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【お試し企画】京都のよもやま話
一回で終わるかもしれないお試し企画。
今回は京都に関連したよもやま話を綴っていきます。投稿後一週間を目処に後半部分はメンバーシップ限定にする予定です。見逃し防止のためにもし宜しければフォローをお願いします。スマホのnoteアプリからだと通知の設定も出来ますよ。(宣伝)
紙幣に描かれていた京都
突然ですが二千円札の絵柄をイメージしてみてください。
何が思い浮かびましたか?
大河ドラマ"光る君へ"が現在放送されていて毎週感想文を書いています。しかし私は二千円札のことなどすっかり忘れていました。そうです。表面は守礼門、そして裏面には『源氏物語絵巻』第38帖「鈴虫」の絵図と詞書、作者の紫式部が描かれていました。
2024年7月に新紙幣が発行しました。だけど二千円札を新たに刷ろうという声は国会議員はおろか国民からも聞こえてきません。つまりあの二千円札は政治的に大失敗だったということを意味します。改めて二千円札の裏側画像を眺めてみました。とても素晴らしいデザインで普及しなかったことが悔やまれます。
二千円札がダメだった理由の一つに機械の対応がありました。更新費用に莫大なお金がかかってしまうからです。あれから二十年が経過しました。新札の対応ができない、と多くの企業が悲鳴を上げていて今だに新五百円玉硬貨を拒否する自販機やバス運賃箱が数多くあります。キャッシュレス化が促進される状況にはなっていますが、一方で現金回帰の企業が増加し、事実、神社仏閣の入館料や拝観料は現金扱いのみが今も多数を占めています。
私はこれまで交通系ICカードをメインに使ってきました。しかし遠出の旅行で役に立ったのは三重交通のお伊勢参りくらいで鹿児島でICOCAはほとんど使えませんでした。熊本県が全国交通系ICカード決済廃止とのことで十数年後には完全になくなってしまうかもしれません。いま現在日本の二大政党が代表選挙を行なっています。決済システムがどうなっていくのかは選ばれる人次第となるでしょう。どうなることやら。
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比叡山と清水先生
私に恩師と呼べる先生はいません。
しかしそれに近い人はいました。中学二年と三年のときに担任だった清水先生です。不登校の不良生徒の家へ何度も家庭訪問する熱血漢で生徒からの人気が高く、大切な時期にいい先生に巡り会えて私は幸運でした。今振り返ってみるとすべて清水先生だから許されたことであって、凡庸な先生が同じことをしたら反発する生徒はきっと多かったと思います。かなり偏った言い方をしますが、生徒のほとんどは柔和な雰囲気と先生のカリスマに飲み込まれていました。私もその一人でした。
これから話すことはインターネットでも聞いたことがない内容なので多くの人は信じられないかもしれません。
たしか修学旅行のときだったと記憶しています。クラスメイト全員が大きな部屋に集められました。照明を消して本音を語り合うという特殊な場が設けられたのです。いわゆるホームルームの拡大版ですね。「ここで話したことは決して口外してはならない」というルールが清水先生から伝えられました。みんながどんな内容の話をしたのかはハッキリと覚えていません。まぁ中学生にありがちな人間関係のもつれをイメージして頂ければあの場にいなくても容易に想像できるかと思います。清水先生の意図はクラス全員の団結心を高めることだったのでしょう。しかし実際は親友同士だった二人の仲が悪くなったりみんな余所余所しくなったりと、三学期の終業式まで険悪なムードが漂っていました。もし嫌いな先生が主催していたなら生徒の誰も本音で話さなかったことでしょうから皮肉な結果になったと言えます。人間関係の難しさを痛感した中学二年の夏のことです。
そんなこんなで中学三年になり、全員の進路が決まったので先生と一緒に小さな卒業旅行をしようということになりました。場所は中学生でも安心して行ける京都比叡山です。京阪沿線に住んでいた私たちはとりあえず京阪電車に乗りました。比叡山へは出町柳駅から叡山電鉄で八瀬遊園駅に向かうルートと三条駅からバスで向かうルートがあります。比較的仲の良かった男女数人ずつの我々はこっちのほうが安いだろうということで三条駅で下車しバスルートを選択しました。任意参加だったのでクラスメイト全員が参加したわけではなく参加者は十数人ほどでした。
現地集合ということで八瀬比叡山口駅前で待ち合わせ。清水先生とそこで合流する予定をしていました。八瀬遊園へ向かうバスはどこだどこだと必死にバス乗り場を探す私たち。皆様もご承知のように三条駅っていろんな方面のバスがあるので乗り場を見つけるのがホント大変なんですよね。無事発見できたのでバスに乗り込み、光り輝く鴨川の景色を眺めつつ北上していきます。ちなみに当時好きだった人は別クラスにいたので恋愛方面の期待感はまったくありませんでした。ゆえに誰が参加したのか今となってはまったく覚えていません。尊敬している先生との最後の思い出づくりのために参加しました。中学校の先生と生徒でグループ旅行をした人はそんなにいないと思います。大変貴重な体験をしました。
鉄道組も到着し全員が揃ったのでケーブル八瀬駅へ向かいました。最終目的地はガーデンミュージアム比叡です。いつも寺社仏閣を紹介しているので比叡山と聞いて延暦寺を思い浮かべた人はきっと多いと思います。もしお寺参りだったら参加者はかなり減っていたことでしょうね。当時の私は宗教や京都に興味がなかったので延暦寺観光なら多分行かなかったと思います。ケーブルカーの車内では清水先生を囲んで生徒たちがプライベートなことをいろいろ聞いていました。先生の奥さんはどんな人とか、どういうキッカケで知り合ったのとか中学生ならではの質問が並び、先生も学校では見せない笑顔で終始和やかな雰囲気のままあっという間に頂上に辿り着きました。そして各々で散策したあと小旅行は終わりの時を迎えます。一部のやんちゃな男子たちはバスで帰るぞと言って乗り場へ走っていき、残りの私たちは来た道を戻ることにしました。
とても素敵な先生ではありましたがみんなに大人気だったので恩師と呼べるほどの関係にはなりませんでした。不良生徒はもしかしたら清水先生のことを恩師と今でも慕っているのかもしれません。卒業旅行という特別なことをしたのに特別なことにはならなかった。優れた人格者と出会ってもいい方向に転ばないことってあるんだなぁ。不思議な中学時代を歩んだ私の思い出です。
結び
だいぶ昔のことなので一部記憶があやふやなところがありますがほぼ実話となっています。ずっと公開するのはさすがに恥ずかしいので『比叡山と清水先生』は投稿一週間を目処にメンバーシップ限定にします。
ずっと心の奥底に眠っていた二つのエピソードを今回掘り起こしてみました。一回限りの企画になるかもしれません。また何か思い出したことがありましたら第二回、第三回と続けていきますね。ご精読誠にありがとうございました。本編の旅行記もよろしくお願いします。またね。
追記
『忘れられない先生』二週続けてスキの週間一位を獲得しました。皆様ありがとうございます。感謝!!
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