久し振りにnoteの更新を。 2月は「ストールブレイカー」でMoipa Miraコラボ ≪生きるフリー素材≫にて「XXXしないと出られない部屋」 3月は京都で「祭りよ、今宵だけは哀しげに」 浜松戻って音楽LIVE「コイロハノハコ」 4月は福岡にて「こいろはひとつまみ」 5月はぽんぽこハニーで「ことなかれ」 7月には茨城劇王に「チホ」で参戦 8月になって三重の音楽イベント≪流行性血膜炎≫で「私の怒れる一日」 駆け抜けたなー。いつからになる?去年の1月から?っていうかずっと
男 大丈夫。大丈夫。落ち着くんだ。いや、わかるよ、君がパニックになるのも仕方ない。どうして、今、こういう状況になってしまっているのか、意味が分からない。本当に。こう見えて僕も今、とても混乱しているんだ。でもパニックになったって仕方ないだろう。深呼吸をして。とりあえずは、落ちつこう。大丈夫。今すぐ何がどうなるわけでもないんだ。君がそこにいて、僕はここに居たらいい。大丈夫、何もしないよ。 『女』と男がいる 男 説得力がない、と言いたげだね。そう思われても仕方ない。なぜ僕が
もしも観劇中に、客席からスマホの着信音が鳴ったら、私は血の気が引くほどゾッとすると思う。しかも、それがもし演出の一つとして意図的に仕掛けられたものだと知ったら、腹を立てて席を立つかもしれないし、その劇団のことが嫌いになるかもしれない。 だから、私は覚悟を決めて挑みました。 開演直前、前説がうっかり舞台上に落としてしまったスマホが、上演中に着信して鳴ってしまった場合、いったいどんなことが起こるだろうか。たとえば、出番をひかえていた役者がとりあえずそのスマホを回収しに舞
人はなかなか変われない。 変わって欲しいと他人が願ってもどうにもできなかったりするし、本人が変わりたいと思ってもなかなか変われないもので、でも「きっとどこかで!いつか!」と信じながら、心の扉をノックし続けたり、新しい環境に身をおいたりする。 これまでは、ノックし続ける側にずっといて、それもようやく実ったのだけれど、まずは私自身の話から。 自分という人間の軸の部分に関わるほどの変化に、まだ自分自身が追い付いていないような気がしていた。そんな中、稽古前の準備中に、シャ
軽い気持ちで嘘をついた。軽い嘘はよく付いてしまう。もうこれは癖になっていて、ほぼ無意識でついている。その場しのぎであったり、ちょっとした意地悪であったり、大概はたいしたことのないどうでもいい嘘。 そんな嘘を、またついた。 それにシャチョーを巻き込んでしまった。 違うんです、そうじゃないんです、と どれだけ取り繕っても 口から出た言葉はもう戻らない。 無かったことにはできない。 今まで見たことのない目で、言葉で、シャチョーは私に言った。 「どちらも、信じ
まるで自分が立派な大人であるかのように振舞ってきたけれど、まるで自分が常識のある一般人のように生活してきたけれど、ポンコツだとか詰めが甘いとかそんな言葉では片づけらないないような、結構やばいレベルで社会に適応できてない人間だったことを思い出させられたことがあった。つい最近。 化けの皮が剥がれた途端に、人間の形を保てなくなるよね。何言ってるかわからないと思うけど、罪悪感というか失望感というものだとか、あとは現実と向き合う恐怖や絶望みたいものが、身体の表面をあっという間に覆
先週は静岡で稽古場めぐりだった。脚本、演出、演技指導、役者、制作としての参加。オンラインも含めると一週間で5つの稽古に出席したことになる。あ、今週はそれに加えて京都の稽古にも出席する。今月はいろいろとスケジュールを無理に組んだのもあって、なかなかにハードだな。 ちょっと前に、「舞台に立つ者に必要不可欠なものは何か」という話題を耳にしたことがある。私はその時は聞き手だったので参加はしていなかったのだけれど、これを読んでいる演劇人の皆さんは、なんと考えるだろうか。 聞い
今週は一日にいくつかの稽古場を回ったり、いくつかの企画会議にオンラインで参加したりというのが多い。昨日もそうだった。いろんな座組に参加させてもらうと、いろんな役者さんと関われる。ずっと気になってた役者さんとも繋がれるので、それがめちゃんこ嬉しい。 それほどコミュ力が高くはないので、どうやったら仲良くなれるかぁと足踏みしている所なんだけれど、ラブアピールやアプローチは今年は積極的にやりたいなぁと思う。今年のテーマは「愛」やしね。 演技力が高いなぁとおもってる役者さん、
