まぁ、別にいいけど
ちょっと遅めの夕飯だった。
運転手の女の子は助手席に座っているシャチョーにずっと愚痴をこぼしている。おそらく、付き合っている彼氏の愚痴である。私は後部座席でなんとなく話を聞いていた。
デートだとかラインのやり取りだとか、こういう良いことがあった、こういうことをしてくれた、それはいいけれど、こんなこともされた、こんな目にあった。そういうプラスマイナスややマイナスみたいなエピソードが、次から次に出てくる。そして、彼女はエピソードの終わりに、毎回「まぁ、別にいいけど」と付け加える。
絶対に「よくはない」そから愚痴っているのだろうけれど、必ず彼女はそう締めくくっていた。自分に言い聞かせているのか、取り繕いの言葉なのかかわからないけれど。シャチョーはハッハッと笑っていた。
チェーンのしゃぶしゃぶ屋さんに到着して、手慣れた様子でシャチョーと彼女はさくさくと注文。届いた具材を次から次にさばいて、阿吽の呼吸で鍋を仕上げてくれた。私はお箸を手にお利口さんにして待っていた。
彼女は、テーブルに配膳してくれる店員さんには毎回必ず「ありがとう」と言う。私が食べやすいように、しゃべりやすいように、ほどよく気にかけてくれる。パッと明るい笑顔で、はきはき物も言うけれど、決して嫌味のないサバサバした印象のある女性だった。私は初対面だというのに、とっても居心地が良かった。
なんというか、彼女がパートナーになってくれたら、最高だろうなと思った。どうしてこんないい人が、つらい恋をしなければいけないのだろう。
女の子と別れたあとに、シャチョーは静かに私に言った。
「駄目な男とばかり付き合っちゃうんだよ。で、ボロボロになって。だいぶマシにはなったけどな」
ボロボロになるまで傷ついて、それでも恋してしまうのは、人間特有の生き物としてのバグだ。それは本人自身にしか修正はできない。自覚して、決断して、また痛い思いをしながら変わっていかなければいけない。それは孤独の戦い。周りがどうアプローチしようとも、周りにできることなんて何もない。しいて言えば、祈ることくらいだろう。
行きの車の中でシャチョーは「またかっ」とツッコミを入れながらハッハと笑って話を聞いていた。食事中のふたりを見ていて、まるで夫婦だった。何年もの間、シャチョーは彼女のつらい恋に寄り添ってきたのかもしれない。
これも、一つの愛なのだと思う。
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