【マイ・ポリスマン】それを悲恋だと決めるのは【読書感想文】
私は普段、あまり恋愛小説を読まない。どちらかと言うと、ミステリーやSFの方が多く読む気がする。
私は、どうして自分があまり恋愛小説を読まないのか、その理由をずっと忘れていた。しかし、今ならわかる。
恋愛小説に溢れるあらゆる感情を処理しきれなくて、胸がいっぱいになって、呆然としてしまうのが怖くて、あまり恋愛小説を読めなかったのだ。それをこの本が思い出させてくれた。ずるずると、残酷なまでに。
『マイ・ポリスマン』概要
ベサン・ロバーツ 著 守口弥生 訳
二見書房(2022/5/23)
普段、恋愛小説をあまり読まない私が、どうして本作を手に取ったのか。それには、こんな経緯がある。
本屋に行く前日、偶然ハリー・スタイルズが警察官役で映画の主演をすると知った。ただ、推理ものだと勘違いしていた。
翌日、欲しい本と同じ棚に『マイ・ポリスマン』を発見。物憂げな表情を浮かべる青年の表紙に惹かれて手に取った。ここで帯を見て、本作が恋愛ものであること、同性愛に関する話だと気付いた。
軽く目を通したあらすじとは裏腹、1ページ目の不穏な気配に「何事……?」となった。(だから、まだこの時はミステリー×恋愛ものなのかなと思っている)そこで、買う予定ではなかったけど思い立って購入。この時の不穏さが無かったら、多分私は『マイ・ポリスマン』を読んでいない。
よくよくあらすじを読んで恋愛メインの小説だとやっと気付く。「でも、表紙のイラスト好きだし、映画もあるし、読んでみよう!」と、久々の恋愛小説にきゃぴきゃぴしてページを開く。
そして、本作を読み終わった今、私はこんなことを思っている。
こんなキャピ付いた気持ちで読み始めたのが申し訳ない。なんと美しく切なく物悲しい、やるせない物語なんだ……。
❗注意❗
この後から、あらすじには記載されていない内容や結末のネタバレを含みます。『マイ・ポリスマン』読了前の方は、そちらをご了承の上閲覧頂くか、もしくは読了後の閲覧をお願いいたします。
二人にとってのオム・ファタール
男性の人生を狂わせるほどの運命の女性を、ファム・ファタールと言う。その逆で、運命の男性のことをオム・ファタールと言うらしい。
それって、トムのための言葉じゃありませんかね……?
もし、この小説を私がイギリス人のティーンエイジャーとして読んでいたとしたら。多分、文章から溢れ出す若かりしトムの魅力にあてられて、それを膝に受けて、一生の傷として抱えることになっていただろう。そう思うほどにトムが魅力的に描かれているのは、この物語の語り手が彼に向ける眼差しのせいだ。
トムが初めて本作に登場する時、彼は若干十五歳。描写はそこまで多くないのに、彼の見た目が、態度が、いかにマリオンを魅了したのかが伝わって来る。
彼の美貌、少し斜に構えた態度、優しさとささやかなユーモアを兼ね備えた物言い、運動神経の良さ……マリオンから見たトムは、まるで理想の王子様! 小説として本を読む私と違い、マリオンは彼を実際目の当たりにしている。ああ、あなたよくぞご無事で(無事ではない)……。
そして当然、トムと出会い恋に落ちたのはパトリックも同じ。同性愛が法律で罰だとされていた時代、男性同士であるがゆえに、トムとパトリックが親交を深めていく過程はマリオンのそれとは違って緊張感がある。とても繊細で、かつ、艶っぽさがある。
マリオンの無邪気な恋、性へのあこがれとは違う。互いの存在を渇望し、求めながらもそれに反発する葛藤。一度も「愛してる」なんて言わないのに、息が止まりそうなくらい伝わって来る愛情。
マリオンが言う「トムがあなた(パトリック)からどう思われるかを気にしていた、それを見るのが耐えられなかった」からもわかるように、トムからパトリックへの愛情表現はとてもわかりにくく、静かだ。
だからこそ、二章にあたる”Two”の最後でトムとパトリックが迎えた場面が、そしてトムがパトリックに向けた一言が、あんまりにも官能的かつトムの自己中心的とも言える魅力に溢れていて、私は思わず頭の中で叫んでしまった。
マリオンーーーーー!!! マ、マリオンーーーーー!!!
