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真如堂の守護神「京日吉神社」狛猿祀り#京都岡崎シリーズ

真如堂の鎮守社のようですね。周辺の家や会社にこの神社の札があるのが京都らしく、古社である印だろう。って、あまり知らなかったのだが・・・。

変更履歴

2024/11/06:初版


▼HP▼アクセス

京都市左京区浄土寺真如町53

▼祭神・本尊と脇時

山王権現:十禅師大明神
吉田神道の天之子八根命国常立尊

▼見どころ

→由緒

  • 984年、#真如堂(#真正極楽寺(私のNOTE))の守護神として創建

  • 真如堂は、東三条院(藤原詮子)の離宮に比叡山の常行堂の阿弥陀如来を安置した際に創建

  • 延暦寺(私のNOTE)の鎮守社である日吉大社(私のNOTE)をこの地に勧請して創建

  • 真如堂の旧地は日吉神社に隣接している換骨堂なんだそうで本当にお隣さんだったようだ

  • 応仁の乱による戦火で堂塔は焼失

  • 日吉神社は祭事を行い続けた

  • 1693年、東山天皇の勅により真如堂は神楽岡東麓に戻り、創建当初の場所の南西高台に再建

  • 再建されると京日吉神社は真如堂の鎮守社となる

  • 明治の神仏分離により独立

  • 本殿前の狛猿は、阿形が長寿の桃の実を持つ「長寿猿」で、吽形が子猿を抱く「子守猿」として知られている

→一の鳥

東山三十六峰や霊峰比叡山を見晴るかす白川畔のこの地に、平安時代、円融天皇妃で一条天皇母后である東三条院詮子の離宮があった。そこに、戒算上人が比叡山の常行堂に安置されていた阿弥陀仏を移して寺院としたのが真如堂の創建である。そして同じく比叡山の守護神である日吉の神を山王権現として勧請したのがこの日吉神社の草創である。真如堂は、応仁の乱(1467年)で荒廃し諸方を転々としたが、この神社は永くこの地に祀られ、吉田家とも相謀り祭事を維持した。元禄六年(1693年)に真如堂が再興されて旧態に復し、現在に至る。御神像は、山王権現の十禅師大明神と吉田神道の御神宣である国常立尊が合祀された地蔵菩薩立像で、地主の神・厄除の神として広く崇敬されている。また、本殿の前には、厄除の桃と小猿を抱いた日吉の神の使いてある神猿が狛猿として参拝者を迎えている。

→拝殿・本殿

向かって左の 「吽形」が可愛い子猿を抱く『子守猿』で、向かって右の 「阿形」は長寿の桃の実を持つ『長寿猿』。

 祭神は、十禅師大明神と天之子八根命国常立尊になっている。
 十禅師大明神は日吉系の主祭神の一柱で、比叡山の守護神で、山王権現としても知られている。
 天之子八根命は、中臣氏・藤原氏の祖である天児屋命(アメノコヤネノミコト)とも。アマテラスが天岩戸に隠れた際に、祝詞を唱えたり、ニニギノミコトの天孫降臨で随伴した神様。春日大社(私のNOTE)や枚岡神社(私のNOTE)などで祀られている。天之子八根命は近くの吉田神社(私のNOTE)繫がりかもね。
 国常立尊は吉田神道の影響ということなんだそうな。近くの吉田神社(私のNOTE)も参拝をどうぞ!!

→本殿右「石不動明王」

「いし不動」ではなく「いわ不動」と読む。元々は真如堂のものなんだろうかと思うのだが。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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