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【なぜ、SEから翻訳家に?】 翻訳家の夏目大さんに、SEから翻訳家になった経緯やSE時代の数学のミスによる苦い思い出などを聞きました。

書籍『屈辱の数学史 A COMEDY OF MATHS ERRORS』(マット・パーカー著 夏目大訳)には、数や計算の間違えによる様々な悲喜劇が書かれているが、本書を翻訳した夏目大さんのライフストーリーにもいくつかのミスが起こしたドラマがあった。翻訳家インタビュー第2回目は、自然科学系の書籍の翻訳に多く携わる夏目大さんが翻訳家になった経緯について。
(インタビュー:高松夕佳)

翻訳家の夏目大さん

夏目 大(なつめ・だい):大阪府生まれ。翻訳家。大学卒業後、SEとして勤務したのちに翻訳家になる。主な訳書に『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』ジャン=ポール・ディディエローラン(共にハーパーコリンズ・ ジャパン)、『エルヴィス・コステロ自伝』エルヴィス・コステロ(亜紀書房)、『タコの心身問題』ピーター・ゴドフリー=スミス(みすず書房)、『「男らしさ」はつらいよ』ロバート・ウェッブ(双葉社)、『南極探検とペンギン』ロイド・スペンサー・デイヴィス(青土社)、『Think CIVILITY』クリスティーン・ ポラス(東洋経済新報社)など多数。
最新刊では、『因果推論の科学』ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー(文藝春秋)、『「公正」が最強の成功戦略である』デイヴィッド・ボダニス)(光文社)がある。

なぜ、SEになったのか?

——自然科学系の本をたくさん訳されてきた夏目さんが、数学が苦手だったというのは驚きだったのですが、ではなぜSEをされていたんでしょうか。

夏目 私は中学の頃から英語や現代国語が得意だったし、いま思うと元来、性格的にも翻訳という仕事に向いている人間なんです。それに早くから気づいていればストレートに翻訳家を目指したのでしょうけれど、当時は英語を使う仕事といえば、商社に勤めるか通訳になるかぐらいしか思いつかず、本の表紙に名前が載るような仕事が自分にできるなんて発想はありませんでした。
それに、高校で音楽に夢中になった私は、将来は作曲など音楽で身を立てたいと考えるようになっていました。でも、大学で入った軽音楽部のレベルが高く、先輩にはめちゃくちゃ上手な人がゴロゴロいた。サークルのなかでさえ歯が立たないのにプロになんてなれるわけない、と思ったら急にモチベーションが下がり、目標を失ってしまって。
就職活動が始まってもやりたいことは見つからない。かっこいいからというだけの理由でテレビ局や広告代理店を受けるものの、当然全く相手にされません。バブル経済期で丙午生まれだった私の学年は超売り手市場。同級生は皆バンバン内定をもらっているのに、私だけ9月になっても決まらないのです。

——それは焦りますね……。

夏目 とにかくどこかに受からないと自分がダメになってしまう、受かりやすい業界はどこだろうと焦って探したところ、目に留まったのがコンピュータ業界でした。
まだMS-DOSの時代です。コンピュータなんて興味はないし触ったこともありませんでした。少々陰気ないまで言うオタクの業界だという偏見もあったし、数字の苦手な私には明らかに向かないはずでしたが、人手が足りていないのは確かなようでした。
そこで、どうせやりたいことがないのなら、一番苦手なことを仕事にしてできるようになれば、無敵な人間になれるんじゃないか、そんな浅はかな動機でチャレンジすることにしたんです。
4社受けると、幸いにも3社から内定が来ました。3社のうち2社は大阪、1社は横浜の会社で、関西出身だった私は地元を離れてみたくて横浜の会社を選び、入社しました。以来、ずっと横浜に住んでいます。

