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下記は『アートがわかると世の中が見えてくる』(前﨑信也、IBCパブリッシング)という本からの受け売りである。 1 昔から文化・芸術・学問の発展にはパトロンの存在が大きかった。古く奈良時代は国家そのものがパトロンであり、平安時代は貴族、中世は武家、近世は大名や町衆、近代は実業家。寺社に至っては近代に入るまでずっとパトロンであり続けた。 今はどうかというと、パトロンが存在せず、芸術家の自助努力によるところが大きいと思う。国家(政府)は主に学問の世界において、逆に締めつけるよう
今回は仏像について語ってみる。おおよそ日本彫刻史といった内容だが、かなり主観が入っているので注意されたし。 彫刻とは木や石、金属などで作られた立体造形物で、工芸との違いは純粋に眺めるための芸術作品であるという点であろうか(工芸は器であったり箱であったりと、目的別の用途がある)。ただ、歴史上において、彫刻は長く礼拝や顕彰等の対象であり、仏像をはじめ宗教等と関わりの深いものが多い。 日本では縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪が彫刻として扱えるが、一般に日本美術史では仏教伝来以降の仏
男のワイが言うから間違いないと思うが、男というのはバカな生き物で、自ら命を捨てに死地へ赴いたりする。そんな人間はごく一部だが、男なら誰しも一度は『宝島』のような冒険に憧れたことがあるはずだ。そうして死地へ赴いた「バカな男」のお陰で、地球上の空白地点はなくなった。コロンブスやマゼラン、リヴィングストンらの功績である。 そうした冒険、と言っても冒険には色々あるが、特に恋と義侠に彩られた冒険を「男のロマン」と思う。それを自ら実践したのがハードボイルドの代名詞、アーネスト・ヘミングウ
『徒然草』に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という一節がある。昔から、日本人は不完全なものにあえて美を見る感性を磨いてきた。例えば、花は満開ではなく五分咲きや七分咲きを愛で、満月のみならず三日月や十六夜月に風情を感じ、散りゆく紅葉に「あはれ」を見た。 日本美術においても「不完全」や「ありのまま」が求められ、また「余白」に美を感じた。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』というエッセイを書いているが、意図的に陰を残すことほど、日本らしいものはない。陰と陽の調和を愛で、あえてものを
人は生まれた瞬間には自我を持たないので、自分の名前を自分でつけることができない。したがって、名付けるのは他人である。多くの場合、名付けは両親が行うが、両親が自分で考える場合もあれば、姓名判断などで決めてもらうこともあるだろうし、祖父母に決めてもらったり、知り合いに名付け親になってもらったり、そのあたりは多様である。ただ、名前は後から変えることもできるが、多くの場合、一生使うものである。
『神、人を喰う』(六車由実/新曜社)に概要が詳しく紹介されているが、愛知県の尾張大国霊神社に「儺追(なおい)祭」という祭礼がある。岩手県黒石寺の蘇民祭や岡山県西大寺の会陽と似た裸祭りだが、祭の次第は時代によって変容しているものの、選ばれた特定の人を打擲して形式的に追放していたと言われ、一種の厄払いの祭である。儺追祭の名称も、おそらく追儺(ついな)から来ていると思われる。この選ばれた人(儺追人)は、古くは恵方で生け捕りにされてきたそうで、祭の発端からかなり手荒だったようだが、江
インドやカンボジアの寺院遺跡のレリーフを見ていると、宮廷に仕えた踊り子と思しき女性たちがトップレスで表されている。「女性の胸は隠すもの」という思い(込み)がある私は、それを見て疑問に思った。いつから女性の胸は隠されるようになったのか?と。 最近、ドイツ・ベルリンの市営プールで、女性のトップレスが認められて話題となった。考えれば、水泳や格闘技で男性は常にトップレスで、公共の場で上半身裸でも特に咎められない。一般に露出過多なファッションになりやすい女性の胸だけが「性的」として隠さ
酒の飲み方考。 一時期、学生のコンパでの急性アルコール中毒が問題になったことがある。私が学生の頃にもまだ残滓が残っていたのだが、酔いつぶれるまで酒を飲ます悪習は急性アルコール中毒や窒息による死亡事故を招くので根絶するべきである。
ここ数年、パワースポットがブームである。パワースポットとはすなわち聖地のことで間違いないのだが、聖地をパワースポットと言い換えると、どことなく胡散臭く感じるのは、背後にスピリチュアルの気配があるからだろうか。
僕は一般文芸を先に読んでからライトノベルを読み始めたので、ライトノベルに求めるクオリティが高すぎるという自覚はあるんだけども、電撃文庫を例に取った場合、2000年代と2010年代で内容にかなり差があり、2010年代以降の作品に食指が動かなくなったのは事実である。 電撃文庫はライトノベルレーベルの中では比較的重厚な作風のものが多く、他のレーベルと違って作家の個性が色濃く表れていて好きだった。『Missing』のように一般文芸でも通用しそうな作品もあったし、三雲岳斗氏のように「越
今年放送している『わんだふるぷりきゅあ!』は人と動物の交流がテーマになっている。 『わんだふるぷりきゅあ!』にはニコガーデンという異世界が登場するが、ふとYouTubeで動画を見ていたら、ニコガーデン=他界(あの世)という考察が流れてきた。ペットが死んだときの「虹の橋を渡る」という表現からの連想のようだが、いろいろ気になる考察である。ニコガーデンにはすでに絶滅した動物もいて、それがこの仮説を有力にしている。もっとも、他界というのは死後の世界だけではなく、神々が住まう高天原も他
『ドキドキ!プリキュア』はトランプ(元大統領ではない)がモチーフだったが、細かいところまで手が込んでいて好きだった。 例えば、トランプのスート(マーク)にはそれぞれ以下の意味がある。 ハート=聖杯=愛 ダイヤ=宝石=富 クラブ=棍棒=幸福 スペード=剣=権力 これらはタロットカード由来で、スートはそれぞれ聖職者・商人・農民・貴族を表す。主人公4人はこのスートから名前が取られている。 相田マナ→愛→ハート 菱川六花→菱→ダイヤ 四葉ありす→四つ葉のクローバー→クラブ 剣崎
(注:筆者は『葬送のフリーレン』を未読・未視聴のまま考察している。文中、おかしなところもあると思うが、ご容赦願いたい。) 『葬送のフリーレン』は、2020年から『週刊少年サンデー』に連載されている異世界ファンタジー漫画である。「魔王討伐の後日談」として物語が始まるのが異色である。主人公の魔法使いフリーレンは長命なエルフ族の出身。かつて旅をともにした同胞たちに先立たれ、思い悩んだ末に「人間を深く知る」ため旅に出る。 この漫画のハイライトの一つが、フリーレンと断頭台のアウラの対