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SNS時代の独善を回避するために『危ない読書』を、グローバル時代の日本の立ち位置を確認するために『対決!日本史2』を推薦します!

 元外交官で、北方領土返還にまつわる政争に巻き込まれ刑務所に入って、作家としてデビューした佐藤優は、とてつもない教養と外交官時代のインテリジェンス能力で、質の高い書籍を量産しています。
 僕は読者として大ファンで、可能な限り読むようにしているのですが、面白い切り口の書籍があったので、紹介します。

 著者が紹介する20冊の「悪書」の定義は、以下の通りだ
・現代の日本人にとって異質さを感じる著者もしくは作品
・このまま歴史に忘れ去られてしまってはもったいない作品
・現実社会を動かした(動かしている)人物の書いた作品
・タブーに挑んだ作品もしくは人間の本質をえぐるような作品

 どれも、特定の時代でのベストセラー、もしくは特定の国でのベストセラーであった作品ばかりだそうだ。

 ヒトラー、スターリン、毛沢東、金正恩といっった独裁者の本も紹介されています。アドルフ・ヒトラー『わが闘争』の紹介では、ナチスの危険思想は今も消え去っていないということを説明しつつ、このような記述がされています。

SNSによるフィルターバブルの弊害

現代人の多くはスマホから情報を集めている。SNSのタイムラインを眺めると、自分が興味関心のあることが表示されるように機械学習が調整してくれている。いわゆるフィルターバブルのことだが、フィルターバブルの先にあるのがサイバーカスケード現象だ。自分の知りたい情報だけを拾い集め、さらに自分の考え方に同意してくれるコミュニティーのなかに閉じこもる。その結果、自分を客観視できなくなり、自分が絶対的な正義であると信じこんでしまう現象だ。

 SNS時代のフィルターバブルはよく語られいることですが、ここまで的確な考察はなかなか無いと思います。

 『カルロス・ゴーン経営を語る』の紹介では、

 ゴーン氏の逮捕をマスコミはゴーンショックと呼んだ。しかし、本当のショックはこの一連の逮捕・逃亡劇によって海外の超一流経営者が日本企業を敬遠するようになることである。国際的な基準で見れば正当な対価を要求するだけで、世間からも社内からも、そして検察からも足を引っ張られるのであれば、日本企業のために一肌脱ぐメリットはひとつもない。数字をごまかしたことは事実であり、逃亡したことも事実だ。しかし、ゴーン氏を単に「不良外国人だった」という評価で歴史に葬り去るのはバランスに欠けていると思うのである。

 全くそのとおりだと思います。ゴーンが鼻につくという感情論がメディアとSNSを覆っているのは残念なことだと僕は思っています。

 『トランプ自伝 不動産王にビジネスを学ぶ』を通じた、トランプ大統領時代のアメリカ対する考察も的確です。

そもそもトランプが原因でアメリカが変になったわけではなく、アメリカが変になった結果としてトランプが出てきたと考えるべきなのだ。たとえば皮膚にできものができたとする。市販の軟膏を塗ったら一旦治まったが、すぐにまた出てきた。今度は皮膚科でステロイド剤を処方されて症状が落ち着くが、完治はしなかった。そこで大学病院で検査を受けてみたら実は内臓が原因だった。よくある話だが、ここに出てくるできものがトランプなのである。
 彼は外国人嫌いの排外主義者だが人種主義者ではない。それはアメリカ人にとっての提携であるからこそ、またでてくる可能性は十分あるのだ。

 国際社会と世界の歴史について考える時の、自分の視座が高くなり、深いところまで考えられるようになると思います。

歴史の深堀りから「今」を学ぶ


 歴史という意味で、もう一冊『対決!日本史2』も推薦します。前作は戦国時代から江戸幕府が鎖国するまでの近代でしたが、本書「幕末から維新編」では、令和の日本につながる課題や原因が分析されています。

 まさに目から鱗|《うろこ》が落ちる指摘がたくさんあります。
 黒船到来時、江戸時代末期の経済発展は非常に進んでいたようです。長州藩は瀬戸内海の3つの港を抑えて、藩同士の貿易で大きな利益を上げていたそうで、塩を作りすぎた時の対応が雄藩連合に繋がり、倒幕に向かうという話が非常に興味深いです。

