推しとのショックな出来事から振り返る人生|中学時代 編

最近起きたショックな出来事から、だいぶ立ち直れてきた。そしてこの出来事を俯瞰して見れるようにもなってきた。どっちが悪いとかそういう話でもないはずなので、その答えは推しと私の心の中でそれぞれ出すとして……(勝手に推しにも課題を課してしまって申し訳ない)
今回は、この出来事から見た「昔の自分」の話をしようと思う。

ひょんなことから推しに(間接的に)怒られてしまった私。よかれと思って、いや、楽しかったことを純粋な気持ちで綴っていた。それが本人にとっては邪魔くさかったらしい。これが「出来事」の要約だ。内容は全く異なるが、似たような状況を経験していた。それは2つの時代の話になる。ざっくり、「中学時代」、「高校時代」としよう。

今回は中学時代の話。14歳の私は色々と壊れていた。夜更かし癖、忙しい部活で休みなし、家庭内・学校など様々なストレス。自分の中に自分が何人もいた。なぜか期待されることも多く、今思えばありがたいことだが、当時は重荷でしかなかった。私は気楽に生きたい性分なのだ。
「人は、自分が一番甘えている人に強く当たる」
なんかのSNSで見た一文だ。あの頃の私はまさにこれだった。ちょっとしたことが癇に障り、大事な友達に当たり散らしていた。ひどい言葉も投げつけた。それでも彼女たちは一緒に居てくれた。嫌味の1つでも言いたかっただろうに。マグマが噴き出している私を、そっと見守ってくれていた。それどころか、今でも交流がある。交流なんてもんじゃない。私の唯一の友達である親友の3人。彼女たちには足を向けて寝れないし、頭も上がらない。ひどい状態を知った上で、今でも仲良くしてくれている。時が経って、あの時のことを聞いてみたことがある。「あの時ヤバかったよね笑」と枝豆を摘みながら言ってくれてホッとした。私は彼女たちの存在が自慢で、彼女たちのことを尊敬している。彼女たちに何か悪さをするような奴がいたら、私が許さない。そんな大切な存在が私にはいる。

推しに怒られてしまった出来事は、私が彼女たちにしてしまったことを思い出させた。私は彼女たちの立場になったのだ。理不尽(と言っては推しに悪いが、あまりにも唐突だったのでこう思ってしまったことを許してほしい)に怒鳴られることがどんなに辛いことか。そしてそれを許すことがどれほどの愛なのか。今、とても思い知らされている。

彼女たちは許してくれた。なんなら忘れてくれていた。私はまだ推しに「許し」の感情が持てない。もちろん、自分にも非があったという気持ちはある。それでも許しの感情を持てずにいる。忘れたくても、こころに残って消えない言葉。おかげで推しを直視できない現状だ。改めて、彼女たちの偉大さを痛感する。自分が人として未熟すぎる現実が悲しい。そもそも「許し」なんて言葉を用いてる点、未熟以下だ。

きっと、許すでも開き直るでもないんだろう。以前みたいに戻れるように、もっと成長しなくては。これは私が成長するための経験。大切な経験をさせてくれてありがとう、推し。

次は高校時代の話をさせてください。(次回もまた自分語りです、ご了承ください)






こちらに参加させていただいてます。10月25日〆切。皆様も自分を語りましょう。


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