自分がやらかしてきたことをちょっと振り返る【巻の9】 就職氷河期の就活篇
自分探し、続く
前回は、アホ学生による総合職の就活について、当時の恨みつらみを交えながら、記事に起こしてみました↓
今回は、1999年6月ごろからの話を中心に、お話しができればと思います。
戦況、未だ好転せず
1999年6月。ここまで120社以上から不採用通知をいただき、これまでにないくらいの焦りと自尊心の欠如を抱えていました。ワイの場合、6月以降も就活をしていましたから、どんどんと不採用通知が増えてきて、焦りも高ぶり、自尊心も容赦なく削られていきました。
ワイの理系大学生、理系大学院生時代は、
部活、サークルは未加入
先輩、後輩の付き合いが薄い
ガクチカがない
他学部の友人はいたが、ネットワークは希薄
彼女いない歴≒年齢
おデブ
であり、見た目だけでも相当努力をしなければ就活は苦しむだろうなというのは、自分なりには理解していました。
しかし、実際に就活の場面では、失敗という結果が積み重なりました。
そうすれば、悩みます。
悩んで、改善したところ結果、また失敗。
悩んで、改善して、また失敗。
改善して、また失敗。
また失敗。
今のワイであれば、失敗しても命を取られるわけではないから、次も頑張ろうと考えて…よく考えると、当時もそう思って就活に励んでいました。
しかし、郵送で、
というお手紙を続けていただくと…。
自らを鼓舞する力を少しずつ削がれ、社会人になるという入り口にすら立たせてもらえないことの恐怖というか、不安感におびえていた…そんな暗く、先が見えない大学院生活を送っていたと思います。
自己分析の必要性については、てつや様、かなしいおとこ様が奥の深い話を記事にしてくださっています↓
ガクチカについては、愉悦乃大神さん様が、現在進行形での話を記事にしてくださっています↓
実際はどうだったのか?
内閣府が令和2年に公表した「日本経済2019-2020 -人口減少時代の持続的な成長に向けて-」でも示されているとおり、
1999年は新卒就職率自体が下がっていた時代と重なります。統計上の底はもっと先だったわけですが、実感はあまりないです。目の前で内定がないことの方が重要ですから。
ただ、一緒に企業の説明会に参加したり、面接会場で遭遇する学生たちの姿をみていると、悲壮感しかないリクルートスーツという名の喪服を着込んだ若人たちがたくさんいたことを記憶しています。
そして、当時のワイと同じように、
希望を見出せず、
未来を想像できず、
ただただ、社会の闇的なものを経験した就活生は非常に多くいただろうと推察します。
2つの願書…そして、
就活でいろいろ急がしかった(?)ワイですが、たまに登校しては、研究室には寄らず、何かよい就職口がないかと大学の事務室をふと訪れることは度々ありました。
そんなある日、大学の事務室に、2通の願書だけ手つかずで残っていました。
なぜかはよくわかりませんが、その願書に惹かれるものがありました。
よく見ると表題は同じで、
との案内とのこと。採用職種を見ると、どちらも化学系の採用職種があるとで、年齢は問題なし。
ただ、○○も、△△も
とのこと。
○○職員の採用試験を受験すれば、△△職員の採用試験は受験できない。
その逆も然り。
事務室で10分ぐらい立ち尽くしましたが、とりあえず、思い出ということで受験することに。どちらかといえば○○職員に惹かれたですが、なぜかその時△△職員の採用案内をゲット。
一次試験まで時間があるかと思いきや、ほとんど時間がないのに気づくワイ。慌てて、申込書に必要事項を記入をしていると、見ず知らずの方からワイ宛てに家電がコールされ…。
(続く)