京都伏見城門「浄照寺/本誓寺/本覚院」領主平野家/良い仏像あり【田原本町シリーズ】【桃太郎シリーズ】
鏡作○〇坐神社には神仏習合の名残を感じ、安養寺では壮大な寺だった歴史を感じる。この寺は歴史は浅いが古い仏像がある。これは領主の力か民の思いで神仏分離令で起こった廃仏毀釈を免れた仏像たちではないのか?どこにでもある町を代表する寺には、人々の思いが詰まった場所がある。
変更履歴
2024/02/18 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
浄照寺と本誓寺はセットですね。周辺は車一台の道幅の場所もあるので要注意!当初、浄照寺の駐車場にとめる予定だったが、対向車や後ろの車のプレッシャーで本誓寺の駐車場に着いたのでそこに止める。そのおかげで町並みと歴史を知れた。
→周辺
駅周辺(https://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/files/group/8/60136196.pdf)
右に曲がります。下の写真の通り、この道幅です。ここを車で行こうとしたらちょうど対向車が来て、右に曲がったんですよね。おかげで町並みを満喫できましたが。
平野⽒陣屋跡は、東⻄約150m、南北約350mの範囲に及んだようですね。
▽浄照寺:奈良県磯城郡田原本町584
後述する本誓寺横ですね。 京都・東本願寺と西本願寺と繋がる浄土真宗本願寺派の寺。江戸時代に平野氏により創建されたようだ。
「田原本御坊」ともされ、伏見城門を拝領したという山門。賎ヶ岳七本槍のひとり平野権平長泰がこの地を賜り、その子・長勝が陣屋を設けた。その際に、教行寺との間に支配権をめぐって対立して教行寺を箸尾に立ち退かせたとする。
本堂内の柱などには金箔押しや極彩色の華麗な装飾が施されており、創建当時のままで、大規模な真宗寺院建築として評価が高いようだ。繰り返しになるが、伏見桃山城の城門を移築した山門のほかに、大谷本廟から頂いたの親鸞上人画像、梵鐘などがある。
明治天皇や昭憲皇后が行幸されたときの部屋、掛け軸の書、襖絵、枯山水の庭などがある。
1635年、平野長泰から家督を継いだ長勝が、田原本陣屋を構築し始めたが、領主権をめぐり教行寺と対立
1647年、教行寺は田原本を去ったので、平野氏によるこの地一円の支配が確定
平野長勝は寺内町の北東に接する地に陣屋を構築
陣屋が完成し平野氏による領主支配が行われるようになると、周辺の農村部から人々が移り住み、寺内町の周辺に町を形成
教行寺に代って、本誓寺や浄照寺が教行寺の跡地に建立されて、寺内町の繁栄がそのまま維持される
町並は陣屋町の名残で、細長い碁盤目状の道であり、各所で折れ曲がり、外敵の侵入に備えての防備を意識した設計である
田原本は中街道や寺川などの水陸交通を利用した物資の集散地であって、この繁栄は明治の初めには南大和随一の繁栄した
1877年、天皇行幸のおり、浄照寺が昼食場所と決まる
準備期間が短く湯殿や厠の新築、家具の新調など宮内省役人の指示のもと記録が残っている
1890年、昭憲皇后の行啓があり、当寺で1泊されている
このとき宿泊所となった浄照寺御殿(対面所)は、現在も当時のまま保存されていて、予約すれば拝観できるようです
▽本誓寺:奈良県磯城郡田原本町582
領主平野家の菩提寺で、本尊は阿弥陀如来で、平安時代中期の十一面観音立像も安置する。 本尊は、阿弥陀如来立像で鎌倉時代後期の作で、他にも平安時代中期仏像なども安置されています。
1316年、田原本町八幡町に開創
1647年、領主・平野長勝が現在地に移し、菩提寺とした
境内には長勝と9代長発の霊廟が残っている
本誓寺と隣の浄照寺の地は元は教行寺であったが、長勝が教行寺と対立し広陵町箸尾へ教行寺を移し、跡地を二分して浄照寺と本誓寺を創建した
1888年、すべてのお堂が火事で焼失
1983年、コンクリ本堂出来上がった
1999年、現在の耐火建築の本堂が出来た
境内の墓地の東の壁際に平野家二代・九代領主の霊廟「広徳院廟」・「本覚院廟」が並んで建てられている
本尊は阿弥陀三尊像で、中尊は快慶作の特徴である安阿弥様を受け継いだ鎌倉時代後期のものと推定されている
本尊は前身の本覚寺時代からの像である可能性がある
滋賀のように、安養寺(私のNOTE)の快慶作を弟子が真似たなら面白いなと思う
十一面観音立像は、本堂の下の階の広間に安置されている
平安中期ごろの作で、もと楽田寺に有ったと伝えられている
樂田寺も古刹で、幾度か宗旨を変えその都度本尊を変えた際に本誓寺が預かった物とのことで、藤〇氏のように強盗したわけではないようです!?
十一面観音立像は、後補部分が多いが、仏像ファンに人気があるようだ
ちなみに「長谷寺式」と説明されているが錫杖は持っていないので、これも後補部分なのか??(長谷寺の私のNOTE)
→本覚院
本誓寺と支院?よくわかりませんが、写真の通り、何か意味がありそう。名前から察するに、権威・権力者に関係した歴史を持つことは分かる。
→オマケ「奈良中央信用金庫旧本店」
駐車場に戻ります。歴史を感じる銀行の建物。今も現役のようですね。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
初版以降の参拝は以下の旅行記の纏めで参照です。
▼セットで行くところ
▼仏像展
#京都伏見城
#伏見城
#浄照寺
#本誓寺
#本覚院
#平野家
#田原本町シリーズ
#神社仏閣
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#仏像
#旅のフォトアルバム
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#人文学
#奈良
#旅行・おでかけ
#奈良
#磯城郡
#田原本町
#田原本御坊
#伏見城門
#平野権平長泰
#伏見桃山城
#城門を移築
#平野長泰
#平野長勝
#阿弥陀如来
#十一面観音
#阿弥陀三尊
#楽田寺
#奈良中央信用金庫旧本店