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推理と心理戦が交錯する。『邪悪催眠師』周浩暉(阿井幸作訳)

読みだしたらとまらない、一気読みのミステリー。物語の舞台は中国の架空の都市、龍州市。私が今まで読んだことのない、独特の世界が展開します。冒頭はそれほど中国、中国していなくて物語に入り込みやすいけど、だんだん中国味が増していく展開も好感度大。

物語は、怪事件が連続発生して始まります。男が突然、ゾンビのように通行人の顔に噛みつきだしたと思ったら、続いてハトのようにビルから飛び立ち、死亡する男も出てきます。この小説の主人公、龍州市の公安局刑事隊長の羅飛(ルオ・フェイ)は、これらの事件の報告を受けて、こんな感じで対応します。

かつて愛する息子を殺した者が、その子の首を切って手にぶら下げていたことがある。またある者が薬物接種後に自分の胸や腹を切り開いてみせ、内蔵をつかみだして眼の前の警察官に投げつけたこともある…この道二十年以上のベテラン捜査官である羅飛は、こういった異常な事件にはとっくに慣れっこだった。

さすが中国、スケールが違う(違!)人間の多様性が過ぎますが、ただ、猟奇的殺人事件は最初だけ。その後は心理戦。なんと、事件の捜査で、浮かび上がってきたのが「催眠師」の存在。

数日後に龍州市では、催眠師の全国大会が予定されていて、犯人とおぼしき人物は、大会に参加するとネット上に書き込んでいました。羅飛は、催眠師大会の主催者、凌明鼎(リン・ミンディン)に事情を聞きに行きます。

凌明鼎は、中華催眠師協会の会長で、催眠療法の第一人者。催眠療法とは、心理療法士みたいなイメージでだいたいあってるはず。ただし、中国では催眠師の歴史が浅く、玉石混交で、それぞれが小さい団体でバラバラに活動していて資格も基準もありません。凌明鼎は、それを統一して、基準を作るために大会を開いたとのこと。

最初は、凌明鼎を妬む同業者が妨害しているのかと思ったら、バラバラのはずの同業者たちは、なぜか組織的に警察の監視を逃れてしまい、しかも大会当日には凌明鼎の古傷をえぐって大会をメチャクチャにする、用意周到さ。ここから、凌明鼎や羅飛の過去の大きな失敗と、心に残った大きなキズ(心穴)への攻撃がなされ、理性的だったはずの羅飛の推理は、犯人たちを追っていくうちに、催眠師の罠に絡め取られていきます。

捜査の過程で浮かび上がったのは、元優秀な刑事だった白亜星(バイ・ヤーシン)。潜入捜査で大怪我をしたとき助けてもらった女性と恋人の間でおこした醜聞のせいで、刑事をやめざるを得なくなった過去を持ち、やがて彼は催眠師の技術を学んで、警察組織に味方を多数つくり、凌明鼎に復讐しようとします。

この催眠師って、以前、共産党組織に深く入り込んで中国を震撼させた、法輪功のオマージュでしょうか? 海外に指導者がいるあたりとか、リアル社会の理不尽さを現実にある手段以外で解決しようとするあたり、ちょっと法輪功を連想させます。

警察組織を熟知する白亜星は、羅飛の先手、先手に先回りし、捜査をかき回すどころか、羅飛の刑事としてのプライド(心穴)に、社会の矛盾をつきつけ、揺さぶります。事件が起こってからでないと対処できない警察の矛盾。社会の善良で弱い人々は、ずるいクズには対処できない刑事の苛立ち。

この小説では、最近の中国の刑事ドラマで、不自然なほど出てくる事情聴取の録画シーンがないので、中国ならではのトリックを楽しめます。あと、催眠師のショーとかのインターネット配信とか、小説の作者と読者のネットでの近さとか、現代中国的な小道具がいちいち上手くて、ディテールもいい。なにより、中国以外ではでてこなそうな、子孫を残せない男性の悲哀とか。使い方がうまい。

そして、最初は白亜星(悪い催眠師)vs 羅飛(まじめな刑事)+凌明鼎(いい催眠師)という対立の構造が、だんだん凌明鼎とその美しい弟子、羅飛と彼の部下の間に亀裂が見えはじめて、嫉妬、使命感、欲望、絶望なんかが入り混じって、せめぎあいになる展開は、まさに心理戦。

優秀な催眠師が自分の術におぼれたり、経験豊富な刑事がトラウマに翻弄されるあたり、人間味がありすぎて刺さります。ラストはもう、誰が騙されていて、誰が操られているのか、わからなくなっていく構成の妙。心理戦なのに、スピード感ある展開がたまりません。

作者の周浩暉さんは、中国で大人気の推理小説家。理系トップの精華大学の修士を取得したあと、羅飛を主人公にした長編小説でデビューしたとのこと。友人が見ている穴だらけのミステリードラマに不満を持って、小説を書き始めたそうです。この作品も、なんとドラマ化されているそうです。

彼のミステリーに他にも日本語訳があるし、しかも羅飛刑事のシリーズらしいし、『邪悪催眠師』は続編が最近出たばかりなので、楽しみが多すぎ。さあ、次はどれを読もうかな。


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