神生みはまだ続く讃岐七富士の実の理
前話【ツクヨミノマコト】神生みの水の神の真の実にて、彌都波能売神の原文は彌都能波売神、ミツハはミズのナミ、伊邪那美のナミは波と確信、ちなみに伊邪那岐のナギは薙。前々話の「神生みの薙と波に信の実」にて、語りました。薙は山が崩れて、薙ぎ払ったように平らになった土地です。
伊邪那岐が天津神の山幸彦、伊邪那美は国津神の海幸彦、伊邪那美が火の神を生む際の火傷が元で神避ります。伊邪那岐は即効激怒して、火の神を斬ったのではありません。まず伊邪那美に泣きすがり、その涙から泣沢女神が生まれる。
香山の畝尾の木の元と記すから、天の香具山の麓に鎮座する畝尾都多本神社の泣沢という井戸を御神体とするが、伊邪那美は出雲国と伯伎国の境なる比婆の山に葬られる。伯伎国を伯耆国と解釈し、島根県安来市や旧広島県比婆郡を比定地にするが、人間世界では非現実的な遠距離移動だ。
神様だから奈良から島根や広島まで瞬間移動もいいけれど、大宜都比売神の国には唯一イザナミを冠する神社がある。それは美馬市の美馬町と穴吹町に鎮座する伊射奈美神社。どちらも式内社の論社、伊射奈美神社の論社は全部で四つ、同じく穴吹町の十二所神社と吉野川市山川町の高越神社。
高越神社は阿波富士ともいう高越山の山頂に鎮座するから、阿波邪馬台国説では伊邪那美が眠る比婆の山に比定され、富士山の元の不二は高越山が起源ともささやかれる。国生みで登場する大宜都比売神が、神生みで再登場するのは、伊邪那岐と伊邪那美が協力し阿波を開拓したことの証拠、伊射奈美神社が阿波にあるのは伊邪那美は阿波で神避った。
泣沢の井戸は奈良を舞台にするための後年の偽装だろう。古事記や日本書紀に葬送儀礼として殯の記録がある。土葬したら蘇ることがあるから、埋葬するのに時間をかける。それを殯と称し別れを惜しむが、巫女が涙を流す儀式がある。その巫女を泣き女といい、これを神格化したのが泣沢女神、ここでの泣沢女神の登場は、神話は葬送が重要と説いている。
伊邪那岐は伊邪那美を葬ってから、我が子の迦具土神の首を、決して怒りに任せたのではなく、静かに十拳剣で斬り払った。迦具土神の血を十拳剣は大量に吸って八神が生まれる。古事記は迦具土の血ではなく、御刀から生まれたと解説し、御刀の前から着いた血が神聖な岩石に走って生まれたのが石折神、根折神、石筒之男神。
岩石の神と解釈されているが剣は武力の象徴、日本神話は剣を武力担当氏族へ例えている。日本書紀の第六の一書は磐筒男神を経津主神の祖と記す。経津主神は古事記に登場せず、出雲国風土記では布都怒志命。国譲りの舞台が島根の出雲だと魔法にかけるために、出雲国風土記が記す出雲土着の神を日本神話に潜ませる。
出雲国風土記の大穴持命が、大国主神と同一神もその一貫、ちなみに大国主は各国の神と同一神として別名が増える。日本神話最大の目的は日本団結、各地方全ての神が登場するシナリオは無理だから、大国主と同一神だよと納得させる。
御刀の本から着いた血が、神聖な岩石に走って生まれるのが、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神、武の神そのものだろう。【ツクヨミノマコト】国生み神話が卑弥呼の時代を特定する。土佐には物部川が流れ、物部氏の始祖は建御雷神と語った。土佐国の顔、建依別は建一族、日本書紀では建は武に変わる。五代の天皇に仕えた武内宿禰も古事記では建内宿禰だ。
藤原不比等は春日大社に武甕槌命と経津主命を祀った。武甕槌命は鹿島神宮から、経津主命は香取神宮から、白鹿に乗ってきたから、奈良では鹿は神の使いになる。伊邪那岐の剣が生んだから天津神の武力とも限らない。逆立てた剣の上に胡座をかいて、建御雷神は国を譲れと大国主へ迫るが、逆立てた剣が裏切りを物語っていて、剣先は自らを傷つける危険な裏切りも表現している。
建御雷神が素戔嗚が天照へ捧げた天叢雲剣なのは今後の楽しみとして、土佐の物部川が出自なら国津神だろう。建御雷之男神の別名を、建布都神、豊布都神とも記していて、物部氏が祭祀する石上神宮は布都御魂大神を主祭神とする。藤原氏が武甕槌命を祀るから御魂の剣を祀らざるをえない。
御刀の柄の上に集まった血が柄に漏れ出て生まれたのが、闇淤加美神と闇御津羽神、龗は龍の古語、龍神は水の神様。御津羽は彌都波と同意として龍神にも繋がると解釈される。龍神信仰はインドが起源、最も恐ろしいコブラを畏怖した。中国に入って龍となるが日本に龍が伝わるまで、海人族はコブラを和邇に置き換えた。そう龍神なら国津神の武力だ。甕速日神と樋速日神は日が入っているから天津神側か。石折神、根折神、石筒之男神も天津神側の武力だろう。
最後は殺された迦具土神から、八神の山津見神が生まれる、大山津見神の大を変えた神名、頭からは正鹿山津見神、胸から淤縢山津見神、腹から奥山津見神。陰から闇山津見神、左手からは志藝山津見神、右手からは羽山津見神が生まれ、左足から原山津見神、右足から戸山津見神。陰は火口を想起、一千万年前に瀬戸内火山帯があり屋島や石鎚山も活動した。この活動がサヌカイトを生み、讃岐平野の特異な風景も生む。
神生みに伊予は石槌山の石土毘古神、阿波は大宜都比売神、土佐が建依別の建御雷之男神なら、讃岐は飯依比古の飯野山。屋島のような台地状の形状から侵食により讃岐富士となる。火口がない成層火山にしか見えず、火の神は死んだと著した。讃岐平野には同形状の山が多数有り、讃岐七富士と呼ばれる。八神とは数が合わなかったが、讃岐七富士には番外があった。
白山の東讃富士、六ツ目山は御厩富士、高鉢山が綾上富士、飯野山は讃岐富士、堤山が羽床富士、爺神山の高瀬富士、江甫草山が有明富士、番外は十瓶山の陶富士、改名して羽山津見神が羽床富士、戸山津見神が爺神山ぐらいしか痕跡は残っていないが、正鹿山津見神は飯野山だろう。讃岐七富士は壮観、神生み讃岐八富士で新装開店すればいい。大山津見神は剣山かも、剣山の光柱が大文字焼きの大の起源。
【ツクヨミノマコト】(古事記全文解読シリーズ)
三貴子なのに古事記では活躍しない月読尊。きっと天皇家を陰で支えた氏族が信奉しました。古事記を全文解読し、謎の神ツクヨミのマコトに迫り、日本古代史に光を当てます。まだまだ古事記には暗号が埋まっています。どんどん掘っていくから、フォローして楽しんで頂けたら幸いです。