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★特別公開★2017年ぶり「運慶展」は神奈川の3カ所で同時開催-2024年-

神奈川県立金沢文庫、鎌倉国宝館、横須賀美術館で同時開催された『運慶展』ですね。テーマは『運慶と鎌倉』のようですが。

前回の『運慶展』は、2017年に東京国立博物館で行われました。その模様は、私のじゃらん旅行記『◆東京②◆イルカショー12頭vs運慶作の仏像21体-東博『運慶』(品川/港/台東)』です。その記録も交えながら1本で書き上げます。

あっ!そうそう、2025年にトーハクでまた運慶展があります。厳密には興福寺の北円堂ですね。

特別展「運慶 祈りの空間—興福寺北円堂」は、運慶による弥勒如来坐像と無著・世親菩薩立像を公開する展覧会。興福寺の北円堂は、通常非公開ではあるものの、約60年ぶりの寺外公開となる。
(中略)
賑やかな装飾と激しい表情で表された四天王立像を、北円堂の弥勒如来坐像と無著・世親菩薩立像とともに展示する。

↓より

変更履歴

2024/11/31:初版


▼運慶展×3

  • 鎌倉幕府成立後、幕府との関係を深めた運慶は、北条氏らの信頼を背景に、東国・鎌倉で制作活動を行った

  • 鎌倉周辺には運慶作と伝えられる彫像が数多く残されている

  • 運慶作品を集めた展覧会が、鎌倉国宝館、横須賀美術館、神奈川県立金沢文庫で開幕

  • 神奈川県内にある美術館・博物館の連携展示として、横須賀美術館と神奈川県立金沢文庫では共通の図録を刊行する

  • 観覧料割引などの特典を用意している

→過去の運慶展

 2017年:東京国立博物館『運慶展』とその後に金沢文庫『運慶展』です。

▼運慶展 運慶と三浦一族の信仰/横須賀美術館

 ここの運慶展のテーマは「三浦一族との関り」である。

|-特別展情報

  • 開催期間:2024年10月26日 (土) 〜 2024年12月22日 (日)

  • 開催場所:横須賀美術館

  • 公式HP:開催内容目録

  • 展示室

    1. 展示室5:浄楽寺の「阿弥陀三尊像、不動明王像・毘沙門天像」

    2. 展示室6:天養院の「薬師如来像と両脇侍像」

    3. 展示室7:清雲寺の「観音菩薩坐像」

12~13世紀の三浦半島で大きな力をもった武士・三浦一族。鎌倉幕府成立前後の彼らの地位を象徴するように、横須賀・三浦半島には一族ゆかりの寺が多くつくられ、当時一流の仏師の手による仏像が安置されました。 うち6躯が国指定重要文化財です。
三浦一族の一人、和田義盛(わだ よしもり 1147~1213)の依頼で仏師・ 運慶(うんけい ?~1223)が制作した阿弥陀三尊像、不動明王像・毘沙門天像(すべて横須賀市芦名、浄楽寺蔵)は、まさにその典型です。
本展では、この運慶作の五つの仏像を中心に、義盛の所持と伝わる薬師如来像(三浦市初声和田、天養院蔵)、三浦半島の宗教的先進性を伝える南宋からの舶来仏で、滝見観音の名で親しまれてきた観音菩薩坐像(横須賀市大矢部、清雲寺蔵)を含め、東国武士の祈りを受けとめた全9躯の貴重な仏像をご紹介します。
なお、本展は「運慶と鎌倉」をテーマに、神奈川県立金沢文庫、鎌倉国宝館とともに開催する連携展示のひとつです。鎌倉幕府と三浦一族、そして運慶が結びつくことによって生まれた、この地域における中世仏教文化の至宝を、館ごとに異なるテーマによって、ご覧いただきます。

公式HP:https://www.yokosuka-moa.jp/archive/exhibition/2024/20241026-864.html

|-メディア情報

|-1~3 運慶・阿弥陀三尊@重文:運慶作 #浄楽寺

 運慶の仏像群の代表作は願成就院で、阿弥陀如来坐像、毘沙門天、不動明王三尊を安置する。浄楽寺の仏像群も同じ構成である。ただ、願成就院の運慶作・阿弥陀如来坐像は元々は三尊で脇侍は無くなっている。つまり、願成就院の脇侍を妄想したければ、浄楽寺の三尊を見仏するしかない。注意点は、願成就院が「THE運慶・鎌倉ワールド」ならば、こちらは「THE運慶・京仏師の名残」というタイトルになるかと。

