「部下が1on1で本音を話してくれない」問題
1on1の推進に関わっていると、いちばんよく聞く悩みがこれかもしれません。
ちなみに、この悩みは、1on1の「導入」期においてはほとんど聞かれません。導入したあと、ある程度回数を重ねた後である「浸透」期だからこそ、出てくる悩みだと思います。
そういう意味で、この悩みを相談されたときは、「あ、ちゃんと1on1やってくれてる!」と前向きに感じますし、実際そのように相談者に伝えます。そうすると、その相談者は顔を明るくします。
この余談についてはまた別の機会に書くとして今回は、「部下が1on1で本音を話してくれない」問題について、日頃考えたり、実際に相談者に伝えていることを書いてみようと思います。
「部下の本音」にまつわる「上司の憧憬」
まずもって、この問題の起点は、上司の頭の中にある「本音」に対するイメージ、だと私は思っています。
どういうことかというと、「部下が1on1で本音を話してくれない」と話す上司の頭の中に、こんなイメージが(もちろん無意識のうちに)あるんじゃないでしょうか。
「本音」というものが、部下の心のなかに、輪郭はっきりした状態で、ぽつんと置かれている。
1on1では、部下がその「本音」を手にとって(手に取れるほど輪郭はっきりしてるはずなので)、上司に向かって投げてくれる。
上司は部下から投げられた彼/彼女の「本音」をしっかりと受け止める。(「1on1では部下の話を聞きなさい」と言われてるし!)
この3つがきれいに揃った情景(上司にとっての憧憬?)を、「部下が本音を話してくれた」という理想状態として、頭の中にプリインストールしている上司の方が多いのではないでしょうか。
で、この理想状態としてのイメージこそが、「部下が1on1で本音を話してくれない」問題を引き起こしているんじゃないかと、私は見ています。
つまり、「部下が1on1で本音を話してくれない」問題というのは、「いかに部下の本音を引き出すか?」という「1on1における会話のテクニック」であるところの技術的問題ではなく、「上司であるあなたは、『部下の本音』というものをどう捉えていますか?」という、上司の頭の中のイメージをアップデートする適応課題だと思うのです。
上司であるあなたは、あなたの本音をスラスラと言えますか?
すべてに先行するそもそも論として、「そもそも、部下も自分の本音がわかっていないのでは?」というところから考えてみませんか、と相談者に話すことが多いです。
「では手始めに、」ということで、こんな問いを上司側であるところの相談者に向けてみます。「上司であるあなたは、あなたの本音をスラスラと言えますか?」と。
「え、私の本音って、なんだろう、あらためて考えてみると」という逡巡に巻き込まれるのが、たいていじゃないでしょうか。
では、同じ問いを子どもに投げかけてみるとどうでしょう。
子どもには、「『本音』という概念」がないのです。だから、本音を聞かれても、そもそもそれが何を聞かれているかがわからないので、答えられない。答えるべき問いになっていない、というほうが正確でしょうか。
「あなたの本音はなんですか?」と聞かれて、スラスラ出てこないのは、大人も子どもも一緒。
ただし、その背景が違う。
大人は、「『本音』という概念」は知っている。その入れ物にはどんなものを入れるかも知っている。
日常の些事のなかで生きる大人は、というか、(子どもと違って)日常の些事のなかでひーひー言いながら、それでもなんとかかんとか生きているからこそ大人だと思うのですが、そんな大人という存在にとって、「本音」などというものが、仮にあったとしても、聞かれた瞬間にはそれがスラスラと出てこないほうが普通なんじゃないか、と私は思ってます。
大人は、その入れ物にどんなものを入れるかは知っている。でも、他の誰でもない「私」が、そこに何を入れているのか、入れたいのかについて、普段考える機会は、意外と少ない。現に私だって、そんな大人のひとりなわけです。
向き合うべき問いはなにか
仮にそうだとすると、前述の
「本音」というものが、部下の心のなかに、輪郭はっきりした状態で、ぽつんと置かれている。
1on1では、部下がその「本音」を手にとって(手に取れるほど輪郭はっきりしてるはずなので)、上司に向かって投げてくれる。
上司は部下から投げられた彼/彼女の「本音」をしっかりと受け止める。(「1on1では部下の話を聞きなさい」と言われてるし!)
という、小気味よいキャッチボールとしての「本音」像は、素朴に過ぎると思うのです。
相談者にはよく、こんなふうに伝えます。
1on1というのは、大人が飲み込まれている日常の些事をいったん脇に置いて、部下が本音を「考える」時間なんじゃないでしょうか、と。
そうすると、相談者のほとんどは顔が明るくなります。
おそらく、「1on1における会話のテクニック」や「部下との信頼関係の築き方(本音を言ってくれるほど信頼関係が築けていないと考えているから)」のような、袋小路に陥ってしまった技術的問題としてではなく、自らの認識がアップデートされて、世界の見え方が変わる体験であるところの適応課題として、「部下が1on1で本音を話してくれない」問題を捉え直したからだと思うのです。
部下は自分の本音がわかっているとは限らない。
だから1on1は、上司が本音を聞き出す時間ではなくて、部下が本音を考える時間なのだ。
こんなふうに「本音」像や「1on1」像を捉え直すと、「部下が1on1で本音を話してくれない」問題は、解決ではなく、無化します。
そもそもそんな「問題」は存在しなかったのだ、と。
「部下が1on1で本音を話してくれない」問題は存在しない、というのは、「だから何もしなくていい」というわけではありません。「部下が本音を考える時間」をどう創ればいいのか、という新しい問いを提示します。しかしそれは、その先が袋小路になっているのではなく、「どこかにつながっていそうだ」と光を感じさせる問いだと思います。
「部下が1on1で本音を話してくれない」問題への、私なりの向き合い方
「世界の見え方が変わる」というのは、「学び」を構成する大きな要素の一つだと思っている。世界の見え方が変わったとき、人は顔が明るくなる。だから、人は「学ぶ」ことを根源的に希求する存在である。
という三段論法としての人間像、「学び」像についてはまた別の機会に書くとして、とにかく、上司のなかでの「本音」像、そしてそれに誘引される形で「1on1」像が描き直される。そうすると何が起きるかというと、事前の導入期において、「1on1研修」などの形で伝えられていた以下のようなマインドやテクニックが、上司のなかで腹落ちする(ように、彼/彼女の明るくなった顔を見て私は感じます)。
たくさんの事例を見ている私からすると、浸透期に起きることというのは、上記の腹落ちのような、導入期の思い出しや、再解釈であることが多いし、それは極めて自然なことだとも思っています。
でも個別の上司の方にとって、そういう揺り戻しは「うまくできない」「またダメだ」という悩みにつながりがちです。
そういった進歩主義的呪縛を解いて、上司の方に「いろいろあるけど、もうちょっと続けてみようかな」と感じてもらう。それが、私のような立場だからこそ繰り返し発信すべきメッセージだと思っています。冒頭の「あ、ちゃんと1on1やってくれてる!」という前向きな印象と、それを直接伝えることは、上司の方に向けた、私なりのエールだったりします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?