頭をひねり、記事ネタを探すための意識が、好奇心や観察眼を高めてくれるわけです。

これは、読者さんのリアクションに関係なく、自己完結で言語可能力を磨くことにつながるというメリットがあります。

まぁ、そんなことを理解できれば、スキの数が増えなかろうが、コメントやフォローが付かなかろうが、あまり気にすることはないって話です。

自己満足、自己肯定感、そして自己効力感、そんもろもろを、自己完結できるのが、noteというありがたいプラットフォームってことですね。

読者さんからのスキ・コメント・フォロー・ビュー数といった、リアクションの数字にだけ気をとられないで、孤高のnoterを気取っても良し、自分の内面に目を向けてスキルアップも良し、我が道を行くべきです。

まずは、noteを楽しむことから・・・・・・ですけどね。


ってことで、今回は
noteを楽しみつつ言語化のスキルも高められるという副次効果もありがたい!」noteを言語化能力やエフィカシーを高めるのに活用したらの話。😊
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

楽しんで  スキル高めて  のほほんと


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やらぽん塾長🌈スモールビズ戦略ゼミ
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