山尾悠子と中川多理を巡るいくつかのメモランダム②「徒然の問わず語りの独り言。」時には、自分でも文章をしたためたくなって…山本直海
勅使川原三郎がシュルツの『マネキン人形論』を踊ったとき、確かに『大鰐通り』の骨董街の角を曲がって向こうに行った。小説に描かれていない角の向こうにも勅使川原の/シュルツの街は伸びていて、そこで勅使川原三郎は踊っていた。創作をもって作品をテーマにするというのはそういうことだ。
シュルツの言葉…文章、小説には身体がある。父親の欲望、欲望のエロスもある。勅使川原三郎はそこも踊った。でもシュルツの…とだけはいえない身体も欲望もエロスもある。誰の?もちろん踊っている身体の。舞台の上ではそれぞれの身体は…もしかしたら娘の…も入っているかもしれない…が、その身体は輪郭の境界をもたない。相互浸透して、そこに存在する。
ある知り合いの文芸評論家が、いまの小説家は、だいたいが普通の人。普通の人が普通の人に分かるように書く。勉強していろいろやって…。と言っていた。この[普通の]というのは、所謂とかレベルが…とかではなくて、[感覚共通の]と言うことだと思う。最近おもしろかった文学界の「幻想の短歌」でも~みんなだいたいが同じ身体をもっている、ということがまず前提になっていて、読者の身体を使って歌が再生される仕組みになっている。(平岡直子)と言っていて、おおまかこれがコンセンサス。共通というと、特権というものから遠く、普通の、平凡な誰でも分かる、生まれ持ったときに持っている能力の…というようなことになる。山崎哲が今日、上島竜平の自死について書いていた。タケシは「芸人はのたれ死ぬのが最高だと教えていたのに」「非常に悔しくて悲しい」とコメントしている。唐(十郎)さんも若い頃から「野垂れ死に行」をくちにしていたので、その気持ちはいやというほどよくわかる。が、もはや芸能界も演劇界も、野垂れ死にすることができない世界になってしまった。一言でいえば、自分の住んでいる世界はすでに芸能の世界ではなくなった、一般の市民社会となんらかわらない社会になってしまったということである。関係性から分断された個は、東浩紀の言うような動物的な個になって、フラット化する。そしてそこが表現の受容媒体になる。
相互という部分が欠けているのは、『新編夢の棲む街』の中川多理と山尾悠子だ。展示会場に行って作品と掲載されている写真を比べれば分かるが…たしかに作品を写真にしたものだが、なんというか平面性が高く、二次限性が強調されている。つまり挿画と同じような使われ方をしている。写真上で削られている表現もある。全体が分からないように使われている。ここには山尾悠子の40年前から固定されたヴィジュアルイメージがあると思われる。山尾悠子の後記を読めばその姿勢が分かる。むかしの〈若い頃の〉イメージでは…(後記121p)と書かれていて、文章から類推できない部分まで、固定されたイメージ…そしてそれはおそらく平面的な…をもって中川多理の人形を見ているのである。だから性器のあるなしに衝撃を受けたりするのであり、なおかつ、それをわざわざ後書きに記している。私としては性器はないです、でも多理さんの創作だからしかたないですわよね。私の薔薇色の脚は、股間はつるりとした空白ですのよ…と言っているのに等しい。つまり凄い創作だ、凄いコラボだと言っているわけではないということだ。そして薔薇色の脚の発想元がベルメールだったと明かしている。当時、そして今もだが、身体性を感じられるベルメールの人形を見る機会は非常に限られている。ポンピドーセンターとか…。とすると澁澤龍彦所有の写真を見て模造された(土井典に無理やり頼んで)ベルメール人形か…たぶんあの頃は人形の写真集もほとんんど手に入らなかったと思う…とすれば写真からの印象。何を言いたいかというと、人形の身体性が欠落しているということだ。さて展覧会場の中川多理の『薔薇色の脚』人形。プロトタイプと言いながら、作品は様々な姿をしている。原形ではなく、変奏の脚たちがいる。山尾悠子の世界は、本人が言うように、コトバでできている。~誰かが言ったのだ。世界は言葉でできている~。再び、文学界の『幻想の短歌』から引かせてもらうと——自分の身体から逃げ出すというか、現実の身体との距離感が遠いほど[幻想]と(大森静佳)——身体から遠く、身体を消去して、コトバで構築された山尾悠子世界——という幻想小説であるのだから、身体性の強い——人形という身体を創作している中川多理だから…性器とか身体とかはむしろ本には必要のないものだったに違いない。
共通感を成立させるための身体、平凡な誰でももっている身体…その対極であり極北である人形身体を作っている中川多理の創作作家としての手は収まることを知らない。具体描かれていない…しかしながら小説の中に存在する[薔薇色の脚]の創作にも及んでいる。あるいは…脚が生まれる経緯を読み込んだ作品すら…。勅使川原三郎が『大鰐通り』の角を曲がって踊ったように、中川多理は40年前の『夢の棲む街』にある劇場の奈落下にある小部屋を覗いたに違いない。このような設えの文学と人形の邂逅を見ることは悦楽であり二度と起こらない奇跡のようなことがらだと思われる。それは二人のTwitterを読めば容易に予想がつくことである。