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怖すぎて、おもしろすぎる社会派ミステリー。『十面埋伏』張平(荒岡啓子訳)

タイトルの十面埋伏というのは、周囲に隙なく伏兵が潜んでいること。この小説の場合、警察組織と行政組織の複雑な関係の中で、誰が敵で味方かわからない状況がたまらなく怖いです。幽霊よりも、妖怪よりも、一番怖いのは人間。主人公とその仲間たちは、中国社会の闇をえぐるような刑務所と公安、そして政府機関にまたがる汚職をあばいていきます。つまり、実話ベース。

公安(警察)と刑務所に巣食う闇、それ自体も恐ろしいけれど、さらに怖いのは事件の詳細が明らかになるたびに闇が深まり、主人公たちへの圧力がジワジワ加わることです。しかもしれが、どこからどう圧力がかかっているのかがわからない、中国独特の怖さ。日本の刑事ドラマでは絶対にない怖さです。

事件解決の最後の最後まで、上級幹部の気持ちひとつで全ての下級幹部たちの苦労が水泡に帰すかもしれない恐怖。昼に読み始めて、夜になっても途中で止められず、小さなライトをつけたまま、夜中までかかって上下800ページ近い分厚い本を読んでしまいました。

著者の張平さんは、5年の歳月をかけ、大量の取材と下調べをして本書を書いたとか。自分を取材しないと書けない小説家だといいきります。でも、小説の主人公同様、作者の周囲もまた十面埋伏。取材に行こうとする段階から、「誰のことを書くつもりか?」と訊ねる電話がかかり、「書かないほうがいいよ」、「気を付けたほうがいいよ」、「訴えるぞ!」と電話がかかってきたそうです。

取材先でもなかなか真相をつかめず、どうにか小説を書き上げると、今度は「作中の人物は実在の誰か?」と問い合わせが後を絶たず、表からも裏からも批判や攻撃があって、防ぎたくとも防げないとか。「作家が現実と社会を見据えようとすることは、伏兵がいつどこから攻めてくるかもしれぬ」と張平さんはいいます。

日本では松本清張とか、山崎豊子とか、そういう実話をもとにしたフィクションを書いても、ここまで濃くて大変なことはないと思いますが、中国は歴史も闇もケタが違います。1つのフィクション(劇)が、政府の誰かを批判していると決めつけられて、10年にも及ぶ政治的大混乱の文化大革命が起こってしまった国。そして、文化大革命が終わった今でも、そのあたりの面倒くささは全く変わっていません。

主人公たちが、公安に信用がないのを嘆き、なんとか弱い者たちの側に立とうとする場面や、政府を引退した父親が息子に自分の世代の非を告白し、最善を尽くして欲しいと涙ながらに語る場面は、読んでいてとても苦しくなります。

刑務所がこんな有様じゃ、そとの世界がどうなっているかよくわかる」という受刑者のセリフ。現在の中国社会の矛盾はニュースになって外国に伝わるものだけでもすさまじいものがあります。それが、氷山の一角であることを願いつつ読みますが、残念ながら願っているだけでは変わらないです。

この小説に救いがあるのは、汚職に染まっているのはすべての幹部ではないことを信じ、普通の農民や市民が連帯して勇気ある一歩を踏み出すことで状況が少しづつ改善していくこと。せめて、フィクションには希望が欲しいとラストをやさしいものにした魯迅の小説のようです。

作者は言います。「社会の最下層から歩んできた私は、ほかの多くの人々と同じように、自分の祖国がより自由な、より民主的な、より繁栄した、より強い国になってほしいと切実に望んでいる」。

そして、「私はものを書くという行為は、まず何よりも責任を果すことだと考えている」。「良いものと悪いものが混在し、人間の欲が渦巻くこの社会の現実に直面した時、良知を持つ作家として、まず思い致すことは責任でしかない」とも。その後、張平氏は山西省の官僚としても抜擢されたとか。活躍の場があることを祈ります。

とても重い内容なのに、エンターテイメントとして充分楽しめる小説です。余華の『兄弟』もおもしろかったけれど、この『十面埋伏』こそ、大手の出版社から出されていてもいいのに。新風舎がつぶれてしまった後、版権とか、どうなったのでしょうか。そんなところも気になります。

ちなみに、訳者の荒岡啓子さんには、偶然お会いしたことがあります。それ以前に米原万里の書評で、張平氏とその小説の熱い翻訳者のことは知っていたけれど、まさかその人本人とお会いできるとは。驚きました。

しかもそれが、大学の恩師の送別会だから二度びっくり。張平氏の小説にほれ込み、彼が来日したのをきっかけにご本人に直接直談判して翻訳の約束をとりつけ、出版社を探して出版にこぎつけたその行動力。後輩の私も見習わねば!



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