本質がわからなければ言葉はわからない

——コンピュータのことを何も知らずに入社されて、苦労されませんでしたか。

夏目 苦労しましたね。全然わからないし、そもそも興味がないからつまらないんですよ。
文章を書くマニュアル部への配属を希望したのですが、上司から「大卒男子でマニュアル部配属はあり得ない」と言われて、開発部に入れられてしまって。当時は、まだそういう差別的な物言いが通用する時代だったんですね。そんなふうだから最初はすごくつらかったです。
でも、2年目に転機がやってきました。配属先は開発の多くを海外に外注していて、海外で開発されたものを検証するのが主な業務でした。でもチームで英語ができるのは私だけ。そこで、来日したアメリカ人技術者のアテンドを任されることになったのです。滞在中、つきっきりで通訳をしました。それは楽しかったです。

——英語ができる貴重な人材として開発部に配属されたのかもしれませんね。

夏目 そうかもしれません。でもその中で、ショックなことがありました。
コンピュータ用語は基本的にすべてが英語です。最初は普通に通訳をしていたものの、途中から英語のわからない先輩とアメリカ人技術者が単語を並べるだけで通じ始め、私は完全に置いていかれてしまったのです。ああ、いくら言語ができても、本質を捉えていなければダメなんだ、と痛感しました。あのときの発見はいまに大きく影響しています。
その後、上司から英語のマニュアル翻訳も頼まれるようになりました。
やってみたらすごく面白くてのめり込みました。専門用語を知らない自分には、英語の字面はわかるのに内容が飲み込めない箇所が結構あり、しばらく苦戦していましたが、あるときパッとひらめきました。これは機械の説明書なのだから、ここに書いてある通りにやれば機械が動くはずだ。機械なら目の前にある。書いてある通りに動かしてみればいいんじゃないか、と。
実際に動かしてみると、自分が英語の字面からこういう意味かなと思っていたのとは、全然違う動きをする。動きから逆算して読み直すと、ああ、そういう意味にも取れるわ、と納得して。翻訳というのは、パズルを解くことではないのだ、と気がついたのです。
原文を書いたのは人間なのだから、何かを伝えたくて書いているはずだけど、伝えたいのはここに書いてあることだけじゃない。書いた人が見ているものと同じものを見ようとすれば、言語外の意味がわかるはずだ、と。それ以来、文章を精査する前に機械自体を見るようになりました。

コンピュータが私に「翻訳」を教えてくれた

——アメリカ人技術者と開発部の先輩が、言語外で通じ合っていたのを見たときと同じ発見ですね。

夏目 まさにそうなんです。翻訳家になったいまも、あの体験で学んだことは生きています。英語の文法事項はもちろん踏まえて読みますが、それよりも著者は何を言おうとしているのだろう、著者は何をどのように見てどう考えているのかをまず先に考えるようになりました。
SE時代に使っていたマシンは、私の翻訳の先生だったと言えますね。だってマニュアルを読んだ限りでは予想もしなかったような動きをするんですから。でも機械のことをわかってからマニュアルを読み直すと、そうか、そう書いてあるな、と。
言葉ってそういうものですよね。たとえ日本語でも、予想していなかったことを言われると一瞬飲み込めませんが、意図がわかれば納得できる。それに気がついて以来、翻訳のおもしろさに夢中になりました。

——では、そこから翻訳家の道に?

夏目 いえ、そのときはまだ仕事にしようとは考えていませんでした。翻訳のプロなら私にわかるようなことは誰でもわかっていると思っていましたし。
でもあるとき、外の翻訳会社に頼んだ訳文のチェックをするよう言われて見たら、横のものを縦にしただけのような、何も考えていない訳だった。プロがこの程度なら、私も翻訳家になれるかもしれない、とそこで初めて思いました。
色々調べた結果、やっぱり自分には翻訳の仕事が向いていると決心が固まり、一年間、会社に勤めながら英語の猛勉強をした後、退職しました。

——コンピュータ会社に勤務していなければ、そうした重要な発見をすることもなく、翻訳家にならなかったかもしれない、と。

夏目 どうでしょうね。ただ、ストレートに翻訳家の道を選んでいたら、きっといまとは違う翻訳家になっていたでしょう。そう考えると、苦手な会社に入ったことは幸いしているかもしれません。

数字のミスがもたらした人生ドラマ

——本書のなかにも、「プログラマはまず頭の中で、コンピュータに何をさせたいかを考える。それから次の段階として、その考えを、コンピュータの理解できるプログラミング言語に翻訳する」(p.443)という一節がありました。夏目さんのSEとしてのご体験に通じるものを感じて、なんだか納得できました。
ちなみに、数学でミスした苦い思い出とかって、おありですか……?

