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火のないところに煙は立たたない? / ペニーガム思考を逃れる
中国宮廷ドラマ如懿伝76話(全87話)を見ていたら前半と違い、スッカリ間抜けに成った乾隆帝(清朝6代目)が、皇后と侍従の噂に「火のない所に煙は立たぬ」と言っている。
昔からこの言葉には違和感を持って来た、特に中国の人達は流言飛語が非常に上手い。これは皮肉では無く本当に感心しています、本当に人の機微に聡い。
如懿伝後半を見た人なら分かるが、乾隆帝は答え有りきで情報収集する。それなので周りの野心家達は、乾隆帝自身が思い込むのに都合の良い流言飛語を巧みに操る。
このドラマ内では、そんなの幾らでも捏造出来るだろと思える証拠に、乾隆帝は飛び付きます。それを観て思いついた言葉は「火のない所に『煙だけ』立つ」です。
確かに火元の様なモノは有ります何処にでも、でも観ている内に分かったのは乾隆帝の裡に火元が有ります、何かそれっぽい言葉が出て来ました。
「短絡的な因果思考はペニーガム思考」
この手の思考パターンは「原因と結果が一直線」で繋がっています。
繋がっているだけならまだしも、何故か「果→因へ逆流」して犯人を特定し、謝らせたり罰して本人はスッキリして終わり。
問題解決は他の人がする、もしくは無実の人が裁かれます。自分が解決する訳では有りません。
※ペニーガム=1だったか?10ペニー硬貨を入れるとガムが出て来る自販機の話し。全ての物事が等価交換されていると考える思考、確か福岡伸一「生物と無生物のあいだ」で読んだ記憶が有る。(同著者の別本かも知れません)
その時の話しはタンパク質を摂取すると同じ分量排出されるが、タンパク質はタンパク質を溶かす為にも使われるので、単純に吸収された分だけ同量排出される訳では無く。新旧混ざったタンパク質が排出されると言う、因果の複雑さの喩えとして書かれていたと思う。
自販機だってガムからペニー硬貨に戻らないのに、「果→因」に戻すなよと言いたくなる。
組織の上位者に本来在る責任が問われないと、全てが下位者の自己責任で埋め尽くされ、組織は狡猾か従順な人だらけに成ってしまい、先細りし続けてしまう。
(従順で有能な、世間『しか』知らずは結果として、権力者を強化し続けるので本当に厄介)
如懿伝では、正室、側室、皇太后が皇帝を命懸けで咎め、責任の所在を明らかにするシーンがキチンと描かれている。
『情報の正確さより、情報の情報が重要」
ある人のブログを見ていたら、情報の正しさばかり(誰が嘘付きか?本当か?)を気にする人が多いけど、情報の一段上、俯瞰する為の情報が大事。見たいな事が書かれてました。
成程と思ったのですが例えの内容を忘れましたので、その時に思い付いた自分なりの喩えを書きたいと思います。
例えば平均年収400万、と言う情報は殆ど意味が有りません、勿論全くの無意味では無いです。でも年収100億が1人と、残りの人達が年収200万の場合と。全員が年収400万では事の良し悪しに関係無く、情報の意味は全く変わってしまいます。
そのブログの方の説明を最低賃金に置き換えて例えれば、東京1000円、神奈川、千葉、茨城が950円で、埼玉だけが500円もしくは1500円なら何か別の問題が起きているか?情報そのものが間違っているか?です。
そこで漸く情報が正確なのか?→誰かが意図的に嘘を流したのか?もしくは単純に調べ方が間違っていたのか?等色々考える段階に入いれます。
情報の正確性より、差異が分かればそれを材料に様々試行錯誤出来る。犯人や嘘付きを探すよりも差異から正誤を炙りだせる、そんな話しでした。(あえて喩えるなら、乾隆帝は直火で炙って見たい模様を作っている)
「如懿伝感想」
現代の日本でも必死に煙を上げて人を追い詰めた挙句、相手から反抗の火が上がったの見て、ホラ火元があったじゃないか!とする人類が数千年以上続けて来た事を、後生大事に繰り返し続けています。
如懿伝後半の乾隆帝の姿は醜悪そのものです。でも、自分も金と権力を持っていたら似た様な事をするのでしょう。
中国ドラマは、徹底的に権力の問題を男女、身分問わず汚く描き、どの立場から観ても救いが殆ど無いので本当に草臥れます。
「如懿伝」には逃げ場が有りません、知りませんでした、ワザとじゃない、等の傍観者視点は許され無い。貴方ならどうする?と問われ続けられてる様で、毎回ヘロヘロに成りながら観ています。
オススメ?作品です。