秦氏が治水?宇治川管理「橋寺放生院(橋寺)」超美仏な地蔵菩薩!2010年代と2024年見比べ【京都宇治シリーズ】
2010年代と2024年見比べ!古代より、北陸道から平城京を繋ぐ道として多くの旅人の通り道で「宇治橋の守り寺」として崇敬を集めてきた。正式名称は「雨宝山放生院常光寺」で通称「橋寺」もしくは「橋寺放生院」という名が通っている。
変更履歴
2024/01/14:初版
▼HP
▼アクセス
宇治市宇治東内11
▼本尊と脇時
地蔵菩薩立像
▼見どころ
飛鳥時代に創建され、常光寺地蔵院と称していた。鎌倉時代に叡尊が再興し、洪水などで傷んだ宇治橋を架け直すと同時に、放生会を行ったという。
その後、この寺が宇治橋の管理を任されたので、橋寺と称するようになったそうだ。 本尊は「地蔵菩薩」で190cmの大きさですばらしい仏像。衣文の彩色が素晴らしく、顔もシュッとし玉眼の前倒れ気味で見上げる角度によって美仏感を感じる。
寺の創建は2説ある。
聖徳太子から厚い信頼を寄せられていた秦河勝が、604年に聖徳太子の念持仏である地蔵菩薩像を祀る寺院として宇治川のほとりに建てた
646年に奈良・元興寺の僧・道登上人が宇治橋を架けた際、工事の安全祈願のために川の傍に立っていた地蔵院の建物を造り替えた
創建はどちらが正解かは分かりかねるが、この宇治橋は何度も川の氾濫で流れ、この寺は廃れていく。
そこで出てきたので、奈良・西大寺あたりで有名な僧・叡尊(えんそん)。地蔵院の本尊・地蔵菩薩像が激しく損傷していたことに心を痛め、1281年に新たに大きな地蔵菩薩像を造り、それまでの地蔵菩薩像をその胎内に納めて再興したそうな。
さらに叡尊は、1286年に行われた宇治橋の再建に際し、宇治川の氾濫などで命を落とした人馬・魚介類などすべての菩提を弔うため、中州にある浮島に高さ約15mの巨大な十三重石塔を建立して、放生会を営む。
このことに因んで地蔵院のことを「放生院」と呼ぶようになり、さらに叡尊の慈悲に溢れた思いに感銘を受けた後宇多天皇によって300石の寺領を与えられ、宇治橋や十三重石塔の管理を一任されたことから、「橋寺」とも呼ばれるようになったとさ。
ちなみに、現在の宇治は、宇治茶、抹茶スイーツの中心地だが、狩りや釣りばかりをしていた人たちにお茶を栽培して生活をさせたのは、この叡尊であることを記しておく。
そんな歴史であるが、鵜飼いが残っているのは名残なのかも。叡尊が生きていたら、そういうことをまだやっているのか?と嘆くかも??まっ鴨じゃなくて鵜だけど!?
寺に戻ります。
本尊は「地蔵菩薩立像@重文」で秘仏のため、某テレビ番組で見た感想では、大阪・藤田美術館の地蔵菩薩立像並みの良い仏像に感じた。
地蔵菩薩立像@重文は鎌倉時代作で、衣文、金、切金が素晴らしい保存状態で、藤田美術館以上の保存状態の良さ
衣文の良さは貝をすりつぶし→胡粉→胡粉で盛り上げて描く技法で美しい衣が出来上がった
前傾姿勢で、阿弥陀三尊の脇侍と同じく救済に向う姿である
ということで、参拝時は地蔵菩薩は見れなかったが、なかなか大きさと雰囲気を持つ「不動明王立像@重文」も見逃せない。
2010年代は開いていたのだが、2024年は閉じていた・・。
片目を閉じ、口は強く結んで牙を出す平安時代の不動明王である。
→宇治橋断碑
橋寺境内に「宇治橋断碑」が安置されている。古代の碑の一部で、宇治橋架橋のいきさつが書かれている。叡尊ここにあり!!拝観は3~6月と9~11月のみで200円払う必要があります。
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