映画「コットンテール」を観て【グリーフケア】を考える
ドラマ・映画好きなキャリアコンサルタント xyzです。
先日、早速「コットンテール」を観てきました。リリーフランキーさんが出演と聞いて気になりまして。ちょうど初日でした^^
60代の作家、大島は妻・明子が亡くなってから深い悲しみと喪失感に打ちひしがれた日々を過ごしていました。
「思い出の地、イギリスのウィンダミア湖に遺灰をまいてほしい」という明子の遺言を叶えるために、息子の慧(トシ)と妻のさつき、4歳の孫エミとともにイギリスに行くことになるのですが、旅先でも終始ぎこちない父子……。大島は勝手に単独行動を取り湖水地方に向かう途中で乗る鉄道を間違えて、ウィンダミア湖から数百マイル離れた田舎町で道に迷ってしまい、とあるイギリス人父娘の家に辿り着いて……というストーリー。
かなしみへの準備はできない
愛妻家だった大島。認知症を患いやがて寝たきりになった妻の明子を、自宅でひとりで介護していました。
回想シーンからも、出会ってすぐ大島が明子に一目惚れして、その後もずっと明子を大切に思い続けてきたことがわかります。大島の良き理解者だった明子、明子の存在が大島にとってどれほど大きいものだったのかは、明子の没後の大島の様子からも十分伝わってきました。かなしみに浸るあまり自分の殻に閉じこもってやさぐれているように見えました。
愛するもの、大切なものを失うことへの心の準備なんて到底できないものです……。
グリーフケア
大島の様子を心配し気遣う息子、慧。
しかし、慧の気持ちは心を閉ざした大島には全く届いていないよう……。
慧だって母を亡くしてつらくかなしみを抱えているはずなのに、父の身を案じる気丈な一人息子。
大島や慧の抱える深いかなしみは、グリーフ(Grief 英語で悲嘆の意)ともいい、こうしたかなしみへのケアを【グリーフケア】(Grief care または Bereavement care)と言います。
深いかなしみの只中にいる時には、孤独感や寂寥感を覚えたり、この気持ちは誰も理解できないと厭世的になったり、人を遠ざけたり、生きる希望を失って無気力になったり、自分を責めてしまったり、自暴自棄になったりすることも……。
こうした苦しみから自力で立ち直るのは非常に難しく、無理を重ねて心身の健康を損ねてしまうこともあります。
大切なものの喪失という辛い経験(喪失体験)から、正常なかなしみのプロセス(悲嘆のプロセス)を経て立ち直り、心身を健康な状態に回復(レジリエンス)できるよう、周囲がさまざまなかたちで寄り添いケアしていくことが必要となります。心理カウンセリングや専門外来などで受けられる専門的なサポートをグリーフケアと呼びます。グリーフケア専門士という民間資格もあります。
また昨今はグリーフケアにもAIを活用する動きもあるようです。
感情を素直に表に出すこと、かなしみやくるしみを自分のペースで自分なりに十分に味わい(向き合って)、喪失体験を消化していく(この作業を「グリーフワーク」と呼びます)、必要であればサポートやケアを受けたり、思いを共有できる場や相手を得られることが大切です。
大島や慧たちも、適切なグリーフケアを受けられていたら……と切実に思いました。
父と息子
息子を拒絶する父。
拒絶という言葉が強すぎるならば、息子と向き合うことを避け続ける父。
でも、息子は父とのコミュニケーションを諦めていないのです。その行き違いが切ない……。
回想からわかるのは、大島と慧との間には以前からわだかまりがあった様子……わだかまりに至ったきっかけや具体的なエピソードは劇中で詳しくは語られませんが、確執のせいで息子はあまり実家に近寄らなくなっており、明子は寂しい思いをしていたらしいのです。明子は二人の間に立って父子の仲を取り持とうとしていました……。
病状が重くなり寝たきりになった明子を、慧が妻子とともに実家まで見舞いに行っても、父とはぎくしゃくしたまま。意識が混濁しながらも慧が来たことはわかるのか、息子の名前をうわごとのように呼び続ける明子。
寝たきりになる前、認知症のせいで家を出て徘徊、迷子になった明子を大島が見つけ出した時も怯えていた様子の彼女でしたが、遅れて駆けつけた息子の顔を見るなり、一瞬正気に戻ったかのように話し始める明子。そんな明子を抱きかかえながら複雑な表情の大島。
うーむ……。大島、慧に対して嫉妬、というかヤキモチやいているのかなぁ、と思いました。妻が好きすぎて男として息子をライバル視しているような?
