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高校の部活が考古学を支えた時代。『部活で発掘!部活で考古!』大阪大谷大学博物館

大阪南部は奈良に近くて、いわゆる「仁徳天皇陵」を含む百舌鳥・古市古墳群が世界遺産にも登録されました。これらの遺跡は、高度経済成長の時代に(1960~70年代)なんとか残ってきたもの。それは、当時の地域の高校地歴部や考古学部、歴史部なんかの高校生と先生たちががんばった歴史の一部でもあったとか。

知り合いに誘ってもらったので、大阪大谷大学博物館で開催中の特別展を見に行ってきました。京都の大谷大学は何度か行ったことがありますが、大阪大谷大学は初めてです。

キャンパスの閑静な一角が博物館。

大阪の日本史の人からよく聞く話の1つに、考古学の有名な森浩一先生エピソードがあります。森先生は、大阪出身で同志社を卒業後、府立泉大津高校の英語の先生で、地歴部の顧問をしつつ、古墳の発掘に関わり、やがて考古学の分野で認められて、同志社の先生になられたとのこと。

「地歴部顧問 本校教諭 森浩一」の名前がばっちり!

まだ文化財を保存するという概念がなかった時代、建設業者にとって古墳は「手っ取り早く土がとれる場所」という認識だったとか。驚きです。研究する人たちは、まず、なんとか調査する。できれば保存も働きかける。今のように調査の義務がなかった時代は、いろいろ手探りで、本当に大変だったようです。

昔のガリ版印刷が懐かしい。
摩陽山古墳出土 鰭付円筒埴輪(泉大津高校所蔵)
高校生らしいスクラップブック
信太千塚古墳群の発掘品(泉大津高校)

まだ、市町村の教育委員会が考古学の専門的な仕事を担当できなかった時代。地域の歴史文化は高校の先生とその学生さんたちが調査や発掘を支えていたそうです。

信太千塚古墳出土品(泉大津高校所蔵)
河南高校考古学クラブの出土品カード。
中身はこんな感じ
河南高校考古学クラブの発掘品
人面墨書土器(河南高校)
こういうのがある高校って楽しそう(河南高校所蔵)
サヌカイトの原石がある河南高校。
狭山高校の発掘品
今の大阪南部とは思えない、家の少ない古い写真がすごい……
富田林高校考古学クラブの活動報告。
錦織遺跡の発掘品(富田林高校)
当時の高校生は、今の大学生よりも大人に見えます。

この特別展は撮影すべてOK、入場無料なので、興味ある方はぜひ。そして、帰りには数駅先の富田林の寺内町を歩いて、時空をすっ飛ばして、散策を楽しむのもありです。

富田林の寺内町。昔の家屋を見学できる家もあれば、普通に人が住んいて、お店として「入居募集」になっている家屋もあり。驚き!
重陽の節句(旧暦九月九日)は「後の雛」(「秋の雛」)

ちょうど重陽の節句(九月九日)で「後の雛」「秋の雛」が飾られていました。大人の女性のための節句なのだとか。全然知りませんでした。

寺内町の茶房和(なごみ)さんでランチ。食後のコーヒーと手作りのお菓子。

天気もよくて、久しぶりにいい休日を過ごすことができました。秋の南大阪、おすすめです。

大阪大谷大学博物館特別展『部活で発掘!部活で考古!』スケジュール(11月16日まで)

同志社大学学術レポジトリ:
宮川 徏「森浩一の考古学-遺跡保存をめぐる実践と理念-」(森先生の思い出話と南大阪の古墳調査や保存をめぐる話(PDF


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