かなりとがった戦略本。『天才による凡人のための短歌教室』木下龍也
私が現代的な短歌を知ったのは、学生時代、俵万智さんの『サラダ記念日』とかがベストセラーになってからでしょうか。短歌自体にそれほど興味はなかったものの、俵万智さんの『短歌をよむ』は、短歌の歴史や短歌をどう読むか、詠むか、短歌界がどうなっているのか、短歌の表現についてわかりやすく書かれていたのでおもしろかったです。
とはいえ、短歌に疎い私。この本を手に取ったのは本当に偶然なのですが、予想に反して、尖っていたので驚きました。まず、タイトルからして叙述トリック。「天才による凡人のための短歌教室」とくれば、短歌のプロを自認する著者が、「短歌って何?」な一般人向けに作り方を教える本だと思うじゃないですか。全然違いました。
そうして、読者に妙な高揚感を抱かせたあと、「引き返すならいまである」ときます。いきなり、うっちゃりをくらった感じ? そして、著者の木下さんがコピーライターになりたくて、養成講座に通ったときに先生に授業中さんざん褒められたのに、卒業するとき「あなたはコピーライターにむいていない」と言われたエピソードが披露されます。
うっちゃりに続くのは、ダメ出し。数ある表現方法のなかで、なぜ短歌を選ぶのかを読者に問います。木村さんの場合、人付き合いができないから、バンドは無理。楽器も歌もダメだからミュージシャンも無理。恥ずかしがりやだから役者や芸人も無理。絵をかけないから画家やイラストレーターは無理。写真家も無理。映画監督も無理……とあらゆる表現方法がダメで消去法で選んだのが短歌だったそうです。
短歌とはどういう表現方法なのか。木村さんは、いますぐ、だれかに想いを伝えたいのなら短歌は不向きだといいます。愛する人には直接言葉で愛を伝えたほうがいいし、次善の手段なら手紙がいい。瞬間的に愛する人を捉えたいなら、写真や動画がいい。
なら、短歌の長所は? 木下さんは、短歌は「いまこの瞬間」ではなく、過ぎ去った愛や言えなかった想いや、見逃していた風景を書いたり、記憶の奥にある思い出せない思い出を書くのに適しているといいます。自分のため、そして自分に似た感性を持つ誰かのために想いを結晶化して、今後のために御守りにしておくこと。短歌の利点はそれくらいしかない、のだそうです。
以上、短歌へのダメ出しが3つも続いたあと、ようやく本編開始。否定されると、やりたくなるのがニンゲンの性。この本は最初から、読者を惹きつける工夫がすごいです。
本編では短歌のルールを教えてくれるのですが、指示されるのは、なるべく他人の歌を真似してリズムや型を身につけること、まずは誰でもいいのでリスペクトする二人を見つけること、毎日時間と場所を決めて一首つくるルーティーンにすること。あとは、とりあえず「歌人」と名乗れとか、外に出て実際に何かを観察することやテレビ、新聞を読むことなど、内に外に感情と表現のフックをつくるよう、ものすごく具体的な基礎の基礎からのアドバイス。これもまた、驚きました。
「共感」、「納得」、「驚異」の3つの感情のフックを確認したら、次は五七五七七の定形を守ること、助詞を抜かないことなど、短歌を詠む以前のテクニカルな指示。短歌は余白の多い詩型で、小説と違って読者をスタートからゴールまで導くことはできず、歌人にできるのは「ゴールへ向かうための小さな矢印程度」だからと。すごく理論的でわかりやすいです。
他にも、とにかくたくさんつくれ、投稿で負けまくれ、商品をつくれ、などなど。短歌で食べていくために、可能なことを具体的理論的に教えてくれるのがすごい。この本は薄いし、ハンディなので、てっきり近所の公民館とか小学校の空き教室でやっている短歌教室みたいな内容かと思ったら、短歌の世界で生きていくサバイバルマニュアルでした。そして、短歌にかぎらず、何か表現することで食べていこうとする人にも使えるマニュアルでした。
先日見に行った、森薫さんの『大乙嫁語り展』で森さんも言ってましたっけ。大事なのはとにかく描くこと、ゴミを生産することを恐れないこと、自分にとってのモチベーションを大事にすること。表現したい人にとって、手段の違いはあっても、基本姿勢は同じなんですね。
私は文章を書くのも人前でしゃべるのも大好きで、実際、そういう仕事もしています。だから、多分短歌は私の最適ツールではないのですが、短歌に不向きな私でも頷けるアドバイスが、コンパクトなサイズにてんこもり。理想論にならない、理論的かつ具体的な人生戦略のたて方マニュアル。30代のとき、この本に出会いたかったです。
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