今は、これが一番作りたい作品。 新年明けて、しみずさん(劇団の主催)と身の回りのことについて話をしていた。去年の末からしみずさんのツテでお世話になっている派遣会社さんの話だ。これまでに触れたことなかった世界線に身をおいて、まだ心と身体が環境になれてない。 「ネタに困らないでしょ」 シャチョーとおんなじことをしみずさんが言う。 今年の舞台活動はもうスケジュールがいっぱいで、今から新しいことを企てるつもりはないのだけれど、今年は”私らしい”作品をちょっとずつ世に発
どうしても目を背けてしまう、どころの話じゃない。もう次の瞬間にはそのことは忘れてるし、無意識のうちに捨てようとしたり、隠してしまったりしていることがある。私には、苦手なものがある。 いつかは向き合わなければいけないと、怯えながら生活してきた。逃げ切れることなどないと分かっていながら、ずるずると逃げ続けてしまってきたことが、沢山ある。立派な大人のふりをして生きてきた。 それを、トラウマだからと、これは一種の精神疾患だと言って許してほしいわけではない。結局、いつかツケが
漠然とした不安に襲われている。 原因がなんなのかはっきりしない。 私はすぐに電話を掛けた。 Lululululu…ッッ 彼はすぐに電話に出てくれた。 —―どうしたの? とても不安なの。どうしたらいいかわからない。 私はあなたを信じていいのよね。 —―もちろん。大丈夫だよ。 あぁ、よかった。 ありがとう。 不安はすぐに消え失せた。 私は、彼がいたら、大丈夫なのだ。 ********** あとがき いや、こっわ。自分で作っといてこっわ。
浜松に引っ越してきて2ヵ月、ようやくテーブルとチェストが家に届いて、やっと人が住める部屋になってきた。「窓際で朝日を浴びながら朝食をとる」という夢も一つ叶って、毎日が充実していくのを感じる。 ・・・感じる、はずなのに、この寂しさは一体どうしたらいいのだろう。一人暮らしを楽しむことはいくらでもできると思っていたのに、こうなってしまうのはきっと、もともと一人暮らしの予定ではなかったからなんだろうな。 自業自得。自分が蒔いた種。後悔したってもう遅いし、いつ、どの時にどうし
シャチョーが風邪を引いたっぽい。 事務所にある社長のデスクに、冬眠から目を覚ました熊のような、二日酔いしている像のようなおっきい人がいると思ったら、それが彼だった。「大丈夫ですか?」と尋ねると、「…チョーゲンキ」とかすれ過ぎて声になってない声で返事が来た。目は真っ赤に充血していて、たぶん今日中にはゾンビになる感じの顔面だった。普段はVシネっぽい様子のシャチョーも今日はパニック映画状態である。 病院にも行った後で、ちゃんと薬も飲んでいるようだったので、あとは何も出来
ちょっと遅めの夕飯だった。 運転手の女の子は助手席に座っているシャチョーにずっと愚痴をこぼしている。おそらく、付き合っている彼氏の愚痴である。私は後部座席でなんとなく話を聞いていた。 デートだとかラインのやり取りだとか、こういう良いことがあった、こういうことをしてくれた、それはいいけれど、こんなこともされた、こんな目にあった。そういうプラスマイナスややマイナスみたいなエピソードが、次から次に出てくる。そして、彼女はエピソードの終わりに、毎回「まぁ、別にいいけど」と付
「HOW TO BE PARISIAN」という本をもらってから、パリジェンヌに憧れた。ありのままでいて自由気まま、誰にもこびないのに愛され上手。プライドなんて持っていないわと言いたげなそのプライドが、たまらく好きだった。 パリジェンヌの恋愛は自由だ。そして、とても自然体。流れに身を任せるように戯れて遊ぶそのスタイルは、何にも縛られない奔放さと情熱の爆発みたいな一面と、いつ消えてしまうかわからないロウソクの灯のような切なく儚い一面がある。 たまらん。 恋愛は苦手で
何が本当なのか なんて、誰にもわからない 真実はいつもひとつ、ではない 事実だけはひとつ、だと 何処かの漫画でみたけれど 事実だって それが本当とされない現実は いくらでもあるわけで 愛だとか 優しさだとか 悪意だとか 騙す、騙されるとか もう本当にあいまいなもので でもそこに 答えを求めてしまうのが 人間らしくて、私は好きです 考えることを止めれば 答えを求めなければ どんだけ生きやすいとしても 何が正義か 何が真実か 見定めながら たとえ答えにたどり着けなくても