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おもしろすぎてとまらない。『三国志 きらめく群像』高島俊男


歴史書である『三国志』は、中国の正史の1つ。
でも、正史とは<正確な歴史>の意味ではなく、<朝廷が採用した歴史書>もしくは<朝廷みずからが著作した歴史書>の意味で、必ずしも正確なことが書かれているとは限らないそうです。まあ、これは万国共通。

陳寿の書いた『三国志』は、歴史書にしては歴史事実や経過、因果を書いた部分が少なく、建言や演説など人の発言を書いた部分が多いとか。しかも、その内容は必ずしも本人の言との確証がとれるのもではないらしいです。歴史の事実を曲げない範囲で、歴史家が筆を振るうのが中国の歴史書。高島先生は、まず基本のキから読者に教えてくれるのでうれしいです。

世間一般的な『三国志』関連の本は、吉川英治なんかの小説で固定した三国志ファンの人物イメーを壊さないように、逆撫でしないように書かないと売れないそうです。でも、高島先生クラスになると、そんなものを気にしなくても大丈夫。

中国の歴史の正史は、すべて紀伝体のスタイルで書かれています。紀伝体は、皇帝の記録の本紀と、皇帝以外の人の記録である列伝からなります。こういうタイプの歴史書は、1人の記述があちこちの人の記述に散らばってしまう面倒さがあるとか。

歴史上のできごとには多くの人が関わっているので、もし、A、B、Cの3人に関わる出来事があったとすると、A伝とB伝とC伝全てに記載すると重複になります。だから、1つの事実は1人の伝に記載して、あとの2人からは省略します。では、3人のうち誰の伝に詳細を載せるかというと、比較的地位の低い、重要度の低い人の伝に載せます。

なぜなら地位の高い人、重要な人は関係する出来事が多すぎて、それを全部詳しくのせていたら文量が山のようになるから。反対に、他の人の伝にまわせるものはまわさないと、重要度の低い人は書くことがなくなってしまいます。そんなわけで、中国の歴史上の人物のある1人だけについて調べたいときにも、紀伝体の歴史書は全体を読まなければならないのだそうな。

歴史書は、時代が近ければ近いほど、生き証人も多いから、書きにくいことも多いです。現王朝に使える歴史家にとって、それ以前の王朝とその朝敵をどのように書くかは、出世だけでなく命に関わる問題でもあります。そして、紀伝体は個人の伝の集積。普通は、歴史上著名な人物を褒めて後世に伝えるものだから、なるべくその人物にとって不名誉でないように書く傾向があるそうです。

だから、戦争に負けた人物のところに「和睦した」と書いてあったら、それは「負けて降参した」と読めばいいと教えてくれる高島先生ステキ。小説も歴史書も行間を読むの、大事です。

呉に関する記述の中には、親友になることを「母親に会わせる」と書くのが多いそうです。曹操が地盤とする魏や他の地域にはない記述なので、どうも江南の習慣らしいと高島先生はいいます。母親の存在も、中国各地でずいぶん違うんですね。確かに今でも、南へ行くほど中国は母親の存在感が増す気がします。

中国では「子がない」と書けば、それは普通、男の子がなかったことで、女の子はいたかもしれない(でも書かない)。奥さんについても、有力者の場合、男の子を産んだ女性のみ数えられ、女の子を産んだ人は奥さんの数に入れられないのも必須の豆知識。

あと「諸葛亮伝」には、諸葛亮が「南陽に躬耕す」とあるけれど、直訳して「自ら耕作した」(自分で鍬を持って百姓した)と思うのは間違いだそうです。中国では、学問をする人間と肉体労働する人間とは別人種で、諸葛亮は田地を持っていて、そのあがりで食べていたと読むのがスタンダード。どこにも勤めない生活をするのを「躬耕する」と表現するのだとか。

こんな感じに高島版『三国志』は、51人の主要登場人物について読み進めると、トータルで中国の歴史家や歴史書、当時の文化や社会についての知識も勉強できるようになっています。すきな人物の順に読んでもいいし、最初から最後まで読んでもいい。一般的な『三国志』に物足りない思いをしている人、歴史好きの人には絶対おすすめの1冊。軽快な文章で説明してくれるから、四百頁以上あるのに楽しく読み進められます。



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