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安倍晴明誕生地「安倍晴明神社」一度なくなり復活!そして京都へ【大阪ミナミシリーズ】

南に行くと「阿倍王子神社」がある。安倍晴明神社は阿倍王子神社の末社です。京都「晴明神社」は安倍晴明の邸宅があった場所で、大阪の「安倍晴明神社」は生誕の地と伝えられている。一度なくなるも復活したことからも、口伝も含め言い伝えにより復活した数少ない神社といえようか。

 京都の「晴明神社」は次の通り。安倍晴明の末裔は土御門になり福井へ流れていく。福井県敦賀市の「晴明神社(私のNOTE)」、福井県福井市の「晴明神社(私のNOTE)」もいかが?あっ、安倍文殊院(私のNOTE)も忘れずに。

変更履歴
2024/12/07:初版


▼HP▼アクセス

大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4
 ※飛地境内地

▼祭神・本尊と脇時

安倍晴明

▼見どころ

歴史など

  • 『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父・安倍保名は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされている

  • 父・安倍保名が和泉の信太明神に参詣のときに助けた白狐(葛之葉姫)と結ばれて、この地で安倍晴明を産んだといわれている

  • この話から安倍晴明は大阪生まれが有力説となっているようだ

公式HPに安倍晴明の話が載っているので、興味がある方はリンク先を参照ください。

 超人気でもある安倍晴明ゆかりの神社だが、歴史的には紆余曲折があったようです。

  • 944年、ここに安倍晴明生誕されたとされている

  • 1005年、陰陽師として活躍した天文博士・安倍晴明が亡くなった

  • 1007年、花山法皇が安倍晴明の子孫に命じ、安倍晴明の生誕地に社殿を建立したのが始まり(『安倍晴明宮御社伝書』より)

  • 以来、晴明の子孫・保田家が社家として代々奉仕

  • 江戸時代末期、神社は社家・保田家の没落と共に衰退

  • 一時期は石碑と小祠を残すのみとなっていたそう

  • 1921年、阿倍王子神社の末社として、社家・保田家の子孫が旧社地を寄進

  • 1925年、現・社殿を建立したそうな

  • 1945年、大阪大空襲で、この付近一帯も焼け野原となってしまうが、この神社周辺は無事だったという口伝もある

 あとね公共が発行しているMAPを参照にテクテクしても良いかも。

→鳥居

 神社前は熊野街道だったようです。

ちなみに神社前の通りは旧・熊野街道
安倍晴明生誕伝承地

→境内「手水舎」

→泰名稲荷社

 「泰名」は安倍晴明の父・保名からきているのかな。稲荷社なので祭神はウカノミタマ。

→「鎮石(孕み石)/安倍晴明誕生石/産湯井の跡」

 堺商人の神南辺道心が寄進した「鎮石(孕み石)」「安倍晴明誕生石」「産湯の井戸」があります。

「鎮石(孕み石)」は、古代の船の錨で、安産を祈る石として信仰されている。

 「安倍晴明誕生の地」の石碑は江戸時代に泉州堺の住人・神奈辺大道心が建立したものとある。

 平安時代に陰陽師・安倍晴明の師匠は賀茂氏で天文博士。 天文を見て占い、天変地異を予知したり、宮中の行事の日程を占う職に就き、「陰陽寮」を統括した土御門家の祖。

→拝殿・本殿


 神額には安倍晴明のトレードマーク「五芒星」がある。五芒星は「桔梗の花」の形に似ていることから、別名「晴明桔梗印」と呼ばれている。
 陰陽道における五芒星は、この世に存在するあらゆるものを木・火・土・金・水に当てはめた「五行思想」を形にしたもの。

→そのほか

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

大阪ミナミ⑬◆安倍晴明追って阿倍野へ!10年ぶりに住吉大社!【大阪ミナミシリーズ】|やんまあ@旅行記 (note.com)


▼セットで行くところ

▼仏像展


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