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元興寺の1つ「元興寺 小塔院跡」通常非公開【奈良まちシリーズ】

通常非公開!!元興寺と名乗る場所の1つ!前々から廃れているように見えいてスルーしていたが、良い仏像があるな・・。元興寺の収蔵庫にあった五重小塔@国宝は、この小塔院のもの。

 元興寺は次の通り。

変更履歴


▼HP

▼アクセス

奈良県奈良市西新屋町45

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

  • 御霊神社(私のNOTE)の北側

  • ならまちエリアには「元興寺」と名乗る場所の1つ

  • 世界遺産・元興寺とは違う寺院という扱いだが、元興寺の一つの伽藍であった

  • 718年、飛鳥の法興寺が平城京に元興寺として移され、小塔院は西小塔院か吉祥堂とも呼ばれ、小塔堂が建立

  • 小塔院は称徳天皇が百万塔を納めるために建立したもの

  • 元興寺極楽坊にある五重小塔@国宝が安置されていたとも

  • 金堂の南東には小塔院に向かいあうようにして大塔院もしくは東大塔院があり、五重塔が建立されていたよう

  • 1451年10月、土一揆による放火によって小塔院は全焼

  • 火災は以後も広まり続けて極楽坊と五重塔を残し、元興寺の伽藍は全て焼かれてしまう

  • 1707年、虚空蔵堂(本堂)建立

  • 1965年6月2日、元興寺小塔院跡として国指定の史跡に

  • 薬師如来立像@国宝を持つが、奈良国立博物館に収蔵されている

  • 塔跡の近くにある観音堂内には木造・不動明王坐像

当時の元興寺の伽藍の跡地として現在残っているのは、元興寺極楽坊、元興寺塔跡および小塔院跡の三カ所のみである。法相宗の有名な学僧である護命は小塔院僧正と呼ばれ、承和元年(834年)にこの小塔院で亡くなっている。現存の護命の供養のために作られた宝篋印塔は、鎌倉時代後期のものとされる。

史跡元興寺小塔院跡 昭和40年6月2日指定
この付近は、奈良時代(8世紀)には元興寺の境内だった所で、金堂の西南に位置しており、小塔堂を中心とする小塔院(別名、吉祥堂)がありました。小塔堂には、現在、元興寺(中院町)にある五重小塔(国宝)が安置されていたと考えられています。
小塔院(西新屋町)は、現在は真言律宗の寺院ですが、境内は元興寺の遺構として史跡に指定されています。        奈良市教育委員会

 ネットに縁起http://kawafune.html.xdomain.jp/engi.pdf)がありますね

 江戸時代の虚空蔵堂とのこと。

▼メディア情報

世界遺産元興寺と奈良町歴史散歩

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

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▼セットで行くところ



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