賀茂氏関係で本堂が国宝「善福院/加茂神社」【和歌山シリーズ】【和歌山紀中シリーズ】
京都、奈良、滋賀には神社仏閣の国宝は多い。ただ、和歌山も見逃せない!!後日公開するが、京都・醍醐寺の金堂@国宝は和歌山の某寺を移築したものなど、京都所縁のところが多いのである。そして、ここにも国宝が!!賀茂氏の地域なんだな。
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▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時▼見どころ
▽善福院:和歌山県海南市下津町梅田271
1214年、栄西禅師によって創建
廣福寺五ヶ院の一つとして創建され、「廣福禅寺」という寺号であった
明治初期の廃仏毀釈を経て「善福院」に改められた
1327年、禅宗様式の釈迦堂に建てられた
禅宗様式の建物では、山口県下関市の功山寺(私のNOTE)仏殿に次いで、全国で2番目に古い建物
鎌倉の円覚寺(私のNOTE)舎利殿、山口の功山寺仏殿などとともに、鎌倉後期の禅宗様を代表する建築とされる
安土桃山時代は加茂氏の菩提寺として栄え七堂伽藍を有していた
数々の伽藍を備えていたと伝えるが現存するのは釈迦堂だけ
釈迦堂は正面3間・側面3間・寄棟造で屋根は一重裳階付の唐様仏殿で総本瓦葺の国宝である
駐車場です。ナビは違う道を案内しますが、右手の坂を登るよう掲示されているので、そちらに従うと駐車場です。後ろがゲートボール場ですが、草草が生い茂っています!?
→釈迦堂@国宝
お堂後ろから1枚!
▽加茂神社:和歌山県海南市下津町下567
祭神は「別雷神」で、「譽田別命」を配祀する
562年頃、京都賀茂両大明神を雄佐素根が勧請し、下村と梅田の境花渕と称する所に祀る
地名の加茂谷も京都の賀茂信仰が広がるとともにこの地も賀茂社の神領となり生れたとか
異説では、下鴨神社(私のNOTE)より勧請ともいわれ、加茂川上流に鎮座する立神社は上賀茂神社より勧請されたとしている
ただ、立神社は奥宮説もある
私見では河合神社、下鴨神社、上賀茂神社(私のNOTE)は1つだった歴史が長いので、バラバラに勧請はないのではないかとも
1090年、実際の創建はこの頃であり、加茂城主であった加茂氏が出自誇張のために欽明天皇時代にまで遡らせたのかも(『賀茂御祖神社略誌』より)
1549年、加茂城主・加茂左近太夫春宗が八幡宮を勧請
古くは賀茂大明神とも賀茂八幡両社とも称し、7ケ村の産土神として祀られた
明治に加茂神社神宮寺の本尊である阿弥陀如来の坐像が下津の長保寺(私のNOTE)に移される
加茂神社獅子舞は和歌山県の海南市にある加茂神社で毎年10月の第2日曜日に行われる
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これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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