神官も鬼も人がなる。『天官賜福』4巻、墨香銅臭
『天官賜福』の台湾版(平心出版)4巻は、第68章から90章まで。噂では、4巻は3巻よりも地獄みがすごくて、つらいということだったのですが、私的にはすごく好み。いろんな神官と鬼の過去の因縁が読み応えありました。これだけ多彩で悲劇的な人間関係を、複雑に重ねられる作者には尊敬しかありません。
以下、自分の備忘録も兼ねて、4巻までの人間関係をまとめるので、ネタバレがいやな方はご遠慮ください。
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まず、確認。2巻で出てきた仙楽の皇城のいい家の娘(永安人にさらわれた)が、1巻の鬼市で主人公の謝憐を誘惑しようとした蘭菖で、3巻で胎霊を盗もうとしてバレて、4巻では風信の想い人だった剣蘭だとわかります。この話、何か争い事があると真っ先に被害を被るのが女性や子供という、現代にも通じる話なだけに、他のどのエピソードよりも地味に辛かったです。
「四名景」のうち、4巻で明らかになるのは「将軍折剣」と「公主自刎」。将軍は、なんと裴茗でした。彼は1巻から女性問題が事件につながったり、部下の罪をもみ消そうとしたり、3巻でも水師がらみでいいイメージはなかったですが、4巻で彼の過去がかなりハードだったことがわかります。
女性と恋愛して、将軍として戦えれば、人生それだけでよかったのに、あろうことか長年共に戦った仲間に刃を向けなければいけなくなった裴将軍。自分の剣を折って、神官になっても二度と宝剣を持たなかったあたり、謝憐が呪枷を外さないのに通じて、武人らしいです。ここの、裴茗と謝憐がお互いについて質問しあって答えない場面、すごく好きです。
あと、恋愛にからむ話はさすがに経験者。女性に対して無自覚に積極的なところも、だんだん憎めなくなっていきます。もどかしい主人公カップルを後押ししてくれる、頼もしい(?)役割が今後増えるのか。一人の人物の多面的な描き方もこの作品の魅力です。
「公主自刎」の公主は、なんと雨師。雨師篁は雨師国の大勢いる王女の一人ですが、目立たない存在で道観に厄介払いされたような形で修行していたところ、裴茗が軍隊を率いて攻めてきたという因縁。謝憐と郎千秋も敵同士ですが、時間的な隔たりがない分、雨師と裴茗のほうがハードモードです。戦争に勝利し、国王の首を持ち帰ろうとした裴将軍に対して、雨師篁は父の代わりに自分の首を差し出し、その悲劇によって飛昇したとのこと。
2巻で謝憐を助けたとき、私の中の雨師は笠をかぶって牛の引く車に乗った老仙人のイメージでしたので、まさか女性とは思いませんでした。口数少ないけど聡明で、要所で縁の下から周囲を後押しする女性は理想。うれしい誤算でした。謝憐が、雨師に助けられた800年前のお礼をいうときの丁寧な言葉遣い。心がこもっていていいですね。
ちなみに、宣姫将軍も雨師国の人ですが、裴茗の気持ちを引きつけたいばかりに雨師国を裏切ったんでしたね。裴茗は宣姫は数多い恋愛相手の一人でしかありませんが、雨師篁とは因縁がまあまあ。というわけで、彼女にピンチを救われても、法剣を貸すと言われても、裴茗は素直に応じることができません。
雨師にもいろんな感情があると思いますが、人だったときにそれを表明できる機会がなかったせいか、彼女は常に自分にやれることを冷静に判断して淡々とやっている感じ。一方で裴茗は、男としての面子とか過去の経緯が気になる模様。裴将軍の世界観は「敵と味方」や「男と女」みたいな二元論でてきていて、グレーゾーンが存在しなそう。
さて、4巻の錯綜する人間関係の中で、一番読み応えがあったのは、権一真と三郎の鬼使になった元神官引玉の話です。お互いが良かれと思って行動していることなのに、全てマイナス方向に行ってしまう悲劇はせつなくて好きです。なまじ能力も「良識ある」引玉が、天才(ギフテッド)権一真に嫉妬してしまう関係は、有名なモーツアルトとサリエリみたい。だけど、それを助長するような天界のありようもエグいです。
ギフテッドって、自分だけでは社会と折り合いつけれなくて、誰か自分とその他大勢を繋いでくれる人が必要で。引玉は、人界ではそれなりに権一真と周囲の媒介役ができる状況だったのに、飛昇して神官になって、立場が変わったことで以前と従来と同じ役割を許容できなくなってしまった悲劇。
「殺意を抱くのは大きな恨みからだけじゃなくて、ほんの小さなきっかけのこともある」という三郎のセリフはつらい。そして、それを理解できず、自分なりの気持ちを伝え続ける権一真もせつない。
とまあ、山盛りの地獄の人間関係ですが、一番びっくりしたのはなんといっても霊文の行動でしょうか。読んでて、価値観がグラグラくるほど驚かされました。だから、その後の君吾の胡散臭さMAXも「やっぱり」としか思いませんでしたよ。謝憐のストーカーか。そして、霊文とセクハラ上司の確執エピソード、からの彼女の反撃はさもありなんという感じ。
菊地先生の道教の本によれば、キリスト教的な天国や、仏教的な極楽と違って、道教の天地は理想の形をめざして何度も崩壊するし、また創り変えられるものだとか。
4巻では鬼界に新しい鬼王が誕生するかもしれない話から始まり、天界も霊文がいなくなって、システムが破綻して、神官たちがピンチを迎え、天界がガラガラポンに近い状態。実際、銅爐山ではたくさんの鬼が殺し合うはずなのに、気がつけば神官と鬼が入り乱れて傷つけあって、それに全く違和感ない状況。神官も鬼もやはり人ということですか。
こういう、日本的な価値観ではなかなかお目にかかれない設定とかストーリーを楽しめるのが、外国の小説のいいところ。しんどいけど、それをうわまわる期待は大きいです。5巻が楽しみ。
■おまけ
人生、一度は言ってみたい中国語(そんな機会はあるのだろうか?)
しんどいときに思い出したい中国語。三郎の強さを見習いたい。
さらに余談。慕情の「床掃き将軍」が罵倒言葉と言われても、ピンときませんでしたが、霊文の「靴売り」で、三国志の劉備を罵倒するときの「わらじ売りの倅」を思い出しました。功なり名をあげた人の悪口をいうとき、過去の職業をあげつらうの、中国史あるあるでしたね。