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たくさんの写真と川端康成の名文と。『呉清源棋話』呉清源


この本は、一応作者として呉清源の名前があげられていますが、実際には、昭和28年(1953年)に川端康成が当時囲碁界の至宝だった呉清源九段にインタビューした「呉清源棋話」と、呉清源九段の戦前の随想集『莫愁』(昭和15年・1940年)が収録されています。

川端康成の文章は、たった2ページ半なのに、漢文調で力強くて明瞭です。短い中に、必要最低限で言うべきことはいい、しかも呉清源九段への敬意にあふれています。現代では、こんな文章にはお目にかかれません。

『莫愁』の呉清源九段の文章も透明感があります。淡々と日常を語る、その中に奥深く静かな強い意思があるような印象を受けました。少年の頃に日本にやってきた呉清源九段は、自分が話す日本語には問題ないものの、日本語の文章は書かないそうです。なので、『莫愁』は2,3人の日本人ライターがインタビューしてまとめたのだそうです。

にもかかわらず、彼をよく知っている川端康成は、『莫愁』を呉清源が書いたと勘違いしそうになったとか。菊池寛も、呉氏でなければ書けない文章と思い違いしていたというからおもしろいです。

実際の呉清源九段は、あまり自分自身を語らない人らしいです。日本と中国が戦争していた時代、「敵国」日本に住んでいた中国人として、どれだけ肩身が狭くて、不自由だったでしょう。しかも、囲碁は日本人より強かったので、風当たりは半端でなかったようです。

私の気持ちから日中の紛争のことも、まず専門家の棋風のようにありたいと念じてやまないのである。なるほど、兵を以って責め合うのであるからずいぶん激しく戦わねばならないのであろうが、目的とするところは平和にあるのであるから、力を尽くせるだけ尽くして、結果は両国の損害がなるべく少ないのを祈るのである。

呉清源九段のこの文章は、戦争中の『中央公論』に掲載されたそうで、それを菊地寛が「いい随筆だ」と褒めたそうです。なんとも、やるせません。

私がこの本を読んだ当時、呉清源九段は90歳を越えてもお元気で、日本と中国、台湾を行き来して囲碁の交流活動をしておられました。今後もずっと、呉清源九段が自由に故郷や親戚の住む場所を行き来できる日が、ずっと続くことを祈ってやみません。

追記:2014年11月30日、呉清源氏は永眠されました。謹んでご冥福をお祈りします。



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