いわゆる、エディプスコンプレックスの裏返しのようにも思えました。息子に存在を脅かされる父の焦りというのか、対抗心というのか。
老いを自覚する父親が、まさに壮年期真っ盛りの息子に対するライバル心のようなもの。妻が無意識レベルで夫である自分ではなく、息子を求めることへの嫉妬心、かなしみ、おそれ。いろいろと衰退していく一方の自分に対して、人生上り調子に見える息子。妻を亡くし憔悴している自分、新しく築いた家族に囲まれて幸せそうな息子……。
そんな複雑な感情から、大島が慧に素直になれなかったり、助けを求められなかったのかもしれませんね。せっかく慧が手を差し伸べているのに。
頼っていいんだよ
明子を長いことひとりで、自宅で介護していた大島。
日に日に病状が悪化していく妻。美しく優しかった妻の面影が消えていくかなしみ。聞き分けがなくなってくる妻に苛立ち無力感を募らせる大島。介護のプロではない大島にとって、ひとりで何もかも引き受けるのは、いくら妻を愛していたとしても、いや愛していたからこそ、心身ともに辛い日々だったと思います。
もっと周りを頼っても良かったのでは、と思うのですが、大島は誰も頼らず、妻にも自分だけを頼らせるようにしていたようにわたしには見えました。(もちろん事情はあると思うのですが……)
ずっとひとりで抱え込んで、ひとりで突っ張ってきた大島。
散骨のために渡英することすら、はじめは自分一人で行くと言い張っていた大島。
明子は大島だけのものではないのに……息子たちだって明子ときちんとお別れしたいだろうに……と、大島の身勝手さに映画を観ながら怒っていたわたし。
息子夫婦と渡英してからも、自分勝手な行動の挙句、迷子(?)になる大島。何もない田舎で日暮れてようやく辿り着いた農家で一宿一飯の恩義に預かります。
そこで、ジョンとメアリー父娘と交流する大島。彼らも最愛の家族を亡くしたことを知ります。同じような痛みを経験した者同士、こころの奥がつながったような感覚を得たのかな……と和らいだ表情に変わった大島を見てそう思いました。
苦しみながら亡くなっていった妻に何もしてやれなかったことをずっと、今でも後悔している大島。その苦悩を誰にも吐露できないでいました。
誰も頼らずに突っ張ってきた大島も、さすがに人に頼らなければどうしようもない状況になって、ジョン達に「助けてほしい(たしかI need your help.と言っていたような)」と初めて口にします。
ここまで極限状態にならなければ人を頼れない、不器用すぎる大島です。
いや、異国の地で道しるべを失い途方に暮れていたからこそ、そしてジョン父娘が身近な人ではなかったからこそ、かえって助けを求めやすかったのかもしれませんね。
一人で抱えこまなくていいんだよ
つらい時はつらいと言っていいんだよ
誰かを頼っていいんだよ
大島にそう声をかけたくなりました。
助けを求めることができたことで、少しずつ大島の心の扉も開いていきます。
大島は明子の最後の望みを叶えることができるのでしょうか?(ネタバレ回避)
明子の最後の望みとは何か、美しい湖水地方の景色も楽しみつつ、是非映画をご覧になってみてください。
では、今回はこの辺で。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^