危機や窮地を何回も潜り抜け修羅場を経験すると自然に人間通になれるという話
人間通という言葉には馴染みがないかも知れませんが、状況に合わせて変化する人の心情や、心理状態から起こす行動の予測などを観察眼をもって推し測ることができるスキル、といっていいかもしれません。😅
その人の置かれた立場や状況などで、今どういう心境にあって、次にとる行動がどんなものになるかを推測し、好ましくない行動が予測される場合に適切な対応や、とるべき処置をアドバイスしたりとけっこう役に立つのです。
そういうスキルを少しずつ体得するにつれて、接客業で多くの人と接してきた友人が、そのスキルや個性のことを「人間通」と呼び私の得意なこととして、紹介するときの形容詞に使うようになったのですね。
はい、「こちらは、人間通の、やらぽんさん」という風に。🤣
そんなきっかけで、かつての友人たちは何か事が起きると、私が述べた状況把握とその後の展開予測などの判断が、実際の結果通りだったことを受けて「やらぽんは人間通だよなぁ・・・」と事あるごとに言ってもらえたのです。
仲間うちや友人・知人の間で、何か揉め事が起こったときに、その対応策を提案する役割を持たされ、その提案が採用されて効果を発揮していたものだから、周囲からはいつしか「人間通」が代名詞になったというわけです。
人間通の力の見せどころは、特定の人物がどんな心理状態で、これからの行動がどうなりそうかや、特定の状況下における各人の思惑や心理状況などが手に取るように理解できるので、利害対立時の調整役を任されるのです。
それぞれの胸の内をいちいち聞かされなくても、その問題の解決策の落としどころが何となく浮かんできて、それぞれが納得するような提案を出してうまく事態を収拾できるようにまとめるのが、得意だったのですね。(^_^)b
そういうわけで経営者仲間の悩み事や揉め事を相談されたり、実際の交渉を間に立つ調整役として任されることも多く、結果的に場数も踏めるので対応レベルも上がり、解決事例も増えて成功確率も高まるという好循環です。
そもそもで言うと、場の空気を読み咄嗟のトラブルにも臨機応変に対応可能なスキルを養えたのは、母親を亡くし貧しい父子家庭で育ったからの感受性に加えて、社会人1年目の18歳で集金係という厳しい職務に就けたこと。
この父子家庭という環境と18歳での集金係というベースがあって、様々な社会経験を積んでいく課程のなかで、幸いにも知らず知らずのうちに駆け引きや交渉ごとの要諦になるポイントを掴んでいけたと思うのです。😅
私のビジネスと人生観の原点になるその集金係というのは、新宿歌舞伎町と百人町や大久保界隈と、今は西新宿に地名変更された西口側の柏木という代金滞納率の高い重要エリアを担当させられたことから始まったのです。😓
私がその重要エリアを担当させられた理由などについては、また次の機会に投稿しようと思います。
ここまで書きながら、はるか昔のことなのに、ついこの前のように思い出して懐かしくなりましたね、若い頃の自分の姿が浮かんできて・・・・・・🙄
ああぁぁ~~~年とるのが、早過ぎるぅぅぅ~~~~~!😆
ってことで、今回は
「危機や窮地を何回も潜り抜け修羅場を経験すると自然に人間通になれるという話」で、危機窮地を潜り抜け修羅場を経験すると人間通になれる。🤣
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
通ぶらず 謙虚に暮らし のほほんと
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