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天之御中主神・別天津神は天を駆ける

古事記本文は、「天地の初発のとき」の書き出しです。しかし序文第一段は「天と地が初めて分れて」と記します。中国神話では、盤古が天を押し上げて天地を分離しました。古事記冒頭の天之御中主神の登場は、天地が分れた後です。前話では天地創造は盤古、最初天地は一緒だったの暗号から、天地は天神地祇の略、天津神と国津神に分れたと復号した。

【やまとみずほの国に生まれて】第三十七話憤怒話にて、仁徳天皇の国見歌を天津神が阿波に上陸した決定的証拠と語りました。そして上陸したのは秦氏、ひょっとして徐福ではないかと。この時に剣山は既に聖山、徐福が目指した蓬莱山だったかも。山地に定住したのが天津神、海辺に定住したのが国津神。

その状況的証拠が、序文の第二段と第三段に記される。第二段「古事記の企書」、天武天皇が発議した経緯を語り、壬申の乱も記すが、道は黄帝に徳は周の文王に勝ると述べる。第三段「古事記の成立」、完成を命じ献上されたは元明天皇。夏の禹王より名声高く、殷の湯王より徳が高いと称賛する。中国しか比較相手がいないけど、秦の始皇帝とは比較しない。

紀元前770年の東周から紀元前221年秦が中国を統一、この間が春秋戦国時代。また西周の建国は紀元前1046年周の文王は初代武王の父、殷の紂王が暴君だったことから、諸侯からは革命を期待されたが、文王は臣下の礼を尽くす。

殷の湯王は建国王の天乙、紀元前1600年頃、夏は滅亡。夏王朝の始祖が兎、五帝の顓頊の孫、紀元前1900年頃。夏以前は三皇五帝の神話伝説時代、黄帝は最初の五帝が定論。三皇は天皇・地皇・人皇、いずれも道教もしくは中国の神。もしくは伏羲・神農・黄帝とし、黄帝を三皇とする説もある。

天武天皇の道は黄帝に勝る、道は人や物が通るべきところ。自然法則や道徳、美や真実の根元など、道家や儒家が説く。儒教始祖孔子、紀元前552年か551年生誕479年死没。道家の大家は老子と荘子、老子が先とするのが一般的、紀元前571年に生まれ、紀元前470年に亡くなったが、履歴が不明で神話上の人物どころか、実在性まで疑われる。

そして伝説的に道教の開祖は黄帝、老子が教義を述べ、後漢の張陵が教祖となり、教団を創設したと語られる。張陵は34年に生まれ、123歳で没したと伝歴は怪しい。道教は典型的な多神教、不老長生を求める神仙術も組込む。神道も八百万の神の多神教、神道の道と道教の道は同じ。秦の始皇帝に命じられて徐福が求めたは不老長生の霊薬。

そして道教における最高神は、天界の支配者たる玉皇大帝、その支配者は地上や地底に住む、あらゆるモノも支配する。日本の天皇の起源の有力候補、天皇大帝は神格化された北辰、北辰とは天の北極、道教も玉皇大帝を北極星と同定する。北辰を中心に星辰が巡る、北極星が宇宙の中心かつ支配者。

インド発祥の菩薩信仰が、中国で融合したのが妙見信仰、江戸時代まで仏教では、北辰妙見大菩薩を祀る星田妙見宮、主祭神は天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神。天の御中は天の中心、妙見大菩薩は天之御中主神の化身。

ちなみに継体天皇が、奈良に入らず樟葉宮に留まったは星田妙見宮があった。阿波の鳴門にも妙見神社は鎮座する。出身地の近江の高島、近江は淡海、鳴門にも高島がある、育った越前は前の越、きっと妙見神社の近くに宮を構えた。妙見神社は天御中主神を祀り、妙見山公園は桜の名所となる。

「天地の初発のとき」、高天原に成ったのは天之御中主神、次が高御産巣日神、次が神産巣日神、みな独神で身を隠す。北極星は永遠じゃない、地球の歳差運動のため地軸は動く。コマが傾いて回る時、コマの軸も回転するのが歳差運動。地軸が元に戻る周期は約25800年、天の北極が戻っても、宇宙は膨張し恒星も動くから、全く同じ星空には戻らない。

北極星も交代し、最初の三代が造化三神と区別されているが、次の宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神も独神で身を隠す。ここまでの五柱を別天津神として、次の神世七代と分ける。神世七代の二代、国之常立神、豊雲野神も独神で身を隠す。後は男神と女神を合わせて五代、宇比地邇神と須比智邇神、角杙神と活杙神が四代、五代は意富斗能地神と大斗乃弁神、淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神、伊邪那岐神と伊邪那美神。

直近に隠れた北極星は、紀元前1100年頃のコカブ、こぐま座のベータ星だが、西暦500年にバトンタッチ。天皇大帝は現在の北極星、こぐま座アルファ星ポラリスか。現在かなり天の北極に近く、最接近は2100年頃になる。アルファ星はその星座で一番明るく、ベータは二番目だ、ポラリスが近づいて、妙見信仰は盛り上がったのだろう。

紀元前3000年頃は、りゅう座アルファ星トゥバン 、紀元前1900年頃に、こぐま座のベータ星コカブと交代。りゅう座アルファ星トゥバン、わずか53分で変光する。この変光の速さを、古事記は葦の芽の如く萌え上がると記す。國稚く浮かべる脂のごとくして、水母のなす漂へる時とは、ヨシ原が成長する前、葦の塊が河に浮かんで漂う光景、葦は成長早く緑に変光し、吉野川の由来はもちろんヨシ野。

宇摩志阿斯訶備比古遅神は、りゅう座アルファ星トゥバン。こぐま座ベータ星コカブが天之常立神。トゥバンの前は、紀元前5300年頃りゅう座イオタ星エダシク、神産巣日神。紀元前7700年頃ヘルクレス座タウ星、高御産巣日神。紀元前10000年頃ヘルクレス座イオタ星、天之御中主神、紀元前12000年頃こと座のベガ、織姫星も北極星だった。

夏の建国は紀元前1900年頃、道教最高神、宇宙の支配者、玉皇大帝は三皇五帝まで遡り、道教の開祖は黄帝が決定的。黄河文明紀元前7000年、長江文明紀元前14000年。中国神話も道教も、水揚げや嵩上げがあるかもしれないけど、七夕伝説の原型が、織姫が北極星だった頃ならロマンチック。

天津神も神道も天皇も、道教の影響を確実に受けている。道教は秦の中国統一前、春秋戦国時代に儒教と共に発展した。神仙術も組み込んだ道教が、徐福にも大きく影響を与えた。いえ秦の始皇帝が影響を受けて、不老長生の霊薬を求めた。中国と対等以上に付き合うなら、徐福の子孫ではまずい。造化三神は、日本書紀では六書ある一書にしか登場せず、宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神は、全く記されない。

漢委奴国王印は伊国の長国王、倭面土國王は伊面津、倭国大乱は伊国内乱、魏志倭人伝は伊人伝、倭の五王も伊。倭国に日本の意味はありません。倭国は訓読みした邪馬台国。次回は瀬戸内海の島生みが真の歴史を語ります。

#日本史がすき

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