ぼくらが背負い、伝えていくこと。竹林整備からの取組み【竹林伐採編】
市原市にある房の駅農場に、この日集まったのは早朝6時前。会社内のメンバー3名と房の駅農場の2名。何をするために集められたかというと、それは【竹林整備】です。
市原市は、全国でも森林にしめる竹林の面積が広い県でもあるそうです。調べてみると、竹林を放置してしまったことにより、竹害と呼ばれる被害が出ているとのこと。
千葉県市原市のホームページに掲載されていた内容によりますと、竹林の整備を怠ることで、アカマツやクヌギといった植生を破壊し崖崩れなどの被害が起こりやすくなっているそうだ。
この取り組みに対し、先立って動いていたのが弊社グループ会社の房の駅農場です。元々は、この竹林整備により伐採されたタケノコを、蒸して塩漬けにし、さらにそこから【竹切物語】という商品化まで行っていたのですが、今年からは、『竹林の伐採でも、お役に立てる事があるなら。』と勇猛果敢に突っ込んでいくことになったそうです。
今回は、その市原市でも問題になりつつある竹害を少しでもなくそうという、竹林整備を交えた弊社の取り組みをお伝えしていきます。
行きはよいよい。
ゴールデンウィーク真っ只中の5月5日。例年にくらべ肌寒さのこる早朝。私たちが集合した房の駅農場は、市原市の中でも山の奥の方に位置しています。
近くには市原ぞうの国もあり、ゴールデンウィークともなれば賑わいも見せる場所でもあります。さらに房の駅農場では、いちご狩りも実施しているので、連休中は多くの人がこの場所を通ります。
とは言え、祝日の朝という事もあり房の駅農場までの道のりはスイスイ。到着すれば、そこはひっそりと静けさにつつまれていました。
うす暗くもあり、周りには誰もいません。待ち合わせの時間になるまで、車の中で待機することに。20〜30分ほどで、この日竹林整備に参加するメンバーが続々と集まりました。
聞けば本日伺う竹林は、房の駅農場から車で15分ほどのところ。早速、何台かに別れ現地へ向かうことに。
房の駅農場から現地に向かうまでは車通りも少なく、のどかな田園風景が続きました。参加メンバーの顔色も様々で、はじめて参加する3名と1週間ほど竹林整備を続けてきたメンバー2人のテンションの差を少なからず感じながらも、『朝はやいからかな?』なんて気にも留めず、この後におこる事なんてまったくもって想像もせずにのん気な車内でした。
この日の竹林に到着。
この日、整備する竹林へと案内していただく担当者と待ち合わせた場所は、筍の収穫イベントなども開催されるある程度整った竹林。
『まぁ、こんな感じだよね。』
その程度の印象だった。ほどなくすると、担当者が到着。するとここからまた場所を移動するとの事だった。一度、臨戦態勢に入ったものの、その早る気持ちを抑え、また車に乗り移動すること約10分。ある一軒の民家に到着しました。
早速、この日の竹林の整備を依頼された方の後についていき、民家の裏にある山へと続く道へと向かっていきました。
まだまだ、はじまってもない竹林整備。いつもと違う雰囲気にどこか少し浮かれ気分。足取りも軽く、山の斜面を駆け上がっていきました。
起伏の激しい竹林。
山に入り始めたのは、まだ6時台。少し肌寒かったはずが、いつの間にか体も暖かくというより、暑くさえ感じ始めていた。
『まだ、作業も開始していないのに。薄着でよかった。』
そんな事を考えていると、すぐに竹林に到着しました。
山の中でもあり、竹林の中。まわりには殆ど音もなく、時より虫なのか動物なのかの鳴き声が鳴り響いていた。静かではあったが山を上り、さらに下ること10分程度。そこから竹林整備の開始となった。
竹を切る道具がない私たちは、最初伐採されていく竹を眺めているだけだった。が、その大きさと重さにすぐさま気がついた。当然伐採道具を持たない人はタケノコを運ぶ係。手渡されたのは、そのタケノコが3分の1も入らないビニールの袋。おそらく皆さんが想像しているタケノコとは比べ物にならないくらいのタケノコで、果たして今でもタケノコと呼んで良いのかさえわからずも、タケノコと呼んでいます。