どうしたらいいんだ、マリオンーーーー!!!
私は、彼女より先に一人でこの光景を見てしまったことに、酷く動揺した。
それを悲恋だと決めるのは
同性愛作品の多くは、同性同士の恋愛を悲恋として扱うことが多い。それは、時代背景を見れば「仕方がない」のかもしれない。実際、『マイ・ポリスマン』の時代は男性同士の同性愛行為が違法とさえれていた。法律がそれを罰するなら、罪だと言うなら。その上で自分たちの愛を貫くのは、確かに悲恋だろう。
それは、あらすじを見てもわかる。つまり、この恋が悲恋であることは、あらすじに書いてしまっても問題がないほど、「仕方がない」ことなのだ。
私はマリオンを責められない。パトリックを同性愛者だと告発した、彼女のことを。嫉妬、焦り、正義感、後悔、嫌悪感……。あらゆるものがないまぜになって、彼女はパトリックを告発した。愛するトムではなく、トムが愛するパトリックを。その行為がトムに影響を及ぼす可能性も、パトリックの人生をどう変えてしまうのかも、深く考えずに。
もちろん、当時は罪人とされたパトリック、そしてトムのことも含めて、私は登場人物のことを責められない。誰も悪いことはしていない(結婚したのに恋人と不倫関係にあることは悪いことだと思うけれど)。
ただ、確実に言えるのは。もし作中の何かを責めるとするならば、同性愛を犯罪だとみなし罰してきた時代、偏見の目を向ける世間を責めたい。
仕方がない。仕方がない。この恋が悲恋であることは、恋が始まった時点で決まっていた。
だけど、思う。
いや、意味わからん。なんでだよ。なんで、この恋が悲恋で終わるかどうかを、法律が、世間が決めるんだ。
違う、本当は意味なんてわかってる。頭ではわかっているつもりだ。当時の時代背景、そして現在にも続く偏見、法整備が進んでも人の中に残る何かを。
だけど、いや、意味わからんと思う。法律は、人の幸せを守るためにあれよ。日頃からそう思っていたけれど、本作を読んで更にその気持ちが高まった。
ただ、私はこの感想文で政治的な云々を訴えたいわけではない。ただ純粋に思うわけだ。
彼らが身を焦がす恋を悲恋だと決めたのが、本人たちであればよかったのに。法律や世間の目ではなく、本人たちであればと。ただ、それだけを。
“マイ”・ポリスマンと、表紙の意味
私は『マイ・ポリスマン』というタイトルを見た時、「誰のポリスマンなんだろう」と思った。そうしてしばらく読み進めて、「"My"はマリオンじゃないのか……?」という疑問を持った。彼女の視線では、警察官であるトムはほとんど出て来ない。道端で再会した時や、仕事終わりの時くらい。
しかし、”Two”でこの言葉を見た時、ハッとした。
「わたしの警察官」
パトリックだ。トムを「マイ・ポリスマン」と称したのは彼だった。そして彼は終始、自分の手記ではトムの名前を出さず「わたしの警察官」と書き続ける。
しかしその、一見すると単調で事務的な言葉の響きに、パトリックがトムへ向ける愛情の深さが伝わって来る。実際、パトリックの裁判の時、手記が読み上げられた時でさえ、(誰かは特定出来てしまうにせよ)トムの名を呼び愛を語る文面は読み上げられなかったわけだから。
そして、これを踏まえてもう一度表紙を見た時。この絵はもしかしたら、作中で完成したと言及されなかった、パトリックが描いたトムの肖像画なんじゃないかと気付いた。
もちろん、パトリックが描いていたトムの様子と異なるのはわかっている。パトリックが描いていたのは、警察官としてのトム。わざわざ制服を持参して、パトリックの元を訪れていたトムの姿。
だけど、彼らに起きた出来事を知ってしまった後でこの表紙を見ると。
