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【詩】サラダボウル

不純物を濾過して必要充分な量のことばだけ皿に盛って。
いしき無意識なん層のたまねぎを降りていけばわたしはわたし自身を飲み込めるようになるの。何日もかけて深く深く内に入って地下に潜って掬い上げた水にきみを震わせるものがなかったらどうするの。ことばは陳腐。夢はフルカラー。一瞬の機微を切り取りサラダボウルで瑞々しいまま届けたい。きみの目の前に提示したい。突きつけてやりたい。こういうことなんだと。余計な説明などいらない。素材の鮮度の良さと、温度が伴ったことばを、そのときの気まぐれで。

何日漂っている。愚者が無意識にタッチして還る旅。できるだけ遠くからだを放り出す。この旅を無事に終えられるだろうか。口から出ることばは愚鈍。不器用でのろま。わたしはひと言絞り出すのにのたうち回っている。きみ一人のこころを打ち砕くだけの力がほしい。照射された生は灼ける焦げる。トラックは積載量オーバー運転手はあらかじめ重さを測って荷台に載せよ。ばかだと言われても試行する。きっと燃え尽きるまで永劫をくりかえす。

わたしはきみに何もあげられない。けれどわたしなりにきみとせかいが呼応する点を探してる。ねえ、せかいの不思議からしたらわたしたちが扱うことはどうでもいいことばかりだ。断片を覗いても得意げに知った気になっても、せかいの持つ鮮やかさを捉えきれていない。図書館に蓄積され続ける人の探究心、ゾウリムシの宇宙、引き延ばされた無限のじかん。再入場NGのチケットを握りしめて、わたしは未だにもっとせかいのことを知りたいと切実に願っている。きみにひと区切りのスペースを。せかいとの共有財産を。唯一向き合える(あるいは逃避する)あんしんを。届かないと知っていてなお、なぜ人は伝えようとするんだろう。季節が移り変わるからか。いずれいなくなるからか。ことばも腐ってしまうからか。わたしがここで迷いながら生きていた証を知ってほしかったのかな。テレパシーがない世界には、ごつごつとした、生のことばしかないから。







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