 元々、昔から運慶っぽいなと噂の仏像だったが、首が取れて中を見たら、胎内から仏像の魂である月輪形木札に「文治五年己酉三月廿日庚申 大願主平義盛芳縁小野氏 大佛師興福寺内相應院勾當運慶小佛師十人 執筆金剛佛子尋西淨花房」と記載され運慶の真作となる。その後に、関東で運慶の研究が進んだ歴史的に重要な仏像でもある。

  • 運慶・阿弥陀如来坐像:文治5年(1189)

    1. 一番ベーシックな印相の来迎印ですね

      1. 願成就院は説法印

      2. 印相の違いの意味だが、ここの阿弥陀は、今は無き興福寺(私のNOTE)の講堂にあった阿弥陀如来を模したのでは説があり、冒頭の奈良時代の経験を活かしたものかも

      3. 願主に興福寺関係者がいるようで、それでイメージ合わせで興福寺の阿弥陀如来と伝え、ああ~あれね!と運慶は造ったのかも

    2. 慶派には珍しく玉眼ではなく彫眼で、唇が赤いのがベーシックに感じたのだろうと思う

    3. 快慶にも繋がる気がしたのは、金泥なのもあるかも

    4. 深い流動的な衣文が素晴らしい

    5. 像高さに「上底」にするのが運慶工房の特徴の1つで最古のもの

  • 運慶・観音菩薩立像:文治5年(1189)

    1. 向かって右側が聖観音

    2. 下半身どっしり系でここは、奈良の仏像修復時代の感覚が残っている気がする

    3. 通常、阿弥陀三尊や薬師三尊の脇侍は左右対称が多いのだが、この脇侍は左右非対称になっており、運慶っぽいなと思うのだが、宋の影響とも

    4. 天衣は江戸時代あたりの後補のようだ

    5. 両脇侍は京都・清水寺(私のNOTE)の 観音・勢至菩薩立像に通じる
       ※金沢文庫に出展されているので注目!!

  • 運慶・勢至菩薩立像:文治5年(1189)

    1. 観音菩薩と同様で違うのは場所が逆サイド

 ここで寺の歴史です。興味のない方はスキップしてください。

  • 1189年、源頼朝が父・源義朝の菩提を弔う為に創建

  • 東寺は、鎌倉にあったとし、勝長寿院を、1206年の台風による堂宇破損を機に和田義盛と北条政子の手で現在地に移したとされる

  • 鎌倉では大御堂などとも呼ばれ、現在も地名として残る

  • 和田義盛が建てた七阿弥陀堂の内の一つという説もある

  • 鎌倉光明寺の資料により

    1. 1275年、浄土宗4祖寂慧良暁上人が移住し中興したため開山としている

    2. それ以前の寺の歴史は不明

  • 1591年、徳川家康より朱印地3石を賜まる

5体の運慶作の仏像が安置されており、運慶展でも1コーナー設けた感じだった。「阿弥陀如来@重文」と脇侍「観音菩薩立像@重文」と「勢至菩薩立像@重文」は顔が運慶らしかったが、如来はやはり快慶で菩薩は快慶と肥後定慶だなと思った。「不動明王立像@重文」は牙が上下の平安からの初期型で、「毘沙門天立像@重文」は願成就院の毘沙門と見比べると面白い!!

2017年 トーハク 運慶展
https://www.jalan.net/travel-journal/000073071/

|-4 運慶・不動明王立像 @重文:運慶作 #浄楽寺

 やっぱ、如来・菩薩は快慶・行快、観音様は肥後定慶、天や明王は運慶が好きだなと思う。この不動明王を見たらそれが分かるだろう!!

  • 1189年作で、木造で像高135.5cm。

  • 口はヘの字で、牙は上下に出し、持っているのも含めて、ベーシックな不動明王で運慶で基本に忠実で、興福寺(私のNOTE)時代の仏像修復の経験を詰め込んだものだイメージ

  • 胎内から発見された仏像の魂である月輪形木札に「文治五年己酉三月廿日庚申 大願主平義盛芳縁小野氏 大佛師興福寺内相應院勾當運慶小佛師十人 執筆金剛佛子尋西淨花房」と記載されることから前述の阿弥陀三尊含めて運慶の真作

  • 仏像の発願者は和田義盛と妻・芳縁が願主と判明している

  • これにより、前述の寺の歴史で書いた「勝長寿院の仏像が移された」という説は否定されつつある

  • 願成就院と同様に脇侍の二童子がおり、不動明王三尊だったのでは?とも言われている

  • 願成就院と比較すると

    1. ここは平安時代後期に通じるもので、願成就院は鎌倉時代という感じ

    2. 両方ともに顔は一目見てTHE運慶!!