胸元の開いたシャツ、上から三番目のボタンに指を添えたトム(と思われる青年)。
これは、"Two"の最後の場面、二人の今後が決まった短い言葉が交わされたあの海辺の交番での出来事を思い出させる。ボタンに手をかけ、ゆっくりと罪を告白するかのように始まる、言葉と情と欲のやり取り。慎重に繊細に描かれたこの場面は、二人の初めてよりも強く私の脳裏に残った。
もしかしたら、それはパトリックも同じだったんじゃなかろうか。情動的な初めて、自宅という安全な場所での初めてより、交番と言う公共の場で、静かに自ら手を伸ばしたあの日のこと。
もちろん、トムは肖像画のためにと言って何度もパトリックの元を訪れているから、パトリックが表紙のようなポーズを実際にトムにオーダーしていた可能性はある。
だけど、もし完成していなかったら。
表紙の絵は、投獄されたパトリックが頭の中で描いた、あの日のトムの肖像だったのかもしれない。そう思うことだって出来る。
この絵に重なる『My Policeman』の文字が、ますます私の心を締め付ける。表紙を見ているだけで、溢れるあらゆる感情を処理しきれなくて、胸がいっぱいになって、呆然としてしまう。
だから恋愛小説はいけない。心が物語の中で立ち止まる。
……本当に、「表紙の絵、好き!」とかいうキャピ付いた気持ちで読み始めたのが申し訳なかった。それと同時に、私だってマリオンやパトリックと変わらないなと心底感じた。
私だって、表紙に描かれたトムを見て、惹かれて、彼らの人生を手に取ってしまったのだから。
物語の終わりは物悲しい。正直、トムの心情は最後までわからなかった。パトリックの慈悲深い愛に比べて、トムは自己中心的なようにも思えた。少なくともトムは投獄されていないし、体も健康だ。パトリックの余命がわずかとわかってようやく向き合ったのは、あまりに遅すぎるように思う。
しかし、マリオンが綴った物語を読み聞かせる姿に、ほんの少しだけ安堵したのは。トムもまた、自分の中にあるパトリックへの愛情や欲に葛藤してきたことを、感じ取ることが出来たからかもしれない。
やっぱり最後まで、トムはオム・ファタールだ。マリオンとパトリック、そして読者にとっての。
奇しくも時はプライド月間
本作の刊行日は5月末。刊行時期が意図されたものかはわからないが、6月は「プライド月間(Pride Month)」とされ、LGBTQ+の権利について啓発を促すさまざまなイベントが開催される月でもある。
ちょうどそのタイミングで、同性愛について扱う『マイ・ポリスマン』を読めて本当によかった。
私は、同性愛作品がただのお涙頂戴のコンテンツとして消費されるのにちょっぴり抵抗があった。これは異性愛の場合でもそうだけれど。悲恋のための同性愛、悲恋のための難病……そういう恋愛コンテンツが苦手だった。
だけど、『マイ・ポリスマン』は登場人物たちの生き様を丁寧に描き出し、「これはお涙頂戴のためのものではなく、彼らの人生なんだ」と強く感じられる小説だ。本当に最後までミステリー要素が無くて、一人で勝手に肩透かしをくらった感じはあったけれど、とてもいい物語に立ち会うことが出来た。
もし、今の時代にトムとパトリックが居たら。あの頃と同じ苦労はあるかもしれないが、あの頃よりもずっと幸せな未来を歩めたんじゃなかろうか。そんなことに思いを馳せてしまう。
そして、改めて。
同性の二人の恋が幸せなものか悲恋なのか決めるのは、当人たちだけであってほしい。(もちろん、幸せであることに越したことはない。)
そんな時代の到来を、私は心から願っている。
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