淀屋橋での不毛な口論
まだ関西に住んでいた頃、淀屋橋駅のそばで友人と英語を読む会合をやっていた。といっても、二人でただ英文和訳し合うだけである。テキストは人文系の内容ではあったが、構文の取り方や修飾がどこまでかかっているかについて、二人の間で解釈が別れることがたびたびあった。なぜならば、内容の解釈以前に昔の英語にありがちな長文が続くタイプの英語だったからである。なお、当時は30代だった。
細かい点でのたびたびの衝突があっても、いったん判断保留として次のセンテンスへと移っていくこともしていた。なぜ