願成就院の不動明王三尊をどうぞ。

|-5 運慶・毘沙門天立像 @重文:運慶作 #浄楽寺

  • 1189年、木造で140.5cmのもの

  • この仏像は興福寺(私のNOTE)の毘沙門や四天王にも通じるもので墨書がなくても運慶だ!と判断されるかと思う

  • 呼吸をしているリアリズムの毘沙門天で、腰に手をやれば鞍馬寺式毘沙門天(私のNOTE鞍馬寺)と言えようか

  • 一番の特徴は、赤みを帯びて、少し怖さを感じる玉眼ですね

  • 願成就院の運慶仏像群との中では、一番共通点が多い認識

  • 願成就院と違うのは邪鬼が運慶作のままでもある

|-6 月輪形銘札(3点。阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像及び勢至菩薩立像の像内納入品) 文治5年(1189) 木造 56.0~71.5 #浄楽寺 (横須賀市芦名) 国指定重要文化財 附

 運慶作のエビデンスですね。これがあるということは、前述の仏像たちは国宝になることは近いと思う。この仏像展では江戸時代の写しで、後述の金沢文庫の本物があります。モノホンと詳細な解説は「https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=3298」を参照で、「運慶」がおり「10人の弟子」が携わったとある。つまりのところ、「運慶作=運慶を中心に造られた運慶工房の作」である。繰り返しになるが、今と同じく運慶が手を入れるなら大金が必要になるのだろうと思う。ここが「運慶作」の「真作」の定義の難しさがあるのだろうと思う。現代風にいえば、設計したら運慶作なのか?プログラムまで書かないと運慶作とならないのか?という所かと。

|-7 観音菩薩坐像 中国・南宋時代 木造 61.8 #清雲寺 (横須賀市大矢部) 国指定重要文化財

 南宋時代の鎌倉仏ですね!!中国から来た仏像のようですね。雰囲気は御寺こと京都・泉涌寺(私のNOTE)に繋がる大陸風味な顔である。なぜ?この仏像が展示されていたのかはよく分からなかった。。なお、泉涌寺の弟子が持ち込んだ説があるよう。これを呼んだのが三浦氏なんだそうな。この仏像を持ち込んだときには、運慶は没しているようだが・・・。
 さて、京都・泉涌寺といえば日本の仏像「楊貴妃観音」である。同じ風貌に感じるが、大陸のものと日本のものとの技術や美的感覚の違いを楽しむ仏像。
お姿は次の通りですが「滝見観音」とも呼ばれている。ひとまず、奈良と京都には作例が少ない衣文に注目!!

|-8-9 薬師三尊:#天養院

  • 8 薬師如来坐像 平安時代 木造 74.5 天養院(三浦市初声和田) 神奈川県指定重要文化財

    1. 割れているのは和田氏の変わりに太刀を受けたという伝承があるぐらい確かに切られている

    2. 実際は一木造で内側を空洞にしていないなどで割れている

    3. 11世紀ぐらいの平安時代の仏像で、シュッとした薬師如来坐像である

  • 9 左脇侍立像 平安時代 木造 110.0 天養院(三浦市初声和田) 神奈川県指定重要文化財

    1. 脇侍は滋賀・甲賀や三重・伊賀に安置されている仏像に感じた

    2. 地方仏師の作例の認識だが、なかなか腕のある地方仏師なのだろうと思う

  • 10 右脇侍立像 平安時代 木造 110.0 天養院(三浦市初声和田) 神奈川県指定重要文化財

|-まとめ(復習と動画)

 定期的にしているようですね。

#神奈川県立金沢文庫 「#運慶ー女人の作善と鎌倉幕府ー」

 2017年に東京国立博物館で行われた『運慶展』でも、その後に『運慶展』が神奈川県立金沢文庫で行われた。今回もアライアンスを組んで運慶展を開催。なぜ乗っかるのか?回答は次の通り。
 「運慶の仏像=武士からの人気」は有名だが「運慶の仏像=女性も支持」でもあったようで、そのエビデンス群も展示している。

