見出し画像

【京都東山】六波羅⇔清水⇔祇園 古社寺・旧跡めぐり

京都随一の繁華街・四条河原町。
ここから世界中からの観光客で賑わう四条通を東へ向かうと、四条大橋から八坂神社にかけての祇園エリアへ。
花見小路が通る京都最大の花街・祇園甲部の南には臨済宗の大寺・建仁寺があり、さらにその南に広がるのが平氏の故地として有名な六波羅の地です。
このあたり、古くは祇園社(現・八坂神社)の所領と平安京風葬の地・鳥辺野の北辺にあたります。江戸期以降に開発が進んだ祇園や宮川町といった花街を中心とする市街地に、平安・鎌倉時代に遡る古社寺や旧跡、そして様々な伝承が点在する、大変魅力的なエリアです。
一方で、京都市の中でも、特に高齢化や人口減少が著しい東山区に位置し、貴重な文化財・文化遺産の保存継承が危ぶまれる場所でもあります。

「こんなところにこんなものが」──そんなキャッチフレーズの歴史散歩。
文化財の保護・継承には、まずは多くの人に認知してもらい、関心を継続してもらうことが大切と考えます。
世界的な観光地・祇園周辺に静かに佇む京都の魅力をお伝えしながら、文化財保護について思いを馳せるひとときになれば幸いです。

https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=10537

▼詳細

大人は3500円/人なんだって・・・

▼ルートと私のNOTE ※追加あり

 結構なお値段ですね・・。自分で行けばよいかなともww
 私ならここも参拝するなという所を追記します。

#若宮八幡宮

 未参拝でしたwww
 今度参拝するとして、公式HPを貼っておきます。

#六波羅蜜寺

 12年に一度の秘仏公開時期を狙いましょう!

#西福寺

 六波羅蜜寺の御近所さんですね。気づかない人も多いかと。

#六道の辻 #六道珍皇寺

小野妹子など高貴な家柄の小野氏の鬼才「小野篁」は昼間は朝廷で働き、夜はあの世に行っていた。冥土へ行くのに通ったと伝わる井戸などが京都と奈良にある!!
 そして京都では「五山送り火」の寺で、宗派を越えて「お盆の精霊迎え」のしきたりがある。1000年以上、脈々と受け継がれる信仰行事「五山送り火」と共に、京都のお盆の風物詩がある!
 一方、奈良にも小野篁伝承が!あじさい寺としても有名な矢田寺である!!

#金剛寺 (八坂庚申堂) #八坂塔 (法観寺)

#清水寺 #地主神社 ※私が追加

ここまで来たら清水寺も行きましょう。

#安井金刀比羅宮

 あっ自分のNOTE間違っている・・「安井金比羅宮」が正解なんだ・・。

私たちのオススメは「小多福」のおはぎですね。

#崇徳天皇御廟

 へえ~ここにあるんですね。

#建仁寺  ※私が追加

#恵美須神社 (#京都ゑびす)

#祇園甲部

 本NOTEの元宮!?の3500円の謎は実はこれなんですかね。

#八坂神社   ※私が追加

#仲源寺 (目疾地蔵)

#誓願寺  ※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 法然上人、西山国師、立信上人と続く浄土門の聖地

  • 667年、天智天皇の勅願所として奈良の西大寺(私のNOTE)や薬師寺(私のNOTE)に近い近鉄「尼ヶ辻」駅付近にあった

  • 石清水八幡宮(私のNOTE)の本尊である

  • 清少納言、和泉式部、松の丸殿といった女性たちからの深い信仰を集めたため「女人往生の寺」とも称される

  • 都の才女・清少納言は、髪を落して尼僧となり、本堂のそばの庵室で念仏して歓喜の往生をとげた

  • 和泉式部も、娘に先立たれた悲しみのうちに無常をさとり誓願寺に詣でた

  • 和泉式部は、四十八日間参籠して念仏三昧に入り、霊夢により女人往生の信仰を得た

  • 落語の祖と呼ばれる「策伝上人」や謡曲「誓願寺(世阿弥作)」に謡われ、落語発祥の寺、芸道上達の寺としても広く信仰を集めている

  • 京都御所に近いことから朝廷との交流も多く見られた

  • 謡曲「誓願寺」は、世阿弥作と伝えられ、この寺所縁の和泉式部と一遍上人が主役となった物語り

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nc3c46287b5cb

#誠心院  ※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 通称「和泉式部寺」

  • 平安時代創建で、和泉式部は円教寺に行くと石清水八幡宮に行かされる。石清水八幡宮に行くと阿弥陀如来は誓願寺に行かされる。そして、誓願寺で人生を往生するのだが、その庵はこの寺なんだそうな。

