最近の記事
山尾悠子と中川多理を巡るいくつかのメモランダム②「徒然の問わず語りの独り言。」時には、自分でも文章をしたためたくなって…山本直海
勅使川原三郎がシュルツの『マネキン人形論』を踊ったとき、確かに『大鰐通り』の骨董街の角を曲がって向こうに行った。小説に描かれていない角の向こうにも勅使川原の/シュルツの街は伸びていて、そこで勅使川原三郎は踊っていた。創作をもって作品をテーマにするというのはそういうことだ。 シュルツの言葉…文章、小説には身体がある。父親の欲望、欲望のエロスもある。勅使川原三郎はそこも踊った。でもシュルツの…とだけはいえない身体も欲望もエロスもある。誰の?もちろん踊っている身体の。舞台の上ではそ
マガジン
記事
山尾悠子と中川多理を巡るいくつかのメモランダム。「新編 夢の棲む街」山尾悠子/時には、自分でも文章をしたためたくなって…山本直海
描いたたくさんの絵とともに大学を退官する…これから…いや大学という枠が外れて…それは日本画の枠をも外れて…さらに絵画の枠も外れて…いや外して…描く原点に戻れるということだ。生きるためのようにして、そのような言い訳をして、大学で絵を描いてきた。誇れるのは、日本画というジャンルで横行する__。大学の先生と呼ばれる日本画家もする、売絵を描かなかったことだ。 『夜想』やパラボリカ・ビスで活動してみて、そこは…大学生の倶楽部活動見たいな匂いもしたが…そう昔から夜想で活動していた川口起美