 その値崩れをトラスト(談合)によって防ぎ、塩の価格を維持しました。こういった動きが、雄藩連合(勢力の強い藩の連合体)を作る下地になっていくのです。
 1855年に亡くなった村田清風という長州藩士が、1830年代から40年代にかけて長州藩の藩政改革を進めていきました。長州のように改革に成功した藩だけが生き残って、列藩へと成長していくのです。

長州藩〜山口県が首相輩出の理由

 明治新政府を取り仕切り、その後の安倍晋三に至るまで、たくさんの総理大臣を山口県が輩出したのは、19世紀の長州藩の経済改革が礎になっているのですね。

安部:興味深いことに、長州藩が下関で4カ国連合艦隊から砲撃を受けた翌日に「長州ファイブ」がイギリスに出発しているのです。
佐藤:幕府には秘密で長州藩が派遣した留学生ですね。
安部:伊藤博文とか井上馨など5人が、武器商人グラバーの手引きでイギリスへ留学しているのです。よりによって砲撃の翌日ですよ。長州藩には、こういうダブルスタンダードを平気でやるしたたかさがあったのです。

 また、欧米の船が日本に来た理由は、太平洋に航路ができて、蒸気船の石炭の中継基地の必要性だったようです。経済的に豊かな日本が中継地として求められたわけです。

植民地化を免れた日本の「幸運」

 日本が欧米に植民地化されなかったのは、幸運の産物だったようです。アメリカの国力がまだそれほどではなく、フランスも力が落ちていて、イギリスは清とのアヘン戦争とインド経営で疲れていた。オランダはインドネシア経営が大変な時機だった、と。

佐藤:あの時期は列強のバランスが日本にとっていちばん良いタイミングでした。
安部:不思議なくらい無風状態でしたよね。
佐藤:これがあと10年遅れていれば、中国の力が弱いことが列強諸国にはっきり見えていたことでしょう。「だったら中国とセットで日本もやっちまえ」と、一気に攻めこまれて植民地化されていたかもしれません。当時の日本のエスタブリッシュメント(支配階層)の中には、アメリカやイギリス、フランスから植民地化されるかもしれないという危機感はありました。どこかの国から攻めこまれたとき、もし外国の傭兵部隊に支援を頼むようであれば、日本は植民地にされていたかもしれません。お互い争い合っている幕府と維新政府の間に「国内の問題は国内で解決しよう」というコンセンサス(合意)があったのが幸いでした。
安部:「自分たちは国民のために働き、国のために働くのだ」という武士道と尊王思想が、幕末の時代のみんなの腹にあったのでしょう。

 統幕から明治維新が大きな内戦にならなかったのは、天皇を中心とする尊王思想と武士道があったからだとの分析も非常に興味深いです。
 そして、19世紀の日本の歴史も世界との関係で捉えなければ、正確には理解できないことがよくわかります。

アメリカの南北戦争(1861~65年)で余った武器と、行き場所がない南軍系の人たちが、大陸浪人みたいな雰囲気で日本にやってきました。いかがわしいアメリカ人が商売先として日本を求めてやってきたのも、西南戦争に影響しています。ダイナミックな巡り合わせによって幕末の西南戦争は勃発し、日本史を大きく動かしました。

 また、日本史を大きな流れで捉えている二人は、2020年の日本の「格差問題」も歴史の中で捉えます。「農本主義」と「重商主義」の間の振り子という視点です。

安部:なぜ江戸幕府が作られたのでしょう。織田信長・豊臣秀吉は行き過ぎた重商主義、行き過ぎた中央集権主義を進め、挙げ句の果てに朝鮮出兵という大失敗を犯しました。そこからいかに国を立て直すか。信長・秀吉後に台頭した家康は、重商主義から農本主義へ、中央集権主義から分権主義へと社会を揺り戻していきます。日本社会に士農工商という身分制を設け、商業・流通のエントロピー(不規則性)を下げていきました。貧富の差を少なくして、誰もが食える社会構造を作ったのです。
佐藤:よくわかります。行き過ぎた重商主義によって大きく儲かる人がいるかもしれませんが、他方で貧富の格差が大きく広がります。徳川家康は、すべてが市場で動く市場原理主義とは逆の方向に舵を切りました。