  • 真言宗泉涌寺派の寺(私のNOTE

  • 1025年、和泉式部は娘を失い、その悲しみを乗り越えるために播磨国書写山圓教寺の性空上人を訪ねた

  • 京都に戻った後、性空上人の教えをもとに誓願寺に入り、阿弥陀如来に帰依して出家

  • 1027年、和泉式部が長年仕えた上東門院(藤原彰子)が父・藤原道長に勧め、法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立させた(東北院誠心院)

  • 初代住職は和泉式部で、その経緯は誓願寺(私のNOTE)参照

  • 本堂には、藤原道長が建立した阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している

  • 境内には和泉式部の墓と伝える宝篋印塔および歌碑が建てられており、毎年3月21日には和泉式部忌の法要が営まれている

  • 鎌倉時代に現在の小川通一条上ル誓願寺の南に移転し、御寺こと泉涌寺(私のNOTE)の末寺になる!って意外・・・

  • 豊臣秀吉により、現在地に移転

  • 以前は「じょうしんいん」の呼んでいたが、戦後、「せいしんいん」にした

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n47a8e3cd8041

#西光寺#寅薬師 )※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 創建年代は不祥だが、一説には約900年前とも言われている

  • 開山は誓願寺(私のNOTE)の僧なのはわかっている

  • 1278年~1288年、宮中にあった寅薬師如来像を、後宇多天皇が当寺に下賜し薬師堂(御倉堂)として開基

  • 寅薬師と称した薬師如来を安置

  • 寅薬師の名前の由来は、弘法大師が一刀三礼し刻んだもので、寅の日・寅の刻に完成したため

  • 1780年、都名所図会の中央に虎薬師、その手前に清帯寺、一言堂が描かれている

  • この後、天明の大火、禁門の変で焼失

  • 直後に仮堂宇として再建

  • 現在まで3回焼失しており、現在の建物は1913年に建てられた仮建築

  • 西光寺前にあった清帯寺も度重なる火災にて廃寺となり、西光寺に吸収

  • 清帯寺の本尊・腹帯地蔵もここに安置し、現在に至る

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n1c6428841e60

#蛸薬師堂#永福寺 )※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 新京極商店街内を北上すると右側にある寺で「蛸薬師通り」の名に使われている

  • 本尊は「石像薬師如来」になり、周りには十二神将などチーム薬師になっている

  • 本尊の石仏薬師如来は8年に1度御開帳される(2016年の10/8~10/10に開帳された)

