どこかのyさん

思ったことを、ただ書いてます。

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最近の記事

「応援できる」って、そんなに偉いことなの?

人を応援できない人間は、心が乏しい。 こんなようなことを仰っている方を見かけた。人それぞれ考えはあって当然なので否定はしない。しないけど、むかついた。なぜ、「応援できる自分は正しい」と思えるのか。不思議でたまらない。 私は小学生の時から、「自分と違う意見を持つ人間の立場にもなってみる」という癖がある。 ニュース番組を観ていた時のこと。罪を犯した人間に対して、その人物と無関係なはずのコメンテーターが、「どうしてこんなひどいことができるのか、さっぱりわかりませんね」と怒りを

    • 「応援する」って、どういうこと?

      応援とは、 応援とは、こういうことらしい。 はじめてnoteらしい機能を使ってみた。使えているのだろうか。そんなことはどうでもよくて。 「応援」って難しくないですか?今まで応援したこともなければ、されたこともない。もしかしたら、知らず知らずのうちにしてたし、されてたのかもしれないけど。 推し文化が流行りはじめてから、「応援する」ことが当たり前になっている気がする。推しとか言ってる人間が居なかった時代は、ただ自分がそれを好きだから好きと言うだけだった。こういう人間をひとは

      • 推しとのショックな出来事から振り返る人生|高校時代 編

        中学時代編では、「自分がしたことが返ってきた」という話をした。いわゆる因果応報ってやつ。今回は、高校時代の「あの子が私に向けた感情」をこの体験で知ったお話をさせていだきたい。 高校生になって一番仲良くなった子がいた。ここではa子ちゃんと呼ぶことにする。趣味が同じだったことから仲が深まったが、それだけでこんなに仲良しになれるものか?と不思議に思うくらいの仲良しだった。高校で出来た親友だ。休み時間は当たり前に話すし、帰りも一緒だった。どちらかが休めば、先生ではなくみんな私たちに

        • 推しとのショックな出来事から振り返る人生|中学時代 編

          最近起きたショックな出来事から、だいぶ立ち直れてきた。そしてこの出来事を俯瞰して見れるようにもなってきた。どっちが悪いとかそういう話でもないはずなので、その答えは推しと私の心の中でそれぞれ出すとして……(勝手に推しにも課題を課してしまって申し訳ない) 今回は、この出来事から見た「昔の自分」の話をしようと思う。 ひょんなことから推しに(間接的に)怒られてしまった私。よかれと思って、いや、楽しかったことを純粋な気持ちで綴っていた。それが本人にとっては邪魔くさかったらしい。これが

          相性が悪いライブがある

          某ジャンルのライブに足繁く通っている。理由は、「推しを観に行くため」である。たまに「このライブがおもしろい」という理由で観に行くこともある。しかし基本は「推しが出てるから」だ。 全通はしていないが、そこそこ通っている。そんな中で自分と相性が悪いと思うライブがあることに気がついた。これまでの人生で初めての感情だった。それは、とあるトークライブである。 トークライブが嫌いなわけではない。むしろ好きなくらいだ。普段のライブではわからない人となりがわかるような気がするから好き。プ

          相性が悪いライブがある

          推し疲れ

          推し疲れている。 そもそもわたしは推しが多い。 「推しに多いとかあるの?1人じゃないの?」と疑問に思う方もいるらしい。それは「推し」という言葉を使っているからおかしなことになっているだけ。推しという言葉はあまり好きではないが、言い表すのに最適であるから使っている。わたしにとっては「好きな人」だ。 「好きな人こそ1人では…?」と書いていて思った。好きな人。いろんな意味の好きがあるんだから、好きな人でいい。けどやっぱり推しの方がわかりやすいので、ここでは推しでいかせてもらう。前