個展「未知への追憶」 落合陽一氏が創り出すデジタルネイチャーの世界観に素手で触れてきて感じ取ったこと
「未知への追憶」
瞬時にこの言葉を聞いて、正直あまりピンとこず、よくわからなかった。
ただ、解説を聞き説明を見てなんとなくわかった気がする。(以下解説)
知らないことを知っていると思うことがあるのはなぜだろう。覚えていたはずのことを忘れているのか。記憶の中に記憶していない未知なる何かが潜んでいるのか、記憶の中で時間を忘れて生きることはできるのだろうか。デジャヴを探し続ける感覚をなんと表現したらいいだろう。
記憶と混ざり合う外界の刺激、そうやって自分の精神と物質的世界の間が溶けた領域にまだ見ぬ風景の姿を探している、それを未知への追憶と呼んで心のどこかで愛でている自分がいる。
それに加えて、個展の作品を見ている時に、色々な問いが自分の中で湧き出てきた。
この物体は何を主張しているんだ?映像と物質の違いってなんだ?自然や風景ってなんだ?解像度が高いものだけが正義なのか?
今まで知らなかったことや感じたことを、落合陽一さんが紡ぎ出した手触り感のある世界観に触れながら、ずっと考えていた。そんな個展を半日かけて回ってきて、新たに見えてきたものもある。
やはりデジタルネイチャー的な世界観は好きだ。
個展:「未知への追憶」
いろんな景色が、様々な角度で見ることができる「焦点の散らばった窓」に、浮遊している球体が回っている「レビトロープ」。なんとなく、惑星が太陽を中心として回っている図を思い出した。
レビトロープはそこと照らし合わせて考えると、ある種デジャヴなのかもしれない。
この空間に流れる音もまた心地よかった。視覚的にも聴覚的にも心地よい場所だ。
どこか見たことがあるような空気感・雰囲気。海の近くのみならず、どこか身近なところでありそうなもの。
作品全体を照らしている照明のおかげで世界観をより感じられてよかった。
「計算機と自然」を見ているからこそ、この作品の世界観は好きだ。
人工的に作られた青い蝶々が動いている様子やその存在感も含め、美しかった。
空中に浮遊しているこの作品は、一定周期でくるくる回っているもので、見ていてなんとなく心地が良い。
この蝶々の解像度の高さに驚愕した。血管や全体の構造、そしてモノクロの背景の美しさ。
個人的に好きな作品の一つ。
一見この作品は、絵の具で塗られているように感じるが、玉虫で作られた作品だそうだ。(一匹一匹精査しながら)
しかし何と言っても解像度の高さに驚愕する。こんな美しい絵を玉虫で描けるのには脱帽した。
他にも載せたい作品はあるが、それはまた次回に。
「未知への追憶」を見終えて
アートに関しては素人で全然わからないが、情景や世界観、感じたもの、発見したもの、未知の空間における体験をすることができた。
その点、自分の中の価値観がまたひとつ増えた。そんな気がする。
最後に収穫もあった。
「変わり続けることを変えない。」
個展を回っている時に、追憶された言葉だった。それが彼のステートメントの一つだという。(一言一句合ってるかどうかは自信がない……)
この言葉を思い出した時、去年の自分に比べて、今の自分は変わっているのだろうか。熱量高く、物事に取り組んでいるのだろうか。少し考える良い機会にもなった。
普通の人(現23歳)と比べると、道は逸れてきた方かもしれないが、後悔はしていないし、何より良い人生を走ってきたと思っている。時に孤独で、きついときもあったが、そこを乗り越えたことで目の前に広がる世界を変えることができた。
これが関係しているかもしれないが、ノーマルな存在であることにあまり興味がない。どこか他人と違っているアブノーマルな人と話している方が好きだし、そういったマインドを持っている自分がいるし、追い求めている。
それは、落合陽一さん然り、ONE OK ROCK然り、自分が好きになってきた人やグループは共通項としてその性質を持ち合わせている。そしてそういう人の行動や立ち振る舞い、思考に影響されここまで生きてきた。
「アブノーマルに生きる」、これからの人生で大きく永遠のテーマとなることになるだろう。だからこそ、走り続けることを辞めず、ひたむきに生きていこうと思う。
また、8月の最終週のどこかで時間を作って再訪したい。そしたらまた、違った視点で物事を見れるようになっているかもしれない。その時がまた楽しみだ。
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