『えっ!待って。この大きいタケノコをもって、来た道を帰るのか?てか、この入りきらない袋に入れて、何本持ち運べというのか。』
思う前に、すでに口にしていた驚きと弱音。
『いやいやいや。これ持ち運ぶのもいいけど、来た道すらまったくわからないんですけど。』
スタートから混乱していた。とりあえず持っていくかと、持ち上げた1本あたり5キロはゆうにあるタケノコを2本程度かかえ、そして道に迷い始めた。
『まったく、わからん。』
迷いながらも山を登り、来た道の記憶を頼りに歩いていると、竹林の持ち主の姿が。少しの安堵も束の間、ここから更に足場に泥濘みの残る山道を降りなければいけない。
とは言え来てしまった以上、降りるしかない。そしてタケノコの伐採場所から車までの道を一往復もせずにでた言葉。
『分担しよう。』
持ち運ぶ距離もあり起伏もありで、伐採する竹林までの道のりを4等分にし、伐採されたタケノコを4人で運ぶことを皆んなに持ちかけた。この一往復するまでに、すでに足を滑らせズボンが泥だらけになっていた事を知っている人は、誰一人としていなかったのは幸いだった。
コツを掴めたような。
最初の一往復で、体力的に厳しさを感じた平均年齢アラフォー世代。とりあえず竹を切る部隊が、ひたすらタケノコを伐採。そこからは4人で山の麓までの道のりを分割し運んでいく。
相変わらず思う。文字にするのは簡単だ。
私は山の麓まで来たタケノコを車まで運ぶ役割。一本ずつでは効率悪すぎるので、2本3本と持ってみる。
『うぉ!!』
無意味にでる声。大きいものになれば、1本あたり10kgは超えてくるタケノコなのか竹なのか。私は運ばれてきたタケノコが、この伐採事業には必要なことなんだと信じて運び続けるしかなかった。
最初は、右腕で抱え込むように持ち運んでいましたが、だんだん握力も弱くなっていく。『くそっ!』と自分の不甲斐なさに、心の中で思いながら、なんとか楽に持ち運ぶ方法はないかと考えていました。
『あっ!』と急にひらめいたのが、よく肩で荷物を担ぐ人の絵。長さも違えば、太さも違うまとまりのない竹を、とりあえず肩で担ぐことにしました。
身長160そこそこの小柄な体には、大きいものはやはりズシっと来ますが、肩で担ぐ方が楽だったので、後半戦は肩で担ぎまくっていました。後ろから見るとなかなかにカッコいい絵面も、前から見るとこんな感じです。
下唇が出ちゃうくらいの疲弊感しかなかった。しかも泥だらけ。カメラに意識を向ける余裕もなく。はじめての経験とはいえ、日頃の体の作り方は大事だなぁ。と思いながら、できる限りのタケノコを持ち運びました。
なれない私をよそに、何日間もやっている房の駅農場の人はというと、軽々しく何本も。いつも農業に携わっている人とのチカラ差は歴然でした。
軽々しくなのかどうなのか。ただ表情には出ていなかったので、いつも通り的な感じで持ち運んでいたかとも思われます。
朝早くからはじめた竹林整備の約2時間。想像していた以上に大変だった作業に、終わった瞬間に少しの安堵感。とは言え、これをメンマにするには収穫したてを加工しなければならず、この後にもまだまだ続くのを知ったのは、房の駅農場に戻ってからのことでした。
すぐやるが価値になる。
四苦八苦しながら伐採した竹をトラックに積み、竹林の持ち主の方に挨拶し房の駅農場に向かった。正直この時点で、かなりバイタリティは落ちていた。とは言え『積んだ竹はおろさなければいけないなぁ』という少しの意識と、なんだか帰ってから竹を蒸さないといけない的な言葉が、頭の中を泳いではいたが余り考える気もなく、思い出を語るかのように車の中では竹林での出来事を話し合っていた。
暑さもあり体も疲弊し、車の窓は全開。田舎道を走る車内では、風をうけ髪の毛もボサボサになったりしていたが、もはやそんな事はどうでも良くなっていた。