  • ノミで仏像を彫る弟子たちを背に商売をする運慶
    私のNOTEで「良い仏像=発願に権威・権力を持つ金持ちがいる」と書くが、それを表した絵がある

  • その絵には女性が多く描かれている

  • その模様は「https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=725」です。

  • お経は比叡山延暦寺(私のNOTE)、三井寺(私のNOTE)、清水寺、三十三間堂(私のNOTE)などで書いたもので、それが鎌倉にある

  • 源頼朝は、鶴岡八幡宮(私のNOTE)に五重塔と大日如来を2体を安置した

  • 鶴岡八幡宮寺ゆかりのものも展示されている

|-特別展情報

運慶は日本史上最も著名な、卓越した技量をもつ仏師であり、鎌倉時代初期に、新政権である鎌倉幕府と密接に結びつくことで活躍したことが知られています。また運慶の造仏は、実は北条政子や大弐局など、鎌倉幕府の有力な女性たちとも密接に結びついていました。
本展覧会では、改めて運慶と女性の関係に焦点を当てながらご紹介します。そこでは、運慶の造仏と、それに伴う造寺や仏事など、女性たちの信仰との関係のありようの一端を明らかにすることが出来るでしょう。

公式HP:https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawabunko/bunko/tenji(unkei2024).html

|- 天王立像:

 中尊寺の影響を受けた二天です。動画直リンクしますので、そちらをどうぞ(https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=1465) 。

|-勢至菩薩坐像:個人蔵

 確かにこの顔は運慶っぽいと言えば運慶っぽい。ただ体格がほっそりしているので違う気がするのだが・・・。次の清水寺のものと見比べましょう。
 見どころは京都・三千院(私のNOTE)の脇侍と同じく大和座をしていること。これは鎌倉にはなく京都の仏像に多いことからも、奈良だけではなく京都でも運慶は活躍したと専門家は言うが、運慶は東寺(私のNOTE)の仏像にも携わっているので京都所縁の仏師であることも記しておく。

|- 観音・勢至菩薩立像@重文: 清水寺(京都)

 京都・清水寺に安置されている運慶工房の観音・勢至菩薩立像ですね。武士に重宝され鎌倉に流れていく運慶。元々は奈良・東大寺(私のNOTE)や京都・東寺(私のNOTE)で仏像修復に勤めていた。皇族や貴族は院派・円派を重宝し、武士は運慶を推すことになる。そして、鎌倉で花を咲かす。

 2017年は快慶っぽいとの感想だが、やっぱ運慶かなと思ってきた。でも、快慶っぽくもあるな~と思ったり、しかし、腰のくねり方の強さが運慶工房っぽいかな~。いずれにせよ、腕は膝あたりまでで、片足が前に出ているところは、早く助けに行く様を表現しており、基本に忠実であることも記しておく。

京都・清水寺の観音菩薩立像@重文と勢至菩薩立像@重文が展示されていた。個人的には、快慶系の仏師作のように感じた。理由は快慶は後白河上皇と繋がりが強く京都周辺で活動をしており、快慶・湛慶の仏像が多い。

2017年東京国立博物館:運慶展
https://www.jalan.net/travel-journal/000073071/


|-地蔵菩薩坐像@重文: 瑞林寺(静岡)

 運慶の父・康慶作です。この仏像を見仏して京都・六波羅蜜寺(私のNOTE)の運慶作・地蔵菩薩坐像@国宝を見仏すれば、なるほど!父であり師匠だ!!さすが慶派の祖!!!と思うのは間違いないだろう。
 そして、この仏像の後に、運慶の奈良・円成寺(私のNOTE)の金剛界式大日如来坐像@国宝に繋がる。康慶時代から慶派は東国との繋がりがあったことがわかる一品でもある。

 動画は「https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=2622」です。
 当時は公家に愛された円派・院派が推されていたので、慶派は地方に活躍の場を探したのかも。と言いたいが、厳密にいえば、快慶は京都でも活躍した認識なので、慶派ではなく運慶は当時の権力者がいた鎌倉で活躍したとの認識である。最後に、康慶と運慶の地蔵菩薩を見仏したらラストは快慶作の地蔵菩薩坐像@重文を見仏すべきである。場所は京都・如意寺(私のNOTE)ですね。この3つを見仏すれば、脈々と続く慶派のすばらしさが分かるはず。

|- 阿弥陀如来坐像@重文: 願生寺(静岡)

