年に一度の誕生日のお祝いより毎日一緒に暮らせる幸せを感謝し祝えることがもっと大事
実は今日という日は、我が家の彼女の誕生日でした。😄
一緒に暮らすようになった若い頃からずっと、お互いの誕生日になると手紙や市販のバースデーカードにお祝いのメッセージを書き込んでは、贈り合うのが習慣になっていたんですよ。
それが現役を退いて、朝から晩まで24時間365日をほぼ一緒にいるようになってから、わざわざバースデーカードを買い求めることがなくなりました。
気づかれぬように隙を見てバースデーカードを買い求めたり、お誕生日プレゼントを購入したりという行為が、いつも一緒にいるとできないのです。
それに、年齢を重ねるごとに、そういう形式的な表現にこだわらなくても真意はちゃんと伝え合っているので、今さら感があって虚礼廃止の流れに身を任せたような案配だったんですよね。
昨日のことですが、そういう過去のバースデーカードをしまってある箱を持ち出してきて、なつかしいね、を連発しながら読み返していたので、やっぱりバースデーカードが欲しいのかな・・・・なんて想像してしまったんです。
で、念のためにさりげなく話題にしてみたら、ただ音楽のCDやDVDを整理している最中に何気なく箱を開けて、懐かしんでいただけらしい。
ついでに私も読んで見たのですが、50才の頃もそのまた10年前も20年前のカードにも、書き込んでいるメッセージは毎年同じようで、変わり映えのしない文句がまるで定例文のように並んでいるんですよ。
手書きではあるものの、年齢の部分を入れ替えたら毎年使えるようなメッセージカード・・・・。
やっぱり年に一度の誕生日を祝うことより、いつも一緒に暮らして楽しい日々を過ごせることに感謝し、お互いの健康を祝い合うことのほうがもっと大事ではないかと、そう思ったんですよね。
この先一緒に仲良く暮らしていても、どちらかが先に寝たきりになるかも知れず、お互いを支え合いながら、なるべく寝込まず元気でいられることを肝に銘じて、支援を受けずに暮らせることに感謝する日が近いと思う。
できたらいつまでも元気で、ぴんぴんコロリで逝っちゃいたいけど、仲良く一緒にぴんぴんコロリができないようなら、彼女を見送ったあと1日遅れであとを追いかけたいというのが、ささやかな願いなんですけどね。
そのことは、こちらの過去記事にも書きました。
毎年のお互いの誕生日にお祝いの膳を囲みながら話すことは、そんな話題になってきたんですね。
ああぁぁ、それにしても仲良く年とったなぁ・・・・って、この半世紀を振り返ってしみじみ思うところです。
こんな風にして、いつまで元気でいられるか、これからの残された時間を大切に生きていきたいと思います。🤗
そうそう、我が家では昨年の彼女の誕生日を折り返しにして、毎年1才ずつ若返ることに決めたんですよ。
なので、1才年上だった彼女が今年は同じ年に並ぶことになったんです。🤗
もちろん、我が家だけのマイルールなんですけどね。
ほら、気は持ちようって言うじゃ無いですか。🤣
ってことで、今回は
「年に一度の誕生日のお祝いより毎日一緒に暮らせる幸せを感謝し祝えることがもっと大事」という毎日を感謝して楽しく暮らそうという話題。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
毎日を お祝いにして のほほんと
<昨日投稿のサブアカの記事がこちら!>
<今週スキが多かったサブアカの記事がこちら!>