  • 正しくは瑠璃光山林秀院永福寺

  • 元は二条室町(現在の蛸薬師町)にあったものが天正年間に現在の場所に移転された

  • 病気平癒の御祈祷で有名で、毎月8日10:00より14:00まで大般若会が勤修され、ガン封じや心身の病気平癒、諸願成就を祈願する人々の参拝が多い

  • 1181年、室町の林秀が、伝教大師・空海が彫った石仏・薬師如来を安置したのが始まり

  • 1249年~1256年、蛸薬師堂と呼ばれるようになった

  • 蛸の名前の由来は、ここの僧が戒めに背き、病気の母親に好物のタコを買う孝行をしたことから来ているそう

  • 1590年、豊臣秀吉によって現在地へ移転

  • 当寺の通称からとられた「蛸薬師通」という名はここのこと

  • 以前は隣に圓福寺というお寺があったが、明治時代に永福寺と合併

  • 愛知・妙心寺と円福寺が寺号を交換したため、蛸薬師堂の奥には現在も阿弥陀如来を祀る妙心寺という寺がある

  • 一つの寺院が二つの寺号を有する特殊な形である

  • 12月31日の大晦日では、恒例の大根炊きが行われ、1年のうちで最も賑わう日

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n8ab514001ac4

#安養寺#倒蓮華寺 )※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 浄土宗西山禅林寺派の寺

  • 1018年、恵心僧都が奈良県當麻に建てた蓮台院が起源

  • その後、恵心の妹・安養尼が居住し、安養寺と改名

  • 1110年頃、京都に移す

  • 1580年頃、豊臣秀吉によって現在の地に移転

  • 本尊は阿弥陀如来立像で、特徴的なのは八枚の蓮華を逆さの台座

  • 伝説によると、本尊を作る際に蓮座が壊れてしまい、蓮華を逆さにしたところ無事完成したとか

  • 特に女性の信仰が深いとされ、心の蓮華は逆さまになっていて極楽往生できないので、蓮華を逆さにしたとも

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nb160eb9e99be

 #善長寺 ※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 忍想上人により綾小路室町善長寺町に創建

  • 1591年、豊臣秀吉により現在地に移転

  • 徳川家康上洛の折りの定宿だった

  • 地蔵堂には秘仏・地蔵菩薩はが安置され「立江地蔵」とも呼ばれている

  • 立江地蔵は「枕反地蔵」とも呼ばれ、徳島・立江寺に安置されている地蔵菩薩を模して彫ったと伝えられてる

  • 子供の「痘瘡平癒」のご利益があることから、「くさがみさん」として親しまれている(って、どういうこと??)

  • 「瘡神」として知られる大原大明神(2025年に公開予定の私のNOTE)の直作であることから、この名前がついたと推測されている

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n85c445f467f6

 #錦天満宮 ※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 創建は、学問の神様・菅原道真ではなく、父・菅原是善の旧邸・菅原院と深く関わっている

  • 903年、大宰府へ左遷された道真が死去

  • 道真の死後、邸宅・菅原院は「歓喜寺」という寺名に改称

  • 1003年、歓喜寺は、嵯峨天皇の皇子で源氏物語のモデル・源融の旧邸・六条河原院へ移転

  • 六条河原院にある塩竈宮に天満大自在天神(菅原道真)が祀られる

  • 1299年、六条河原院跡に京都八幡「善導寺」に寄進、元々あった歓喜寺を合併して六条道場「歓喜光寺」と名称を改めた

  • 同時に、後伏見天皇より「天満宮」の神号を授与された

  • 錦天満宮は歓喜寺(菅原院)に由来しており、後に「菅公聖蹟二十五拝」の第二番に位置づけられた

  • 1587年、豊臣秀吉の都市計画によって、時宗六条道場と称された「歓喜光寺」は錦小路の時宗四条道場「金蓮寺」の敷地に移転

  • 天満宮は以後「錦天満宮」と称され同地に鎮座する

  • 1872年、神仏分離令によって神社が独立し、「歓喜光寺」は東山五条へ移るが神社は残った

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n71cd26a8ac31

#染殿院  ※「新京極通で八社寺詣」追加

  • 808年、弘法大師・空海により創建された

  • 文徳天皇の女御・藤原明子こと「染殿皇后」は、天皇の寵愛を受けながらもなかなか子宝に恵まれなかった

  • 「四条の寺院にご利益のある地蔵菩薩が安置されている」という噂を聞きつけ、17日間願掛けをおこなった。

  • 最終日に懐妊の兆候があり、その後、のちの清和天皇を出産

  • このことから、寺院を「染殿院」にし、地蔵菩薩を「染殿地蔵」と名が知れ渡る

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nf9171b0bd468

▼私の京都纏めNOTE

#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#仏像
#旅のフォトアルバム
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#人文学
#神仏習合
#京都
#京都市XX区
#京都旅行
#京都ツウシリーズ
#京都纏めシリーズ
#新京極寺町シリーズ
#京都においでやすシリーズ
#旅行・おでかけ
#京都テクぶらシリーズ
#京都神社仏閣シリーズ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?