 前述した横須賀美術館に出展された浄楽寺の運慶作・阿弥陀如来坐像@重文に酷似しているとする。運慶作ではないが運慶工房であろうとしているのは、運慶テクニックの上底が採用されているため。
 動画の説明は「https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=2824」です。なるほどね~、荘園を管理すべく京都からこの周辺に来た人たちが興福寺繋がりなんだそうな。興福寺の仏像修復といえば慶派なので、運慶もついていったのかも。

 ということで、 後述の寿福寺・薬師如来坐像@重文も伝運慶作も理解できるが違うと思う。運慶工房なのだろうとは思うが。

|- 毘沙門天立像:個人蔵

 個人から電話で「運慶仏あります」とあり、その人が由緒ある家系のようで注目された毘沙門天。邪鬼は浄楽寺の毘沙門天に酷似して、模刻なのではないかという解釈のようだ。違いは甲冑のようで、もしかしたら、もう無くなってしまった「願成就院」の毘沙門天立像ではないか?説がある。

|-不動明王踏下坐像:個人蔵|-四天王立像|-多聞天など

 京都・北向不動と似ているもの。詳細は「https://youtu.be/vIQeSL8Vddg?t=4613」で。運慶の兄弟仏師・宗慶作とされている。
 誰が造ったかはさておき足の親指の上がり気味など細かい部分で「動」を表現しているなと思う。宗慶の仏像良いですね~、

|- 薬師如来坐像@重文: 寿福寺(神奈川)

 北条政子発願の柔らかな薬師如来坐像です。先に書いた願生寺・阿弥陀如来坐像@重文と似ており、興福寺北円堂の弥勒菩薩坐像の特徴と共通していることから伝運慶作もわかるが、たぶん弟子とかなのだろうと思う。設計やレビュー・チェックはしたかもしれないが、自ら手を入れることはなかったのではないかと想像する。
 なお、この仏像は金綱仏で、、北条政子ゆかりの仏像で、神仏分離令が出るまでは鶴岡八幡宮の神宮寺に安置されていたものとも。

|-抜頭面@重文: 瀬戸神社(神奈川)

 快慶もお祭りの仮面を造ったりしているし、当時は神仏習合時代なので運慶が造っていてもおかしくないかと思う。

|-四天王立像@重文: 海住山寺(京都)

 ああああ~京都にある国宝・重文だらけの寺からも来ているんだ。東大寺(私のNOTE)の大仏殿には運慶・快慶関係の巨大四天王仏が安置されていた。今と同じく、モックアップを造り、それを基に大きいものを作るのだが、そのモックアップが、海住山寺(私のNOTE)のもの説がある。

|-十二神将立像@重文:曹源寺

 運慶工房で造られた十二神将を一気に公開されています。やっぱ、この躍動感だよね!ということで「動の運慶⇔静の快慶」だなと思う。顔が運慶っている。ただ、注意が必要なのは、運慶の次男坊でもある国宝仏師・肥後定慶もこの手の顔の仏像を造るんですよね~。
 現在は、東京国立博物館所蔵なんですね。

東大寺幻の巨大四天王のミニチュア(モックアップ)と言われる京都・海住山寺「四天王立像@重文」が展示されていた。みんなどういう気持ちで見仏していたかわかりませんが、重要な仏像なんですよね。色彩も当時のまま残っており、小さいながらも玉眼なんですが、今回気付いたのが邪鬼も玉眼でした。。

2017年東京国立博物館:運慶展
https://www.jalan.net/travel-journal/000073071/

|-運慶真作・大威徳明王破損仏と巻物

 過去の私の旅行記参照で。

▼鎌倉国宝館「鎌倉の伝運慶仏」 

|-特別展情報

|- 阿弥陀如来及び両脇侍立像: #教恩寺

|- 大日如来坐像: #寶生寺

木造 大日如来坐像 - 文化遺産データベース

|- 地蔵菩薩立像@重文: #寿福寺

  • 「地蔵菩薩立像」は、鎌倉時代のもので、頭部から蓮華座までを一木の珍しい像

  • 現在は、鎌倉国宝館に寄託

  • 鎌倉二十四地蔵

|- 地蔵菩薩坐像: #浄智寺

 仏像は次の公式HPを参照で。

その他の情報です。

|- 弁才天坐像@重文: #鶴岡八幡宮

  • 1266年、舞楽師中原光氏が舞楽院に奉納したもの

  • 鎌倉時代の特徴的な裸形彫刻のため「裸弁財天」と呼ばれる

  • 鎌倉時代には、裸形像を造って新しい衣に着せ替え、生きている仏信仰があったようだ

  • 明治の神仏分離によって行方不明になったが、関東大震災の修理のときに倉庫の中で見つかった

  • 元々は「旗上弁財天社」に安置されていた説がある

  • 現在は、鎌倉国宝館に寄託

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nb794df640907)

