ロシア語の罵倒言葉は世界一らしい。『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万里
著者が少女時代にプラハで通った学校には、自称50歳の教師オリガがいた。オリガは70歳を優に超えてみえたが、プロポーションは抜群で「200人足らずの学校の先生とは信じられないほど」踊りがうまかった。オリガの服装は1920年代のディートリヒ風だし、態度は超然としている。そして、辞書にも載っていないような貼り雑言を生徒に浴びせかける。
オリガ先生が、「そこの驚くべき天才!」といえば、うすのろって事だし、自分の意見を言おうとするものなら、「七面鳥も考えたけど、結局スープのダシになっちゃちまったんだよ!」とケチョンケチョン。
世界一罵倒語の多いロシア語の中にあっても、オリガ先生罵詈雑言は特殊で、著者が帰国して大人になって、通訳業を生業とするようになっても彼女の特殊な言い回しと強烈な個性は記憶に残り続けていた。
著者の帰国から20数年後、ロシアで刊行された『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』には、オリガ先生の使った言葉がたくさん載っていた。それを読んだ著者は、オリガ先生が1930年代の強制収容所帰りだったのかもしれないと、初めて気づいた。そして、収容所を体験した女性たちにインタビューし、手記を読み、浮かび上がったことを謎解き風の小説にしたとのこと。
著者の1959~64年在プラハ経験を手がかりに、現地での取材をフィクションでつなげていく小説は、場面場面のつながりがぎこちなかったり、所々妙に感情のいれ込みがあったりして、必ずしも洗練されていない。けれど、収容所体験者に取材したエピソードの数々は、ズシリと読み手に伝わってくる。
スターリン時代のソ連、フルシチョフの時代のソ連、そして現在の荒廃したロシア。中国との関係、その他社会主義国との関係なども、子供の生活の背景にダイレクトに反映するあたりのリアリティさが何ともいえない。自由に移動できず、思っていることも言えない社会主義政権下の悪しき時代の理不尽さ。その中でつないでいった強い人間関係、生命力の強さ。
物語の本筋からは外れるけど、一方では小説の主人公の日本での生活描写も妙にリアリティがあって、考えさせられる。5年間のプラハ生活を終えて帰国した主人公は、日本の学校の無意味な画一性と、志望校はあっても未来像のない学生たちに幻滅する。
学校を出てしまえば、本の1冊も読まない大人たち。日本は自由な社会のはずなのに、人間関係も文化も薄っぺらく歪んだエピソードばかりが語られる。日本社会へのマイナスイメージは、主人公が何十年もたってロシアを訪ねる強い動機となるだけに、誇張されているキライもあるのだけれど……
自由な社会では、そんなに強固な人間関係を繋がなくても生きていけるし、不自由な社会では何かと助け合って生きていかないといけないから、人間関係も強くなるのかも。そんなことまで、あれこれ考えてしまった1冊。おすすめです。