競い合うことと協調することは矛盾せず協調や同調することと馴れ合いは違う!
コンチェルトって音楽用語は知っていますよね。(^^ゞ
イタリア語だけでなくドイツ語でも英語でもコンチェルトって言うのですが日本語としてもすっかり定着している言葉です。
フランス語ではコンセルトって発音するらしいのですが、日本語では協奏曲という表記をしますが、この協奏曲はかつて競奏曲と呼ばれていたことあるんですよね。
そう言えばずいぶん昔のことだけど、30年から33~4年前にホンダのセダンでコンチェルトと言う名の車があったけど、地味ぃ~~であまり人気はありませんでした。😅
当時人気のあったシビック(私も乗っていたことがあるけど)と、高級志向のセダンであったアコードの中間に位置するという、なんとも中途半端なポジションでしたから、確か3~4年で姿を消しちゃったんですよね。😥
コンチェルトっていうと、その車のことも思い出してしまうけど、この記事では関係ありません。😅
そうです、コンチェルトの協奏曲という、オーケストラと独奏楽器との合奏スタイルになぞらえてお伝えしたかったのです。
家族でも仕事でも社会活動でもそうですが、自分が独奏楽器だとしたら周囲にいる人たちはオーケストラであり、どちらが欠けても良い演奏にはなりません。
自分がオーケストラの一員であっても同じで、一人だけ音程をずらしたり異音を発したりすると、全部を台無しにしてしまいます。😅
協調していることや同調することと馴れ合いは、まったく異なるものですが残念なことに、これをごっちゃにしてしまう人もいるんですよ。🤔
競い合うことと協調することは矛盾しないし、競い合うということも何も相手を蹴落としたり退けるということでもありません。
競い合う中で、ともにより高みを目指して頑張れるのが、好敵手というライバルの存在ですが、競い合うからこそお互いが成長するわけですね。
なので、おおいに競い合うということは、自分の成長のためでもあるので競うということから逃げてはいけないのです。
問題は競い方にあると思うのですが、相手の人格を尊重し相手から自分に無いものを吸収し、学び取るという姿勢が欠かせないと思うのですよ。(^_^)b
庭のシマトネリコの木々の枝葉が、風に揺られて、まるで手招きしているように見えたり、イヤイヤしてるように感じたり、あるいは飛び立とうとして羽ばたく鳥のように見えたりと、様々な姿態を見せてくれます。
一陣の風に揺られて一斉に騒ぎ出す枝葉を見ていて、まるでコンチェルトだな・・・そう感じたんですね。🤗
どの木が、どの枝が独奏しているのか、それを観察しながらとりとめも無く眺めている午後でした。
そんなどうでもいいことをネタにした今日の記事。
ってことで、今回は
「競い合うことと協調することは矛盾せず協調や同調することと馴れ合いは違う!」よね、っていうエッセイでした。🤗
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
トネリコで エッセイひとつ のほほんと
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