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Summertime

2020

涼しい部屋で水を飲みながら、埃のついた重い画集を開くと、そこには夏が広がっている。
どこまでも、限りなく広い夏だ。
この部屋の窓を開け、湿った風を吸いこんでみたとして、家を飛び出し、夕暮れに祭りの屋台でかき氷を食べたとして、河川敷に座り込んで、あのころ好きだった人と花火をみることができたとしても、決してたどり着けないほど、遠い夏だ。
モネの夏は、そういう場所へ私を運んでくれる。

風の音がする———

The One who could repeat the Summer day —
Were Greater than itself —

2011

忘れられない夏がある。
恋人だった女の子と花火を見た、夏。
河川敷は人で溢れかえっていた。学校帰り、堤防沿いをのんびりと、途中で川とは反対側の道路に降りてコンビニに寄ったりしながら、花火が座って見上げられる場所を探してまっすぐ歩いて行く。やっと落ち着ける場所を見つけて二人で腰を下ろした。ちょうどその時に打ち上がったのが最後の花火で、僕たちは顔を合わせて笑った。
泡沫のようだった。

The One who could repeat the Summer day —
Were Greater than itself —

もう二度と戻らない、特別な夏。
きっと、誰にもあるだろう。
暮らしの中で、ふとした拍子、身体のどこか深い底に沈んでいた夏の記憶が、呼び起こされることがある。
それは家でシャワーを浴びている時かもしれないし、冷えたワインを一人で飲んでいる時かもしれないし、昼の町で誰かとおしゃべりしている時かもしれない。
そのたびに、海に溺れたようになって、僕はうまく笑えなくなる。

2019

25回目の夏が終わる。
あまり、充実しているとはいえない。それでも幸か不幸か、そんなことはおかまいなしに毎年夏はやってきて、そして去っていく。
うだるような暑さも、草の香りも、蝉時雨も、ソーダアイスも、金魚掬いの光景も、どこか、既視感がある。
私たちは季節が巡るままに、夏をくりかえしているから。大したことはない。ただ、流れているだけだ。そう、手元のウイスキーのグラスを傾けると、カランと涼しげな音が、田舎のおばあちゃんの家の風鈴の音みたいに聞こえた。

同じ夏は、二度来ない。
毎年のことでうんざりする夏の風物詩は、いつも懐かしくて、でもどこかよそよそしい。夏を懐かしいと感じさせる何かが、この夏をよそよそしく見せている。

The One who could repeat the Summer day —
Were Greater than itself —

2018

The One who could repeat the Summer day —
Were Greater than itself —

夏をくり返すことができる者は、夏よりも偉大だ

「どういうこと?」
「俺もよくわからない。」
前を向いたまま笑うあいつの顔が、横顔として見える。
「でもさ、ちょっと気になっちゃうだろ。」
「そうだね、意外性はあるかも」
「なんかこう、世界の真理を捉えたぞって感じのズバッとした名言より、俺はこういうのが好きだな」
「へえー」
「真実は『老人と海』みたいなもんでさ」
「ヘミングウェイ?」
「こういう言葉は、言葉だけ聞いても意味はよくわからないんだけど、何言ってんだ?って人を立ち止まらせる力がある。もちろんその時点で人が選ばれてるわけだけど、そういうのは案外、入り口だったりするのさ。」
「何の?」
真実の———
あのとき、同僚の運転する車の助手席に僕は座っていた。
そのときどんな音楽がかかっていたかは、忘れた。
あいつの趣味だから、多分クラシックだけど。
ヴィヴァルディだったかまでは流石に覚えてない。
季節は夏、だっただろうか。
それも、はっきりとは思い出せない。

2020

同じ夏は二度来ない。
あの素晴らしい夏は、もう二度と。
どうして、それでも人は夏をくり返すのだろう。
夏の思い出をつくるたびに、絶望が一つ増えるのだとしたら。
希望もまた、一つ増えるのだろうか。

The One who could repeat the Summer day —
Were Greater than itself —

夏は必ずくり返す。
しかし人が夏をくり返すのは、当たり前じゃない。
もう終わりにしたいって思う。
それこそ、何度だって。
それでも、僕らが生きていられるのは何故だろう。

より、偉大なる夏を目指しているのだろうか。

それとも、あの夏を思い出すためだろうか。


END.


繰り返し引用した詩はエミリ・ディキンソンの作品。

『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICHINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR を参照した。

また冒頭の絵は、クロード・モネの作品。

『La Prairie(草原)』 1874年

ベルリン国立美術館所蔵






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