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カッコつけない、カッコよさ。

送られてきた1通のメール。月に一度の売場コンテストの連絡だった。いつもは開いて、インスピレーション的に『これ。』と選ぶ程度。だけど今回は違った。見た時に、思わず食いつき気味に見入ってしまった。はっきり言えば、驚いた。と言うより嫉妬の方が強かったかもしれない。

『おぉ。すごいな。』

その時、なにに凄さを感じたのかは正直わからなかった。ただ直感的に、感じるものがあったんです。私自身も少なからず売場づくりを経験し、それなりに売上と言う結果みたいなものを経験してきました。ただ自身で『満足できた。』と言う売場をあまり記憶していない。むしろ満足できなかったからこそ、ECサイトの運営や通販業の方に目が行ったのかもしれない。

その私が、嫉妬心を抱いた売場がこちらです。

栗山房の駅のピーナツキング売場。

今回は、わたくし通販部の責任者を任せていただいております有元が、はじめて嫉妬心をいだいた売場について、色々とご紹介いていきたいと思います。

そもそも売場って。

売場をつくる時って、当時の私はすぐ売上だのなんだの言っていた気がします。今回の栗山房の駅の売場を実際に見た後に、『なんで満足できなかったのか?』がぼんやりとわかった気がしました。自分のやってること、やったことへの評価にすがりつく様に、『今回の売場の商品ってどのくらい売れたのだろう?』とまぁ、思い返してもこんな感じです。

『腹黒さがにじみ出ていたなぁ。』と今では素直にそう思う。少なからず、売場づくりの知識を増やそうと、本を読みあさり、売場に反映させてみての効果検証。そんな事を繰り返していた当時。

だけど、納得できない。

売場をつくる時の基本って、商品がお客様の目に届くか、手にとってもらえるか、納得いただけるか、とかとか。だから『ここに売場つくるぞ!』ってなれば、やってしまうんです。与えられたスペースにドッカンと大量陳列。

商品だけを並べ、大量にあれば確かに手にとっていただける機会なんてのも増える。当然の話だ。商品を並べるフェイス数を極限まで多くしてしまい、少なくすることを恐れていた。いつの間にか。

自分は、ここが足りなかったのか。足りなかったんだろうなぁ。そう思わされたのが、両サイドに立ち並ぶ柱の存在。自分だったらを考えると、やはり商品を並べてしまっていただろう。

柱のどアップ。

しかもこの柱、遠くで見ても近くで見ても惚れ惚れするくらいに、手づくりなのに完成度が高い。さすがに近くで見ると、紙に印刷された継ぎ目のところにズレを感じるが、遠目から見た時にほぼそれを感じない。

さらに言えば、この継ぎ目の部分。貼り残しのような剥がれがなく、ピッタリ貼られている。

『うぉぉ。これ丁寧だね。』

実際見て、思わずでた言葉。大体最初の設計は良くても、つくり始めて疲労感が出てくると『ちょっとくらい良いでしょ。』と言わんばかりに、雑になるところが出てきそうなもんです。私だけかもしれないし、うまく隠しているのかもしれない。

とは言え、それを感じさせないからまた凄い。

この柱の存在に、すっかり魅了されてしまったこの私。私が売場を何年やっても満足できなかった理由が、この売場を創作するものと商品との融合で、お客様を楽しませると言うより、数字という結果ばかりに目が偏りすぎていたんじゃないだろうか。と思い知らされた。

やっているようで出来ていない。自分はそうじゃない。お客様を楽しませることを優先にしていたはず。が、実際そうではなかった。と何年後かに、他の誰かに気付かされることが、これ程までに悔しいことなのか。と思い知りました。

売場のプロデューサー。

今回のこのピーナツキング売場があるのが、四街道市にあります弊社直営店の栗山房の駅です。以前、売場づくりに関して話を聞いたこともありましたが、店舗の長でもある吹田駅長に詳細を伺ってみました。ただ、この吹田駅長。売場づくりに関しては返ってくる回答が決まって…

『いやぁ。自分は何も得意ではないので、何もしていないんですよね。』

と言う控えめなコメント。謙遜しているのかと思いきや、そんな雰囲気もない。心底、何もしていない感じの印象を醸し出す不思議さ。だいたい誰かと作った時に、仮に手伝いや売場のイメージ作成などしていれば、少なからず言葉の節々に感じるものがあったりするもの。ただ、彼からは本当にそれがないのです。

