最上祇園祭は最強怨霊スサノオの祀り
スサノオがオオゲツヒメを殺める、これも大きな暗号です。その暗号を解く鍵は、国生み神話に書かれています。日本最大と言って過言でない祇園祭、山鉾巡行が素晴らしい。素戔嗚尊を中御座に祀る八坂神社、京都の祇園に鎮座する。
国津神は天津神へ国譲り、国津神の総元締がスサノオ。最大のライバルを何故、京都の中心部に祀るのでしょうか。アマテラスとスサノオの誓約、万世一系に男系が必須なら、アマテラスではなくスサノオが皇祖神だからでしょうか。
祇園祭の起源は貞観期、清和天皇の御代に遡ります。863年疫病の流行により神泉苑で初の御霊会を行う。しかし疫病収まらず牛頭天王を祀り無病息災を祈念する。牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神。神仏習合では薬師如来の垂涎、スサノオの本地とされる。仏が化身して神となって権現するのが本地垂迹の解釈。薬師如来が牛頭天王に化身、スサノオは牛頭天王と同一神。
864年富士山大噴火、869年陸奥で貞観地震の大津波。神輿三基を送り牛頭天王を祀り、御霊会を執り行う。この869年の御霊会が、祇園祭の起源とされています。ギオンはシオンに通じません、祇園精舎の鐘の声です。いえ祇園は牛頭天王の後付け、実際はスサノオを祀った。
疫病の流行や天変地異、古来日本では怨霊の祟りと考えた。天災は天皇の治世が悪いのではなく怨霊のせいにする。貞観における自然災害をスサノオに押し付けました。日本三大怨霊は菅原道真、平将門、崇徳天皇ですが、日本最強の隠れた怨霊は荒ぶる神のスサノオでした。皆が参拝すれば気分がよくなって祟ることを忘れます。このことを【やまとみずほの国に生まれて】で語ったのが、第六話「黄泉比良坂は墳墓ハウツー物語」です。黄泉比良坂は墳墓ハウツー物語、祟られぬな日本神話の真髄。伊勢神宮には天照を、出雲大社には大国主を封印しています。
【ツクヨミノマコト】国生み神話に話を戻しましょう、子の数に数えないオノゴロ島、ヒルコ、アハ島については、前々話「神世七代も天を駆ける?駆けてた?」で語りました。天の沼矛は鳴門の渦潮、淤能碁呂島は旧名が渭山の城山。水蛭子は吉野川に流され、淡島は眉山に上書きされます。
イザナギからイザナミへ声をかけ直して生む最初の子が淡道之穂之狭別島。渦潮は淡路島と大毛島の間の鳴門海峡、大毛島は四国の玄関口。紀貫之が宿泊した土佐泊もある。難波は浪速「渦の潮」、仁徳天皇の難波高津宮もありました。仁徳天皇は吉備へ行幸する際大毛島から淡路島に渡り、オノゴロ島とアハ島が見えると詠った。淡路島が最初の子、天津神が阿波へ上陸した決定的証拠を古事記は記すが、日本書紀は証拠を隠滅すべく応神天皇の事蹟に書き換える。
ちなみに岡山に向かうのに、淡路島へ渡るのは逆方向。【やまとみずほの国に生まれて】第四話「紀伊は木の伊の国にして狗奴国」。吉備は元々和歌山と語りました。ニ番目の子が伊予之二名島、一つの胴体に顔が四つあります。愛比売は伊予国、今の愛媛県ですが、弟媛と同様に命名に困ったときに兄媛もよく登場する名前です。飯依比古は讃岐国、大宜都比売は阿波国、建依別は土佐国。
顔を理解するには、紀伊半島を俯瞰するのがいいです。淡路島に近い紀淡海峡の辺りは、出っ張っていて鼻に見え、紀伊半島は人間の横顔に見えます。そう顔とは海岸線、四国の由来は四つの顔でしょう。しかし顔は面ともいいます。伊国の伊の由来は渭水の渭、オノゴロ島の渭山の由来です。伊国の面とは阿波の海岸線、海岸には港、津があります。
中国史は伊国を倭国と記す、漢委奴国王印の委が倭に変化。伊国の面の津は伊面津「イモヅ」と読み出雲の起源です。そして中国史は伊面津を倭面土と記す。倭面土國王師升、西暦107年に師升は後漢に朝貢、生口を160人も献じる。160人も奴隷を連れて行かない、現地で買ったのでしょう。
それだけの財力があるのは辰砂で儲けていたから、スサノオとは「朱砂の王」、朱砂と辰砂は同意語です。辰砂は赤色硫化水銀、防腐剤として古墳の内壁や石棺に塗る。神社の鳥居の朱色も辰砂、魔除けのおまじないの意味があり、さらに今でも漢方薬、鎮静や催眠を目的として使用される。秦の始皇帝は不老不死を信じて水銀中毒で死亡と伝わり、道教においても仙人になる秘薬として重宝されています。
そう水銀朱を売れば、160人の生口もお茶ノ子さいさい。この時代に大量の朱砂を産したのは阿波南部の若杉山遺跡。魏志倭人伝が「其の山に丹有り」と記す唯一の鉱山です。辰砂鉱山は那賀川支流、若杉谷川の山腹斜面に広がる。その少し下流の加茂宮ノ前遺跡では水銀朱を精製していた。全国に多く残る鴨、賀茂、加茂、地名と神社のルーツはここ。
那賀川だけではなく那賀郡の名が残るのは長国があった。阿波北部は粟国があり、国造は粟国と長国の両方に置かれる。713年元明天皇により、国名を二字の阿波に改名するが、その前から長国は粟国に吸収合併されていたようです。
長国の由来はナーガか、国津神をヘビに例えて馬鹿にする。ナーガはインド神話が起源の蛇神、日本語はタミル語に似る。タミル人はトラヴィタ族、海人族国津神のルーツかもですが、古代イランのスーサまたはスサには、王の都市の遺構がある。スサの歴史は古く、紀元前4000年の神殿跡も発掘される。ルーツがさらにあるとしても、中国経由の渡来なのは、一生懸命朝貢するし、古事記の世界観が道教から明らかです。
スサノオ「朱砂の王」がオオゲツヒメを殺めたのは、大宜都比売は伊国の顔、阿波海岸部をスサノオが治めた意味。古事記は時空を超えて、暗号を解く鍵を埋めています。古事記を素直に読めば、出雲が伊面津だったことになります。
阿波を隠すため、日本書紀はツクヨミがウケモチを斬り殺す。そして漢委奴国王印の奴国の奴の発音は、ナではなくナグ。西暦57年後漢に朝貢したのも歴代長国王のスサノオです。伊面津はイザナギが禊をした阿波橘、邪馬台国連合の誕生。卑弥呼ツクヨミの宣託により、邪馬台国は版図拡大します。国生み神話はその快進撃の暗号化、次回も乞うご期待下さい。