夏目 ありますよ! コンピュータ会社を辞めた後に入った翻訳会社では、未経験者だったため、営業職でした。途中から翻訳部長に認められて翻訳の仕事もやらせてもらえるようになったのですが、営業と二足の草鞋だから、ものすごく忙しかった。
営業の仕事の一つに、見積り業務があります。当時はまだWordやPDFはありませんから、翻訳する原稿の文字数をカウンターをカチカチ押してきっちり数えなくてはならない。数えた文字数から算出した見積額をクライアントに提出するのです。
あるとき、あまりにも忙しくて心身ともに疲れ果て、全部の仕事を丁寧にやっていたらとても間に合わない、どこか手を抜けるところはないだろうかと思い始めたことがありました。「そうだ、あのカチカチ文字数数える時間が無駄だ」と縦横を数えて掛け算してみたところ、一瞬で終えることができた。
その場はそれで済んだのですが、後日、翻訳が上がって字数を見たら、何と見積りより2割も増えていたんです。請求額を見たクライアントからクレームが来て大騒ぎになった。社長以下役員がずらっと前に並ぶなか、「お前、もうクビだ!」と吊し上げにあいました。
結局、その一件で営業部にはお払い箱となり、翻訳部に拾ってもらったので結果オーライだったのですが。

——計算ミスが、そんなドラマに発展するとは。

夏目 まあ、私は子どもの頃からそういうミスの多い人間でしたから、あのときも「やっぱりな、俺だもんな」と妙に納得してしまって。何か面倒なことがあるとすぐ手順を減らそうとして、大変な結果になる。本書を読んでいたら、私のやりそうなことばかりが書いてあるのでギョッとしました(笑)。
ただ、自分がそういう人間だとわかっているので、翻訳においては他人の3倍は丹念にチェックしています。ゲラを見直しながらも、「俺みたいなのがこんなにミスの少ない原稿を上げるなんて、どんだけ努力したんだろう」と自分で自分に泣けてきますよ(笑)。

失敗を活かすことで道は開ける

——夏目さんは数学側の人だと思っていたのですが、意外にも数学音痴の私たちと同じ感覚でこの本を読んでいらしたのですね。でもそこが訳にも活きているのかもしれません。
夏目さんご自身、不得意なところをうまく対処したり、ミスを経験することによって、人生を好転させていらっしゃるし。

夏目 まるで瓢箪から駒のような人生です。失敗が、たまたまなんとなく活きた、という感じでしょうか。もっと平和に駒を進めたいのに、「クビだ!」みたいなカタストロフがないと次に進めないタチなんですね。
翻訳というと、コンテストやトライアルに受からないと仕事ができないと思う人もいますけど、ああいうのは受からないのが普通だと思います。物事は、多かれ少なかれひょんなことから進んでいくものという気がします。私だって、同じことをもう一度したからといって同じ結果になるとは限らない。ちょっとした弾みで全く違ってくるのではないでしょうか。
失敗しないに越したことはありませんが、本書を読んで防げる失敗は回避しつつ、失敗を笑い飛ばせるようになることもまた重要ではないかと思います。

つづく

◎重版出来! 好評発売中! 小さな数学のミスにより起こった、おかしくも悲しい出来事の数々を語った一冊『屈辱の数学史 A COMEDY OF MATHS ERRORS』の原書は、イギリス『サンデー・タイムス』紙で数学本初のベストセラー作となった。著者のマット・パーカーは、イギリスでスタンダップ数学者、YouTuberとして活躍している。本書では、その軽快な語り口も楽しんでほしい。

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