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源氏物語ー深い森のように尽きぬ読み処9
(9)「空蝉」から味わう源氏物語
この連載もあと2回となりました。最後に、個人的な好みになりますが、いちばん好きな2人の登場人物を取り上げて源氏物語の魅力を多面的に楽しむ方法について記します。今回は、光源氏の情事の相手としては物語で最初に描かれる空蝉です。
1 矜恃の女(ひと)の人生
上の画像は、京都国立博物館に所蔵されている「源氏物語絵色紙帖」の「空蝉」の場面です。碁を打つ女性の右側が空蝉です。
(出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp 部分)。
空蝉は上級貴族の家に生まれましたが父親の没後は実家が零落し、地方官吏の受領(ずりょう)だった伊予介(いよのすけ)の、年の離れた後妻になっていました。17歳の源氏は、伊予介の先妻の息子の邸宅に宿泊した夜、たまたま泊まり合わせた空蝉の寝所に忍び込み、「前世の因縁です」といった常套句で口説きました。これに対し空蝉は、源氏の言動は身分の低い女を「見下げ果てたお扱い」であり「このような身分の者には、またそれとしての恥も外聞もあるものなのでございます」と訴えましたが、拒み切ることはできませんでした(現代語の表現は円地文子訳による新潮文庫『源氏物語』より)。思いを遂げた源氏に対しては「人の妻にならない昔の身だったらあなたにすがることもあったかもしれないが、このような仮そめの夜は、せめて無かったと思ってほしい」と言い、二度と源氏と逢おうとしませんでした。
2 作者の意図を考える楽しみ
情事の最中にここまで自らの誇りを口にした空蝉の心強さは、源氏物語では稀有の人物造形と言えます。与謝野晶子は「空蝉に、作者の面影を認める」「空蝉の心理描写のあれほど精細に書きつくされてあるのは、作者の体験にほかならないからであろう」と記しています(「紫式部 日本女性列伝」より。春秋社『与謝野晶子選集 第4』所収)。
確かに自分の家が零落したことや年齢の離れた受領と結ばれたことは紫式部の実人生と重なりますが、作家として自らを直接投影させたとまで言えるのかはわかりません。ただ、自分ではどうしようもない身分・階級社会の現実や、男中心の貴族社会に生きる女性の矜恃については、式部の生い立ちや考え方が影響しているのではないかという気がします。根拠のない推測になりますが、空蝉ものがたりの原型は、紫式部が宮仕えして長い源氏物語を書くよりかなり前の時期に、短編として形になっていたのかもしれません。
空蝉は、源氏と別れて地方へ赴任する夫に同行しましたが、老齢の夫を亡くした後、義理の息子から懸想されたのを苦にして出家しました。その後、栄華を極めた源氏から別邸の一室を与えられて、静かな後半生を過ごしたことが記されています。若き源氏を複雑な思いで拒んだ空蝉が、のちに源氏の庇護を受けたというストーリーを最初に読んだときに私は、あの矜恃は何処へ? と少し興覚めな思いがしました。しかし、夫を喪った女性が経済的に自立して生きるのは難しかった時代だったことを考えると、この後日談はむしろ紫式部らしい、社会の実相を見据えた描き方であり、物語のリアリティーを高める効果をもたらしていると思うようになりました。
3 読者に考えさせる手法
源氏物語は、重要なできごとや登場人物の心情を作者があえて省略し、読者の推測にゆだねる高度な作風だと言われることがあります。空蝉の場合は情事の際の会話が書かれている方ですが、源氏を拒否しながらも惹かれる彼女の気持ちについては抑えめにしか記されていません。これを現代語訳でどう料理するかは、訳者の個性が強く出ます。空蝉については円地文子氏が、原文にない次の記述を書き足して訳しています。訳すときに溢れる情感を言葉にせずにはいられなかったと、円地氏は自ら説明しています。
私は、私にあのような花渦の中の眩暈をみせて下さったあの方を明らかに恋しはじめている。・・・恋しているからこそ、あの方のおっしゃるようにやすやすとは振舞えないのではないか。(円地訳「帚木」新潮文庫より)
4 衣裳、和歌、絵で味わう空蝉
源氏物語は、作者が豊富な知識を披露している衣裳の記述も味わいどころです。特に空蝉との恋は、衣裳がキーアイテムになっています。源氏が再び空蝉と契ろうとして寝所に忍び込んだとき、気配を察した空蝉はその場を逃れました。小袿(こうちき)という女性の上着だけが蝉の抜けがらのように遺されていました。源氏は移り香の残るこの衣裳を持ち帰り、抱いて寝ることで彼女を恋しく思いました。
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(同美術館デジタルミュージアムより引用)
小袿を遺して源氏から逃れる空蝉が描かれている