今回のピーナツキングの売場に関しても、何か携わるようなことをしたのか聞いてみたところ、返ってきた言葉はやっぱり…

『いやぁ、何もしてないっす。』

と自信たっぷり。

どこか自慢気。

と、まぁこんな感じです。ただ彼のすごいところは、何もしてないわけではなく、売場づくりに関して何もしない。と言う事をしているのです。実は、これが意外と難しい。

どこか個人としての欲や見栄みたいなもので、手を出してしまったり『こんな事できます。』みたいなアピールをしてしまい、最初の案や構想からズレてしまうこともあります。

吹田駅長の場合、自分の能力を卑下するわけでもなく、人のやることに嫉妬するわけでもなく、ひたすらサポートに徹する。最初の売場のコンセプトだけを手がけるスタッフと一緒に考え、そのあとはお任せする。

この『任せる』と言うのも、実は「何もしないより難しい」と感じていて、任せるスタッフによっては完成具合もほど遠くなる場合もあれば、日頃の関係性で出来栄えなんかも変わってくるんです。

今回のピーナツキングの売場に限らず、他の売場に関しても完成度が高いことから、任せているスタッフとの関係性は素晴らしいものだと察することができます。他の仕事に関しては、不明なところもありますが。

中心的存在は。

では、栗山房の駅の売場づくりで、中心的存在になっているのは誰なのか。気になるところです。それは栗山房の駅オープン当初から、お店の中心的存在としてチカラになってくれている方でした。今回、名前は伏せさせていただいておりますが、たいへん絵がお上手。

売場のラフを作成しているところ。

先ほどの吹田駅長が決める売場イメージから、売場完成時のラフを作成。そこから何をどうやって作るとか、枠組みを決めていっているようです。今回のピーナツキングの売場をつくるにあたり作成したラフがこちら。

ピーナツキングの売場ラフ。

どこに何を配置して、どのように組み上げていくのか。平面に書きながら、頭の中では立体的に具現化されているのだろうな。冒頭の画像をもう一度見てみるとわかるのだが、柱を両サイドにおきつつ並べる商品がピッタリくるサイズで柱を作り上げているのがわかる。やっている事がこと細かい。調べていくと、直感的だったものが姿を現してきました。

ここ見てポイント。

これだけ手をかけた売場であれば、どうしたってアピールしたいポイントはある。それを率直に聞いてみた。すると教えてくれたプロデューサー的こだわりポイントは、中心に設置したピーナツキングの玉座の部分だと説明してくれました。

プロデューサー的見て見てポイント。

プロデューサー的には、やはりピーナツキングと言うことで、こちらも手作りで中心に添えた玉座。しかも立体構造になっており、手にはピーナツキングを持ち合わせている。

ピーナツキング売場の玉座。

さらに言えば、後ろに飾られた赤いカーテン。こちらも赤い布を用意し、カーテンにしていた。しかもこのカーテン。新しく購入手配したものではなく、昨年末にクリスマスイベントで使用時に余っていた布を使ったものだという。

実際の赤いカーテン。

この手の込んだ玉座の構造を吹田駅長に伺ったところ、ほとんど理解していなかったのは言うまでもない。

どこを見ているか。

今回、栗山房の駅のピーナツキングの売場をはじめて見た時から、自分自身が抱いた感情など、過去の経験も含めて改めて考え直してみた。私自身は、どこか勉強したことを中心に、楽しんでいただくと言うよりは自分を押し付けていた気がした。

『納得できなかった理由は、ここだろうな。』

自分だったら。を考えた時に、きっとあの柱は組み上げなかったと思う。栗山房の駅の売場は、どちらかというと『こうしたら、きれいに見えるんじゃないか?』とか、『目にとめていただけるお客様が多くなるのではないか。』そんな純粋な気持ちが勝っていた様に感じる。

『自分に足りなかったのは、この視点だったのかもなぁ。』

誰かにスゴイと思われたい。とか、売上を上げるためには。とか、もちろん大事な部分や局面などはありますが、個人的な欲というものを意図しないからこそ作り上げられるものがある。という事をとても学ばせていただきました。

いつの間にか自分自身の思考を、枠組みにハメてしまい理論や常識ばかりを押し付けるようになっていたんだなぁ。と改めて振り返る良い機会となった。

入り口付近から見た売場。

あの吹田駅長の独特な背伸びをしない、自身の能力の見極め方や欲のなさ。さらに言えば、女性スタッフとの日頃の信頼関係。

このピーナツキングの売場に限らず、他の売場に関しても他のスタッフと共に、中心的になり指示を出して、みんなで作っている姿を見かけました。こう言った日々のスタッフとの関係性が織りなす、栗山房の駅から目が離せない。と、つくづく。

ぜひ足を運んでいただきたい。そんなお店です。

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