 江戸時代の社会制度の捉え方も興味深いです。

安部:なにしろ徳川時代の制度は公地公民制です。各大名家は幕府から領地を預かっているだけであって、領地は自分の私有財産ではありません。
佐藤:ええ。1873(明治6)年の地租改正までは、大化の改新(645年)後に作られた班田収授法の枠組みをちょっと変形させているだけですからね。
安部:非常に社会主義に近い体制です。そういう体制が、商品流通の変化や飢饉、天災によって崩れていきました。幕府開設から享保の改革くらいまでの江戸時代の日本は、一つの理想社会として語れるのではないかと僕は思うのです。重商主義と拡張主義で走るだけでは、社会はとてももたない。

1500年の視野で明治維新の功罪を識る

 その上で、明治維新から太平洋戦争の「敗戦」を一つの流れとして見通し、現代社会の課題に結びつけています。

安部|僕は長年「現代日本を考えるうえで、明治維新礼賛論を壊さなければ駄目なのだ」「功罪相半ばするという形で、明治維新を見ていかなければ駄目だ」と主張してきました。もちろん明治維新には「功」の部分もたくさんありますが、「罪」の部分もいっぱいあるのです。明治維新の「罪」の部分が、昭和20年の敗戦を招いた。実を言うと、明治維新こそが敗戦の直接の原因だとさえ思うのです。
佐藤|私もそう思いますね。
安部|昭和20年8月15日を過ぎても、受験競争による才能の吸い上げと中央集権体制は、現代までそのまま残っています。
佐藤|ペーパーテストなんて、人の能力を一面的にしか評価できません。なのにテストの点数がすべての基準にされてしまう。行き過ぎた能力主義の弊害です。
安部|明治維新の「罪」の部分をしっかり見直すことによって、現代社会に広がるさまざまな問題があぶり出されるのです。

 知識と洞察力を持つ二人が、日本の価値は文化力にあるということがよくわかる分析もしていて、我が意を得たりの気持ちでした。

文化の豊穣さが日本の最大の価値

安部|イギリスやフランスは、日本の文化の豊穣さに驚いて尊重しているのです。戦国時代に日本に来たイエズス会の宣教師は「こんなに立派な国民はヨーロッパにもいないんじゃないか」とまで書いています。鎖国体制の中で経済がうまく回り、芸術・文化を楽しむ余裕が人々にあった。こういう国とはいたずらに事を構えず、貿易を順調に進めていったほうがいいと思ったのでしょう。
佐藤|今を生きる日本人が考えなければいけないのは、1850~60年代の歴史です。あのころヨーロッパもアメリカも、経済的にまだそれほど強くはありませんでした。漆器は英語で「Japan」と言います。ヨーロッパやアメリカに漆器がないからです。陶磁器は英語で「China」なんです。中国で作られていたような良質の陶磁器が、欧米にはなかったからです。国はどういった形でバカにされるのか、バカにされないのか。結局は経済力であり、文化の厚みがモノを言うのです。当時の日本を見た欧米人の目には、階級差はあるけれども極度に貧しいとは映りませんでした。特に浮世絵なんてのは「これだけのものが極東の島国にあるのか」と衝撃を与え、西洋の印象派に強い影響を及ぼしています。

 2020年代の日本も軍事力はもちろんのこと、製造業や経済力では世界の一流国ではいられません。1500年の歴史を持つ日本の文化力を、国力向上にどう活かすのか、多様性と奥行きのある文化=広義のコンテンツ制作力をグローバル市場で活かしていくことをライフワークにし始めている僕にとって、大きな示唆を与えてくれる内容でした。

 広く深く事象を捉える、高い視座から見る、「教養」の基本的なスタンスの重要性を改めて教えてくれる佐藤優の書籍を紹介して、オススメします。

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