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吉野外れ「桜木神社」は天武天皇、義経、万葉集所縁の素晴らしい神社!【吉野シリーズ】

万葉集「香り高い象(きさ)の小川」のほとりに鎮座し、天武天皇も御手を清めた伝承がある。大海人皇子(天武天皇)がこの付近で過ごしたと伝わり、即位後も何度となく訪れていることから繋がりはありそうな雰囲気がある。

万葉集
 皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み

変更履歴
2024/11/18:動画追加(
https://www.youtube.com/watch?v=F1F0D3ymSEMhttps://www.youtube.com/watch?v=F1F0D3ymSEM




▼HP なし

▼アクセス

奈良県吉野郡吉野町大字喜佐谷423

▼祭神

オオクニヌシ別名「大己貴命(オオムナチ)」、少彦名命、天武天皇

▼見どころ

 案内板より『天武天皇がまだ大海人皇子といわれていたころ、天智天皇の近江の都を去って吉野に身を隠しましたが、あるとき天皇の子、大友皇子の兵に攻められ、かたわらの大きな桜の木に身をひそめて、危うく難を逃れたいう伝説があります。のち大海人皇子は勝利を得て(壬申の乱 六七二年)、明日香の浄見原に都を定めて、天武天皇となられたのです。このあと吉野の宮(宮滝)に行幸されると、篤くこの宮を敬われ、天皇なきあとは、ゆかり深い桜木神社へお祀りしたと伝えられています。』

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補足
 天智天皇は、671年に息子・大友皇子を太政大臣に任命、左大臣に蘇我赤兄(あかえ)、右大臣に中臣金(くがね)体制を確立するが、天智天皇は病に伏してしまう。
 天皇は病床に大海人皇子を呼び、「お前に位を譲ろう」と伝えた。しかし、言葉の裏に陰謀を感じた大海人皇子は、持病を理由に辞退し、出家して吉野に入ってしまう。
 左大臣、右大臣は宇治川まで見送りに行き、吉野に向かったと確信するのである。記紀では「虎に翼を着けて放てり」と書いている。大虎が野に下った、何が起こるかわからない」という意味で、壬申の乱を予言したと解釈される。

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小川の流れる音しか聞こえない静けさが良い。

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”約”をつけることで100年はこの看板でイケる!SDGsということか!?

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しかし、綺麗な朱色で装飾も素晴らしい社殿である。

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▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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