その数か月後、空蝉は任地の伊予に向かう受領の夫と共に都を後にしました。源氏は秘かに空蝉の小袿を餞別と一緒に送り返しました。これを別れのメッセージだと受け止めた空蝉は次の和歌を返します。衣裳を返すことを男女の関係が冷えたことの象徴と見なした後撰和歌集の恋歌を踏まえたという説があります。
蝉の羽もたちかへてける夏衣(ころも)
かへすを見てもねは泣かれけり
<蝉の羽のような薄い夏衣も裁ち更えて、更衣(ころもがえ)をすませた今、あの時の薄衣をお返し下さるのを見ますと(お心も変ったのかと、蝉のように)声を上げて泣いてしまいます。>
(和歌は新潮日本古典集成『源氏物語』「夕顔」より。訳も同書頭注を引用)
源氏との出逢いから12年後、空蝉は老いた夫の赴任地の常陸から京へ戻る途中、たまたま石山寺に参詣する途中だった源氏と逢坂の関ですれ違います。「関屋」の帖の余情豊かなこの場面は、現存する国宝「源氏物語絵巻」で唯一の風景画として描かれ、徳川美術館に所蔵されています。
5 時代を超えて語り継がれた空蝉の人生
空蝉は源氏物語の主役級のヒロインではありませんが、個性的な人柄と、人生で経験した悲哀が印象に残ります。能の題材にもなり、明治末期に出版された『謡曲評釈』(大和田建樹・博文館)には「空蝉」という曲が掲載されています。内容は、旅の僧が京都の三条京極にある「中川の宿り」を訪れると里の女が現れ、光源氏と空蝉が交わした和歌を詠んだ後消えます。後半でこの女性は空蝉の霊とわかり、供養を受けて舞を披露したあと僧の夢が覚める、という筋書きの「夢幻能」です。能の「空蝉」は大正時代以降、廃曲になったそうですが、去年11月に国立能楽堂で復曲能として宝生流によって演じられました。残念ながらチケットを入手できず鑑賞の機会を逸しましたが、詞章を読むことで能ならではの空蝉の描き方を堪能しました。(謡曲「空蝉」の詞章は国立国会図書館デジタルコレクションによってオンラインで読むことができます。出典 https://dl.ndl.go.jp/pid/876567)
一方、松尾芭蕉の『奥の細道』にも源氏物語の空蝉の文章が引用されています。冒頭、芭蕉が元禄2(1689)年の春の終わりに「行く春や・・・」と詠んだ、東北・北陸への旅の初めの有名な場面です。
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峰幽(かす)かに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。
(角川ソフィア文庫『新版 おくのほそ道』より。ルビは筆者による)
旧暦3月27日早朝の情景についての「月は有明にて・・・」の表現は、源氏物語で空蝉と源氏が一夜を過ごした翌朝の、以下の原文をそのまま引いています。
月は有明にて、光をさまれるものから、かほけざやかに見えて、なかなかをかしき曙(あけぼの)なり。
(新潮日本古典集成『源氏物語』「帚木(ははきぎ)」より。ルビは筆者による)
芭蕉の紀行文や俳句で源氏物語の一節は数多く引かれていますが、俳諧紀行の大事な出発時の情景に引用した芭蕉は、空蝉のものがたりへの思い入れが深かったことが窺えます。
6 ゆかりの地めぐり
空蝉と源氏が仮そめの一夜を過ごした家は、能の詞章にも地名が出てくる「中川のわたり」にありました。現在の京都市上京区で、京都御所と鴨川の間に位置する静かな一角です。すぐ近くの廬山寺(ろざんじ)のあたりは紫式部が育った地と伝えられています。現地を散策すると昔の風情が残っているように感じられ、空蝉のできごとの舞台として選んだ作者自身の思いを推し測るよすがとなる気がします。
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梨木神社の脇の散歩道
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このあたりに紫式部の邸があったと伝えられている
【追記】
前回のコラム(8)の最後に紹介した三重県の斎宮歴史博物館の展覧会に行ってきました。常設展示も含め大変わかりやすく充実した内容でした。古代から660年間、天皇が即位するたびに皇女が伊勢神宮に仕えた代々の「斎王」の人生に関心を掻き立てられ、伊勢物語や源氏物語を題材にした江戸時代の屏風や絵巻にも感動しました。近鉄斎宮駅から博物館にかけての広い敷地には発掘された斎宮の遺跡が整備され、博物館と合わせてお薦めします。
コラムの最後となる次回は登場人物の「玉鬘(たまかずら)」を取り上げ、今回と同じようにさまざまな角度から源氏物語を深く楽しむ方法について記します。3月14日に記事をアップする予定です。また、毎度の宣伝になりますが、著書『源氏物語 生涯たのしむための十二章』は電子書籍も出版しています。よろしければご一読いただけますと幸いです。