戦争があると、本が焼かれる。『書物を焼くの記』鄭振鐸
以前読んだ『戦地の図書館』では、ナチスが「ドイツらしくない」有害図書を焼いた話が、強烈な印象で迫ってきました。でも、そういう本を焼くみたいな話は、中国古代の焚書坑儒もありますし、日本でも戦前は危ない本を持っていると逮捕されました。戦争があれば、いつでもどこでも本は焼かれます。
最近、岩波書店で復刊が話題になった名著『書物を焼くの記』を、せっかくなので、図書館の初版で読んでみました。なんと、1954年出版。かなり紙が黄ばんで、ザラザラしました。大昔の新書なので、字も小さかったですが気になりませんでした。そして、文章がとてもよかったです。
日中戦争から太平洋戦争にかけて、上海の租界(外国人居留地で治外法権)に残った中国の知識人たちが、日本の官憲の目を逃れて隠れて生活する話です。そして、大事な本を売ったり、日本軍や官憲に見つかったら危ないような本を焼いたりする話。
日本軍の家宅捜索で、「危険な書物」が発見されれば、拘束されて拷問、惨殺されたり、獄死したり。命の心配をしながら貴重な書物、思い出の残った書物を自分で焼く辛さは、痛いほどわかります。
筆者の鄭振鐸は、1898年生まれ。作家で文学研究者で、政治家です。戦時中、彼のまわりの人たちが一人、また一人と日本に協力しきました。そんな状況が、この本には淡々と描かれています。大学でも教えていたので、内容的にはアルフォンス・ドーデ『最後の授業』みたいな話も出てきます。
日中戦争時期のことは、日本語の資料だけを読んでいてもよくわかりません。なんせ、戦争中は日本でもいろんな人が、外国の本とかレコード焼いているので。どうしても、日本人も被害者目線になってしまいがちです。
それにしても、戦後すぐに中国人の戦争中の本が、安藤彦太郎とか齋藤秋男みたいな(のちの)有名なセンセイの翻訳で岩波新書になるなんて。すごいですね。1950年代は中国と国交もなくて、「民間」交流だけがあった時代です。
鄭振鐸は、中華人民共和国になっても、やっぱり研究や文学、政治の全ての方面で活躍しますが、1958年に飛行機事故でソ連領内で遭難。帰らぬ人となったそうです。合掌。