【初めての涙が教えてくれたこと】


最近のマイブームで感情の言語化をしてる。
これは瞑想から帰ってきてやり始めた。やからかれこれ1年ぐらい前から。
全然最近のマイブームじゃないことに気づいた。恥ずかし。


んで、自分的には少し感情的になれたのかなって思う。
それは自分の感情を俯瞰して見ることができるようになったから
俯瞰して楽しんでない自分がいたら、楽しもってなるから。自発的に感情をコントロールする感じ。


自分は今まであんまし表情とか変えないタイプやった。今も大概はそうかもしれへん。けど、自分の周りにそんな人がいたらあんまし良い気持ちにはならないと感じるようになってからは表情だけでも作るようにしている。そらバレるときもあるけど、そっちの方が周りに良いと思ってる。自分がされたら嬉しいし。やから自分はめっちゃ感情的な人がすき。


楽しい時でも、楽しくない時でも自分を俯瞰して見られる。これは結構自分にとって大きな変化やった。「あ、今俺楽しいって思ってるねんな」とか「これは楽しくないんやな自分」とかいっつも考えちゃう。そこの深掘りがなかなか楽しい。いつもやったら大抵は言語化できる。言語化というよりも自分自身で納得できるまで落とし込むって感じ。


でも、一つ難しいことがある。それは悲しい時の感情
何でかと言うと「悲しい」って思ったことが今まであまりないから。そら言葉ではいくらでも「悲しかった」なんて言える。何でやろって考えると、自分の場合は「悲しい」よりも「しんどい」が先にくるのかもしれへん。場面とか環境とかによって変わるけど「悲しかったな」じゃなくて「しんどかった」になることが多い。


やから涙流して泣いてる人が信じられなかった。
自分は物心ついたぐらいから20歳ぐらいまで泣いたことがなかった。泣いてる人が横にいても「何でこんなことで泣いてるんやろうか」とか考えてた。周りからは「きむってそんなやつ」ってな感じでイメージついたと思う。別に昔はそれでよかった。「俺って泣かないぐらいメンタル安定してるんかな?」とかめっちゃポジティブに考えてるときとかもあった。


でもたまに「泣いたことない自分ってどうなんやろ」って考えるときもあった。
「何で自分は泣けないんやろうか」って。その答えは家庭環境にあった。子供の時はめっちゃ泣き虫やったらしい。んで「男やから泣くな」的な教育された。なるほど全く記憶がない。そのおかげで自分の中で「男=泣くことはだめ」って勝手にイメージしてたのかなと。実際に自分の身の回りで泣いてる人は女の人ばかり。それが良い悪いとかじゃない。


この考えは今までずーっと心の底らへんにあった。
それを持ちつつ3年前海外に行った。んで現地で1人の女の人と仲良くなった。40前ぐらいのお姉さん。おばちゃんちゃうで。スマホ持たずSNSはやらないと決めてるらしい。そう変わり者だ。関西住みで自分と同じぐらいの歳の息子がいるらしい。それやばとか思ったけどよー喋る人で初めての一人旅やったらしくえらく安心してた。それから4日ぐらいほとんど一緒に行動してた。


んで、最終日自分は泣いた。勝手に泣いてた。
「泣きたい」とか一切思ってなかった。それでその場は終わった。んであとで1人になって考えてみたら一つだけ理由があった。


それは『今まで「別れ」が無かったから』かなって。
別れってのは何でも良い。人とかペットとか。自分は20歳まで1つも無かった。ペットも飼ったことがない。小学校、中学校は同じメンバー。田舎に住んでるから人数少なくてほとんどみんな友達。高校に行っても地元の人は電車で会える。会おうと思ったらすぐ会える。高校の友達も今はSNSで繋がってる。お互いが今何してるとかすぐわかっちゃう。


でもその人は違った。一期一会を大事にしてる人。やからSNSはやってない。スマホも持ってない。それを持ってると「今この瞬間の事実」を大切に思えないから。「いつでも繋がれるし」って自分で言い訳作ってしまうらしい。


やから、その人とはその時で本当にさよならやった。
自分はこれが「別れ」って言うんかなって思ったんやと思う。やから涙が出たんやなって。
それからは自分の中で「男でも泣いて良いなんな」って思った。やから今は悲しいって思ったら泣きまくってる。てか勝手に涙が出てくるようになった。成長した。


自分はその場所でその人に会った。別れは悲しい。それを教えてくれた。
その事実は消えない。そこに自分がいたことを涙が教えてくれるから。


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