|- 十二神将立像: #鎌倉国宝館

 こちらをどうぞ!!運慶の影響を受けたのが良くわかる!運慶工房だろうか。

  • 「辻薬師堂(辻の薬師堂)」に安置されていた仏像群

  • 辻薬師堂は、鎌倉市大町というところにある小さなお堂で、鎌倉市名越にあった長善寺の流れを汲むお堂

  • 十二神将像は、像高100センチ余りから150センチ余りで、ヒノキの寄木造で玉眼

  • 4体は江戸時代に補われている

  • 頭部に動物の標識がついていない十二神将で、他の十二神将像との比較によって、子神などを確定させた

|- 俱生神坐像/初江王坐像/鬼卒立像: #円応寺

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n8c652f6272f2)

|- 阿弥陀如来坐像/阿弥陀如来立像: #県立歴史博物館所蔵

 快慶と運慶の仏像に感じる。ファンタジーだが、真作なら阿弥陀如来で、快慶必殺・三尺阿弥陀如来立像と運慶・阿弥陀如来坐像の対比になるので、面白いなと。

 今回の「今月の逸品」は、当館所蔵の鎌倉時代の阿弥陀如来立像を紹介します。本像は、2020年12月の逸品で紹介した鎌倉時代初頭の阿弥陀如来坐像よりやや下る鎌倉時代中期頃の作例で、鎌倉時代に仏師運慶とともに活躍した仏師快慶の仏像に近い作風を示す像です。他の仏像と同じように原所在地や伝来はわからないですが、プロポーションの整った優品といえるでしょう。

https://ch.kanagawa-museum.jp/monthly_choice/2024_02

一般的に仏像の裏側を見ることは少ないと思いますが、この裏側(像底ぞうてい)に仏像の構造の秘密があるのです。この阿弥陀如来像の像底は、ハート型のようにきれいに内刳りを施しています。このような像底を上げ底式の内刳りと呼んでいます。この技法をはじめたとされているのが、鎌倉時代に活躍した仏師運慶です。文治5年(1189)に造られた横須賀市・浄楽寺の阿弥陀如来坐像はこの上げ底式内刳りの最も古い現存作例と言われています。
 このような形や構造等から総合的に判断し、この阿弥陀如来像は鎌倉時代13世紀に造られたと考えられています。ただ、この像の伝来がわからず、もともとどのような寺院に祀られていたのかはわかりません。運慶の造った仏像に形や構造が似ていることから、鎌倉周辺に伝わったかもしれませんね。

https://ch.kanagawa-museum.jp/monthly_choice/2020_12

  →鎌倉国宝館「鎌倉の伝運慶仏」

 |- 阿弥陀如来及び両脇侍立像/虚空蔵菩薩像/被帽地蔵菩薩像/跋陀婆羅像/鐘馗像: #円覚寺

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/ncbc77f233d97)

 |- 北条時頼坐像/蘭渓道隆像/観音菩薩像/喜江祖歓像: #建長寺

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n8c652f6272f2)

 |- 上杉重房坐像/玉隠英璵像: #明月院

 上杉重房坐像については次の通り。

  • 上杉重房は、藤原姓の公家

  • 幕府から京都・上杉荘を賜って「上杉」と改姓した

  • 1252年、六代将軍・宗尊親王が鎌倉に下向する際、親王に従って下向

  • 1266年、宗尊親王が鎌倉を追放された後も鎌倉に留まり、武士として鎌倉幕府に仕えるようになり、足利氏と婚姻関係を結び、その地位を確立

  • 娘は足利頼氏に嫁いで足利家時を産み、孫清子は足利貞氏に嫁いで足利尊氏・直義の兄弟を生んだ

  |- 薬師如来坐像@重文: #養命寺

  • 秘仏本尊

  • 像高90.5cm、檜材寄木造で玉眼

  • 源頼朝に仕えた大庭景義の子景兼の守護仏と伝えられ、薬師堂の本尊説がある

  • 運慶様式を取り入れた仏像とする

  • 1197年の墨書銘があり、仏師は運慶工房のもので、願主は大庭景義・景兼父子か三浦義澄・義村父子と考えられている

  • 12年に一度の寅年に開帳

 |- 之庵道貫像: #帰源院


|- 地蔵菩薩坐像: #伝宗庵


 


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