房の駅農場に到着し、とりあえずタケノコをおろそうとすると、秤やら台車やら置き場やらが次々と用意され始めた。おろしたタケノコを、今度はある程度のサイズに切り、竹の部位別(簡単にいうと、下の太い部分、真ん中の部分、先端の柔らかそうな部分)にわけ、今度はそれを蒸していくというのだ。
『まじか。』
心の中では、そんなことを思っていたが、そう言えば来る前の案内や連絡事項には、蒸し加工がなんちゃら。と記載があった気がしたが、今さらそんな話はどうでもいい事でもあり、さっさと終わらそうとタケノコを車から下ろし始めた。
一通りおろし終わったあと、今度はひたすら切っていく作業。この日、ぼくらが収穫してきた竹の子は700kgくらいだという。ここ最近では『少ない方。』との評価。
とは言え、山の起伏によって収穫量も変わるし、タケノコ自体の質にもよってしまう。と色んな言い訳を探したりもしたが、意味もないので考える事自体をやめて目の前のことに集中しました。
このあと、タケノコを切る道具はノコギリから包丁に変わる。普通の包丁だったので、タケノコが切れるかどうかが疑問で仕方がありませんでした。半信半疑のまま加工場に立ち、タケノコに包丁を入れてみると意外や意外、すんなり包丁が入っていく感覚でした。
『意外と切れるんだね!』
そんな声が自然と出てしまうくらい、太めなところも少し青めなところにも刃はスムーズに入っていきました。個人的には太めな竹の子も収穫したては水分が多いからか、サクッと包丁の刃が入る。
『よーし、バシバシ切って終わらすか!』
と少しやる気も回復したが、控える竹の量は地元農家さんの持ち込もあり、1.5トンを超えていた。『でも、やるしかない。』無言になると手捌きも悪くなりそうだから、ひたすら陽気にしゃべり続けた。作業終了するまで、しゃべり続けた。
収穫したてだからここまで出来るが、これが一日経過するだけで竹の子の品質は悪くなってしまう。なので、収穫したて。しかも出来る限り蒸して、塩漬けまでを可能な限り早く行う。
ぼくらがやるのは、収穫したあとカットして2回蒸す。2回!?でもやるしかない。
時より出てくるタケノコの先端部分を眺めながら、『美味しそうだなぁ』と思い先のことを考えるよりも、ひたすら目の前のことを考え出来る限り手を動かしていきました。
『はぁ、やっと切り終わったぁ。』
少しの休憩と水分補給タイム。ほっとした時間も束の間、蒸し上がった竹の子をさらに小さくカットしていく。
蒸し上がったタケノコを見て、『おぉ!キレイじゃん。』そんな声もこぼれたが、小さく切ろうとすると今度は包丁の刃がはいらない。
『なんだ。こりゃ。』
刃が入らず切れないものは、そのまま廃棄するのだそう。これ以上蒸したところで、柔らかくもならないので食べることはできないとのこと。この作業を繰り返し、朝から収穫をはじめたタケノコはお昼過ぎにはカット終了。ここから塩漬けする工場まで運んでいくそうだが、ぼくらはここでお役御免となりました。
この竹林整備からの商品製造までの取り組みがはじまって、約3年目にもなります。竹はしなやかで整備されていると、どこか美しさも感じ見惚れてしまうこともありますが、それは整備されていればの話。整備しなければ竹は、5年ほどで朽ち果て倒れ、そして荒れ始める。とは言え竹がなくなるわけではなく、後からどんどん生えていく。結果、荒れ放題になってしまう。
そうならない様に整備する人が必要で、その伐採した竹をどうしていくか。どう活用するのか。そもそも活用できるのか。そう言った環境整備に関するお話も含め、体験できたのは貴重な経験でした。
この取り組みを一度の経験で終わらせることなく、そして次の塩漬けや加工への取り組み、さらにはどうお客様に一つのカタチとして伝えていくかをお見せできればいいなぁ。と考えております。
私たちの竹林伐採事業は、まだまだ続いていきます。今度は、メンマになっていく姿をお伝えできるのか。はたまた、売場での取り組みが先か。塩漬けは期間が長いので、先にお店での取組みですね。
引き続き、応援のほどよろしくお願いいたします。